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エピローグ




 かちゃり、前触れ無く部屋の扉が開いた。夕闇に包まれた薄暗い部屋に、眩いほどの光が差し込む。廊下の橙色をした照明の光だった。小さな男の子は、突然差し込んだ光に目の痛みを感じた。それでもその先に期待を込めて、目を細めて俯きそうになった顔を何とか持ち上げる。


「なんだ、起きてたのか」


 軽い調子で彼に向かって言葉を投げかけられた。背の高い男性は廊下から顔を覗かせ、彼に向かって笑いかける。途端に、彼の顔は歪み、大粒の涙を溢れさせた。


「うぁああああああ」

「おお、どうしたどうした。起きたら一人でびっくりしたのか?」


 突然泣き始めた彼に、男性は驚いた様子で駆け寄って、小さな身体を抱き上げる。柔らかな子どもの腕とは違う、骨ばった大きな手で背を撫でてあやされれば、先程までの心細さから一転して安堵し、余計に涙が溢れ返ってくる。男性の首に腕を回し、むずがるように目元をその肩に押し付けた。


「あんまり擦り過ぎると腫れるぞ」

「どっ、どぉして、どして、いないのっ」

「いや、普通にリビングにいたんだけどな」


 男性は何故だか楽しそうに笑い声を上げる。そのまま彼を抱え上げて廊下を抜け、温かな光が漏れる扉を開けた。そこでは、リビングとダイニングキッチンが一続きになっている。空腹を刺激するいい香りが漂っており、部屋は料理の熱でか、それとも人がいるからか、心地良い温もりに包まれていた。


「どうしたの?そんなに泣いて」


 キッチンに立っていた女性が、室内に入ってきた二人に目を向けて微笑んだ。タオルで手を拭いて、二人の元へパタパタと駆け出していく。走るなよ、と男性が注意したが、女性は笑ってそれをかわし、抱かれたままの男の子の頭を撫でた。


「ほら、泣かないで」

「なぁ、泣いてなぁ……もっ」

「そうだなあ、もうすぐお兄ちゃんになるんだしなあ」


 男性にそう言われて、男の子は慌てて自身の目元を擦った。そう、彼にはもうすぐ弟か妹ができるのだ。とても小さくて、可愛いらしい。お母さんは大変だから、いっぱいお手伝いをしてあげないといけないし、困らせたくなかった。


「なる!だから、だいじょぉぶだもっ」

「うんうん、そうだなあ」


 男性が相槌を打てば、女性がえらいえらい、と男の子の頭を撫でる。ひくっと喉を鳴らして、彼は途端に涙を止めて目を輝かせた。それこそが、彼が何よりも求めていた言葉だった。男の子はずっと、ただ女性に褒めて欲しかった。そんな女性を真似るように、男性もゆっくりと彼の頭を撫でる。彼は男性に頭を撫でられるのも好きだった。何だかとても、誇らしい気持ちになれるのだ。

 男性は彼の父親で、女性は彼の母親だった。ここは彼の家で、世界で一番温かな、安心できる場所だった。


「でもなあ、そんなに頑張らなくてもいいんだぞ」


 父は時々、あまり父らしくない顔でそんな風に言うことがあった。幼い彼には、父の言う言葉の意味が分からない。ただ、母が自分をぎゅっと抱きしめてくれるときと同じ顔で父を見ているので、彼は母がしてくれるのと同じように、父をぎゅっと抱きしめるのだ。そうすると、父は何だか嬉しそうに目を細めてくれる。

 さっきまでの寂しい気持ちなど飛んでいって、男の子は途端ににこにこと笑う。そこで、くしゅん、と一つくしゃみをした。


「やだ、風邪引いちゃったかな?」

「あー、寝てる間に毛布蹴ってたから。寒くなってきたしなあ」


 心配そうに父と母が彼の顔を覗き込む。男の子は鼻を啜ってこてん、と首を傾げると、抱き上げられているために目の前にある父の顔をじっと見つめた。


「寒くなってるの?」

「ああ、冬になるからな」


 冬、と聞いて男の子は一生懸命考えた。そしてすぐに思い出す。冬は寒くて暗くなって、けれど雪が面白くてシチューが美味しい季節なのだ。彼はシチューが好きで、特にかぼちゃの入った甘いシチューが大好物だった。


