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 雛子には朝のテレビ番組でよく見かける星座占いに注目する習慣はない。今日も特に確認することなくテレビを消して家を出たが、退勤するときになってきっと自分は最下位だったのだろう、と確信した。


 朝、人にぶつかられてタイツを破いた時点で相当ついてないと思っていたが、それに加えて退勤間近になって急に仕事を回され、結局大幅な残業をすることになった。帰りが普段よりも一層遅くなり、夜が深まることで冷え込みは強くなっていた。手先が冷えるのが嫌で、雛子は鞄に入れておいた手袋を嵌めて帰宅する。

 朝の段階では、今日の夜にでも清春に連絡を取ってみるつもりだった。しかし、思いの外帰宅が遅くなってしまったことと、疲れきってしまったことで明日に見送ろうかと考える。疲れた状態で連絡を取れば、変なことを言ってしまうのではないかと心配になってしまう。明日は休日で、清春も早めに仕事が終わるはずだ。その時間を狙って連絡を取るのもいいかもしれない。


 自宅の最寄駅を出て、今朝見た天気予報で深夜に雪が降るかもしれない、と言っていたのを思い出した。どうりで寒いはずである。吹きすさぶ風が、コートの繊維の隙間を縫って入り込んでいるようにすら感じた。

 途中にあるスーパーに寄って、切らしていたたまねぎを買う。寒さのあまりか急にシチューが食べたくなって、一緒にシチューのルーも手に取った。人参はまだ冷蔵庫にあったはずだが、じゃがいもがあったかどうか思い出せない。しばらく考えたがやはり思い出せず、雛子は結局じゃがいもも購入した。


 スーパーの袋を右手に下げ、左肩にバッグを掛けて道を歩く。雛子のマンションまでの道のりは住宅街だ。それもあり、帰宅時間が遅いからかいつもよりも人通りが少ないような気がした。

 雛子の住むマンションの前には、木が植えられている。レンガで囲われた土の中に根を貼る、細身で小さな木だ。秋には紅葉するが、今ではすっかり葉を散らしてしまっている。


 その木の根元、レンガの部分に腰掛けるようにして座り込む、思いもよらない姿を見つけた。


「おかえり」


 会いたいとずっと思っていた清春が、何故だかそこにいた。


「ど、どうしたの?」

「んー…いるかなって思って」


 レンガに腰掛けていた清春は、立ち上がって雛子の前に立つ。彼はダウンジャケットは着ているものの、マフラーや手袋の類は身につけておらず、見上げた鼻の頭は寒さでだろう、赤くなってしまっている。


「いつからいたの?寒いよね。待たせてごめんね」

「約束してた訳じゃないし、雛子が待たせたんじゃないだろ」

「でも、あの………とりあえず、時間大丈夫なら私の部屋に行こう。風邪引いちゃう」


 そう言って雛子が促し、二人でエントランスに入る。風が届かなくなるだけで、随分温かく感じた。オートロックの鍵を開けようと、買い物袋を下げたままぎこちなくキーケースを取り出そうとすれば、清春が買い物袋を預かってくれる。ありがとう、とお礼を言って、その間にキーケースを探す。鍵を回せば自動ドアが開いた。


「シチュー作るのか?」

「え?ああ、寒いから、食べたくなって。明日にでも作ろうかなって」


 今日は帰宅が遅くなってしまったので、簡単に済ませるつもりだった。並んで一緒に歩き、階段を上るが、二人の間には沈黙が落ちている。雛子は何を話せばいいのか分からなくなっていた。連絡を取ろうと思い、話したいと思っていたのだが、いきなり顔を合わせても戸惑いが大きく、言葉を上手く紡げない。


「………………この間、言い過ぎたから。ごめん」

「仁見くんは間違ったことは言ってないでしょ。謝らないでよ」


 自分の甘えが原因で彼にあんなことを言わせたのだ、と思うと謝られるとどうしようもなく居たたまれない。


「おまえの言葉は正しいけど優しくないってよく言われる。この間のもそれだなって思って」


 雛子の部屋は四階建てマンションの三階にある。階段を上りきり、部屋の前に辿り着いたところで、清春の目が彼女を見下ろした。


「怒ってる?」

「怒ってないよ。仁見くんは?……………呆れちゃった?」

「呆れてない」


 鍵を鍵穴に差し込んだ状態で、雛子は自身の手を見つめる。彼の反応が怖かった。同時に、呆れていない、と言われたことで安堵する自分にどうしようもないな、と思う。


「ああいう言い方、好きじゃないけど、雛子のことをそれで呆れたり、嫌いになったりはしない」


 清春のたったそれだけの言葉で、雛子は救われるような心地だった。この一週間の不安が解消され、思わず涙腺が緩みそうになってしまう。見上げた彼の表情が、珍しく困ったように頼りなさそうで、その言葉が優しさではなく本心から口にしてくれているのだと分かった。


「ほんと?」

「うん。雛子は、嫌いになったか?」

「ううん、好きだよ」

「そうか」

「私、直すから。卑怯で甘えたなとこ」

「いいよ、僕が優しくできるようにする」


 清春がそう言ってくれて、雛子は堪らなく嬉しかったけれど、だからこそ余計に直そう、と思った。雛子自身、そういう自分の弱さが嫌いだった。

 鍵を開けて部屋に入る。スーパーで買ってきたものをキッチンに置いてもらい、雛子はエアコンを起動させてこたつのコンセントを差す。



「こたつ入ってね。寒かったのに遅くなってごめんね。来てくれてありがとう」


 雛子がそう言えば、清春はダウンジャケットを着たままこたつに足を入れる。まだ上着を脱ぐには、部屋はよく冷えきっていて寒かった。クローゼットからハンガーを出し、彼が上着を脱いだときに掛けられるようにしておく。皺になるのが嫌だった雛子は、寒くてもコートを脱いでクローゼットにしまった。 


「まあ確かに寒かったんだが」

「そうだよね。今日雪降るらしいし」

「うぇ、そうなのか」


 心底嫌そうな顔で、清春が呻き声のようなものを上げる。それから、くるりと表情を変えた。


「でもまあ、今はもう寒くないから、別にいいんだ」


 こたつに両手を入れて、清春が雛子の見慣れた笑顔を見せる。無邪気な子どもみたいに、歯を見せる笑い方。大人の男性に向けるには相応しくないのかもしれないけれど、その顔がなんだか可愛くて、雛子は嬉しくなった。





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