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住吉雛子は唸っていた。自身の住む賃貸マンションの一室で、ベッドにもたれかかり、正面に設置されたテレビと向かい合っている。その手にはリモコンが握られており、今にも電源を落とそうとしていた。
雛子は小説も映画もドラマも、人並みに好んでいる方だと自負している。しかし、そんな彼女にも苦手なシチュエーションというものがあった。
人が死ぬ物語、それも病気が関わる物語がどうにも苦手だった。理由は至極単純明快。いかにも感動系と銘打たれ、それも人の生き死にが関わる物語であれば、それで感動出来なければまるで自分が非情な人間になってしまったように感じてしまうからだ。
感じ方など人それぞれ。千差万別。どんな物語で、大衆がどんなに評価したとしても、全ての人に響くとは限らない。自身がその例外になってしまうということも、けしてあり得ないことではないだろう。それでも雛子は自身の冷たさを目の当たりにしてしまったような気持ちになり、少しばかり虚しくなってしまう。だから彼女は、人の死ぬ物語が嫌いだ。
二十五にもなってなんて詰まらないことで落ち込んでしまうのだろう、と思うが、二十五にもなったからこそ、これまで培ってきた価値観というものは中々打ち破れそうになかった。
そんな雛子の一人暮らしをしている部屋では、今まさに人が死ぬ映画の宣伝が流れていた。不可抗力である。時間つぶしのつもりで点けたテレビから、ちょうどその映画の情報が流れてきたのだ。ただでさえ苦手なシチュエーションの映画であり、その上会社で彼女が苦手とする同僚が、絶対泣けると力説していた映画だった。同僚の嬉々とした横顔と、正面から向けられる小馬鹿にした顔を思い出し、余計に雛子の気分は下降する。
「休みの日まで思い出すのはやめよう」
溜息一つと共に、雛子はそう呟いてテレビを消した。一人暮らしを初めて三年目、独り言を呟く癖がすっかり板についてしまっていた。
背もたれ代わりにベッドに体重を預けて天井を仰ぐ。テレビを見て時間を潰すつもりが、いきなり出鼻を挫かれてしまった。これからどうやって時間を潰そうかと途方に暮れる。
常ならば出かけたいものだが、今日の雛子には自宅にいなければいけない用事があった。
九月も終わりに近づき、朝晩は上着がなくては少し肌寒く感じるようになってきた。今年は冷夏であり暖冬らしく、秋を迎えるのも例年より一層早い。そろそろ冬支度の計画を立てなければ、と思っていたところで雛子は自宅の天井付近に設置された『問題』に直面することになる。
夏の間は騙し騙し使っていたエアコンだが、そのエアコンの風の吹き出し口が少し前から閉まらなくなっていた。それ以外は正常に電源も切れ、風も止まるので忙しさを言い訳に放置してしまっていたが、いつまでもそのままではいられない。何より、もうそろそろエアコンを見上げる度に空いたままの吹き出し口と顔を合わせたくなかった。
重い腰を上げて先日マンションの管理会社に連絡し、そこからエアコン修理の業者を紹介してもらった。そして、仕事が休みである土曜日の今日、とうとう修理に来てもらえることになったのだ。電話で話したところ、場合によっては日を改めて大掛かりな修理、もしくは本体ごと交換することもあるそうが、雛子の現状ではおそらく吹き出し口を交換すれば今日一日で修理も終わるだろう、ということだった。
一応十三時半頃に雛子の家を訪ねてくれる約束となっているが、前の客が長引けば時間が押してしまう場合もあると言われた。だから、雛子は今日一日予定を入れず家にいなければならなかった。
ふと爪先を見れば薄ピンクのマニキュアが少し剥げてしまっていることに気付く。昼ごはんを終えた雛子は小さく溜息を吐いて爪先を撫で、約束の十三時半まで三十分ほど、本を読んで時間を潰すことに決めた。
『すみません、三十分ほど遅れます』
そう連絡が入ったのは十三時二十分を少し過ぎた頃だった。ああはい分かりました、と返事をした雛子は、存外若い人が来るのかもしれないな、と思った。もっと所謂『おじさん』と呼ばれる年齢の人を想像していたが、電話の向こうから聞こえてきた声からは若々しい印象を受けた。
もしかして同い年くらいの人かもしれない。そう思った雛子は、土曜日も働いて大変だなあ、と至極暢気に考えていた。それほどの関心はなかった。強いて言うならば、父親以外の男の人に部屋を見られるのは初めてなので、多少恥ずかしい気がしたくらいだ。その考えも、自意識過剰だとすぐに振り払う。
そんな、ある意味で悠長に、けれど順当な反応でエアコン業者の訪れを待っていた雛子は、訪れた業者を視界に収めてぎょっと目を見開いた。
「すみません、遅くなってしまって」
オートロックを解除し、部屋の前まで来てくれた彼は、そうまず一番に謝罪をした。それはいい。丁寧だと思いこそすれ、何も疑問に思うことではない。雛子が言葉を失って彼を見つめたのは、彼が非常に見目のいい青年だったからである。
身長は百五十センチ半ばほどある雛子より、二十センチ以上高いだろう。程よく引き締まっているが、痩せぎすではない。すっきりと整った目鼻立ちで、西洋彫刻のように凛々しく美しかった。唖然とするほど美しい面立ちに見惚れた雛子は、その後に別の理由で息を呑む。
その容姿に、雛子は覚えがあった。しかし、こうして顔を突き合わせたことがある訳ではない。それでは、どこで彼の顔を認識したのか、それは彼女の記憶の中の面影に関連する。
思わず、といったように雛子はその面影の名を呟いた。
「仁見、くん………?」
すると、青年は不思議そうに首を傾げ、そのまま雛子へ視線を向けた。玄関に立ったまま、一段高い室内に立っている雛子よりも更に高い目線から見下ろして、不躾とも言える視線で彼女を観察する。それから、何かに思い至ったように目を見開いた。
「もしかして、住吉か?」
それはほとんど確信を込めた言葉だった。
彼は、中学生だった頃の雛子が憧れていた仁見清春が、そのまま大きくなったような容姿をしていた。