「冬すきー!」

「そうかそうか。よかったなあ。僕も冬が好きだぞ」


 そう言って父が笑えば、母も『私も好きだなあ』と微笑みを浮かべる。父は温かいからなあ、と寒い冬には相応しくない感想を述べた。彼はどうして寒いのに温かいと言うのか分からなかったけれど、それを父に尋ねることはしなかった。だって、抱っこされて、ぎゅうってされるときの温もりは、冬の方が確かによく感じられたからだ。きっとそういうことなのだろう、と男の子は理屈ではないところで理解する。


「赤ちゃんも、冬すきかなぁ」


 好きだったらいいなあ、と思いながら男の子は呟いた。もうすぐ、彼はお兄ちゃんになる。お兄ちゃんが何をするものなのか、彼はよく分かっていない。けれど、父に抱っこをされて、母にぎゅっと抱きしめられることが、彼は大好きだった。だから、彼はそれを、生まれてくる赤ん坊にしてあげたいな、と思っていた。


「おとうさん、おかあさん、赤ちゃん楽しみだねえ」


 父と母が笑う。たったそれだけのことが、彼はとても嬉しかった。





これにて完結です。

ここまでお付き合い下さり、誠にありがとうございました。連載中に頂いたご感想は、とても励みになりました。本当に、ありがとうございます。

普段、ストーリーや展開、シーンから考える私にとって、今回のお話はまず仁見(別のお話の友人キャラだったのです)がいて、キャラクターから考える、という少々珍しいパターンでした。普段と勝手の違うところもあれば、書き方も自分としては変えたつもりでしたので、新しいことも沢山あり、とても楽しく書けたお話でした。

覆しようがなくハッピーエンドにしよう!と思って概ね達成できたので、満足です。



以下人物紹介、というか現状とうっすら今後のこと


住吉雛子:よくいえばおっとり、悪く言えばとろい。元々メンタル弱めだけど、今後逞しくなっていくと思う。今後最低でも二回はまだ揉めるだろうから、強くならねばならない。弱いところ支え合えるといいよね。やたらとこえーこえーってからかわれるようになるけど、やらかしてしまったのが恥ずかしくてちょっと嫌。割りと少女趣味で可愛いものが好き。



仁見清春:他人と生きるの向いてないと思ってる。人懐っこいし馴れ馴れしいけど、あまり踏み込まない。基本あまり人に相談とかしないので、時々怒られる。住吉家に挨拶に行ったら、たぶん父親渋い顔(二人娘の長女が連れてきた男だから)して妹は不機嫌(印象悪い)で母親だけが(顔がいいから)歓迎してくれる感じだけど頑張ればいいよね。



夏目聖司:品行方正を絵に書いたような人。でも嫁に何かあるとかなり面倒なタイプなので、適度に距離を取って付き合うのがたぶん一番いい付き合いできる。仁見のことは大体うるせえ、って思ってるけど、生き方が不安定で心配してる。仁見に対してよく憎まれ口を叩くけど、ちゃんと友達してる。



夏目千穂:旧姓水島。夫の意向で現在専業主婦をしてるが、そろそろ飽きてきたので働くことを考えている。ここ八年くらいで外堀を埋めることを覚えたので、こっそり計画中。仁見を眺めては、時々あの頃はあんなに可愛かったのになあ、って惜しい気持ちになる。次に会ったときくらいに雛子と連絡先交換して、仲良くなればいいと思う。



住吉咲良:雛子の妹。しっかりというよりちゃっかりしてる。彼女から見ると姉はどこか抜けてて放って置けない。仁見のことは姉を泣かせたのでよく思ってない。



宝田美奈:華やかなタイプの美人。はきはき物を言い、社交的で明るい。おどおどしてて人の顔色を伺ってばかりの雛子が鬱陶しくて嫌い。



以上です。こんなところまでありがとうございました。


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