第4話 ゆにちゃん、俺の外堀を埋めにくる
思い返してみると、小桜さ――いやゆにちゃんと初めて会ったのは去年の12月。
彼女が受験直前のことだった。
それからちょくちょく顔を合わせる機会があり、4月にはウチの高校に入学してきた。
手芸部にも入部し、今では俺と彼女は先輩後輩の間柄になっている。
正直、つい最近まで本当に普通の可愛い後輩だと思っていた。
部活こそ同じだけど、アイドル並みに可愛いゆにちゃんとは住む世界が違うと思ってた。
それが今や、ずいぶんと関係性が変わってきている。
「不思議なもんだなぁ……」
ここは2年A組の教室。
ちょうどホームルームが終わり、帰り支度をしながら、俺は独り言をつぶやいた。
すると前の席の生徒が振り向いてきた。
「お、珍しく難しい顔してんなぁ? どうしたん、春木?」
尋ねてきたのは、クラスメートの近藤。
茶髪でノリの軽い友人だ。
俺は帰り支度の手を止め、なんとなく天井を見上げながら答える。
「あー、うん。ちょっと悩みごと……かな?」
「あれま、マジで珍しいじゃんよ。女絡みか?」
「うん、そんな感じ」
「は?」
なぜか近藤の目が点になった。
「え、マジで? あの春木が……女子のことで悩んでんの?」
「あの春木がって、そんな変かな?」
「変ってわけでもねえけども、春木ってば無欲&無趣味じゃん? 僧侶系男子って巷では有名なのに、まさか女絡みとは……お釈迦様もびっくりよ」
「僧侶系って……」
そんなふうに思われてたのか、俺。
若干、ショックだ。
しかしそんな俺の気も知らず、近藤は身を乗り出してくる。
「んで、春木僧正」
「僧正……」
「具体的にはどんな悩みなんですかい? 俺に答えられることなら女子の口説き方からホテルの入り方まで、なんでも教えてしんぜるぜ?」
道を示すって意味なら、近藤の方がよっぽど僧正っぽかった。
まあ、それはともかくとして、相談に乗ってくれるならありがたい。
俺の悩みの根幹は、もちろんゆにちゃんのことだ。
ただ具体的にと言われると、これまたちょっと悩ましい。
たぶん俺が整理しなければならない事柄は色々ある。
「うーん……」
少し考え、やがて思い至った。
「いくつかあるんだけど、一番は……」
「ほうほう」
「……アルパカ?」
「ほうほ…………は? ある、ぱか?」
また近藤の目が点になった。
「アルパカって……あのアルパカか? あのぼんやりムードな?」
「そう、まさにそのぼんやりムードなアルパカ!」
ちょっと勢い込んでしまった。
最近、俺はゆにちゃんにちょこちょこアルパカ扱いされてしまう。
でもそこまでアルパカでもないと思うのだ。
まずはそこを整理しておきたい。
「でさでさ! そのアルパカ問題なんだけど――」
「あー、待ってくれ、春木。確認させてくれ。これは女絡みの悩みなんだよな?」
「そうだよ? 間違いない」
「ってことは……そのアルパカはメスなのか?」
「いやオス」
「オスなのかよ!?」
なぜか愕然とする、近藤。
でもアルパカは俺のことだし、オスだと思う。
「わかんねえよ、僧正! 俺には仏門のことはさっぱりわからねえ……!」
「落ち着いて、近藤。まずは冷静になってお経を唱えよう。南無阿弥陀仏」
「南無阿弥陀仏……っ」
「落ち着いた?」
「ああ、落ち着いた。ありがとな。さすがだぜ、春木僧正」
近藤は胸に手を当てて、息を吐く。
良かった。
友を混乱の渦から救うことができた。
ひょっとしたら俺には僧正の才能があるのかもしれない。
「で、相談の続きなんだけど」
アルパカのことは一旦、置いておこう。
近藤を混乱させちゃ悪いし。
「知り合いの子に……えっと、なんていうか……」
あれ?
いざとなると、説明が難しいな。
俺はゆにちゃんから直接『好き』って言われたわけじゃない。
そういう雰囲気は醸し出されてるけど、明言はされてなかった。
とすると、近藤への相談の仕方としては……。
「ええと、名前で呼んで、って言われたんだ」
「へえ、脈ありじゃね?」
「脈ありなのかな?」
「嫌いな奴に名前で呼ばせたりしねえさ、女子は」
妙に含蓄のある雰囲気で近藤はニヤリと笑う。
「しっかし春木相手にその直球ぶり……なかなか作戦を練ってきてるな、その子」
「へ? どういうこと?」
「だって鈍感じゃんよ、春木」
なんかバッサリ言われた。
目を瞬く俺へ、近藤はさらに続ける。
「たぶんその子、今までも春木にアプローチして来てるぜ? でもぜんぜん気づいてもらえなくて、ついに直球勝負に出たってとこだろう」
我が友人はだいぶモテる方なので、俺もその言葉はスルーできない。
まさか……とは思いつつ、近藤の推測をさらに拝聴する。
「名前呼びで一歩前進。ってことは次の手は……さらに一撃? いや違うな……次は外堀を埋めてくターンってとこかねぇ」
「そ、外堀? どういうことさ?」
「そのまんまの意味に決まってんだろ? つまり――」
と、その時。
ふいに教室の前の方から聞き慣れた声がした。
「すみませーん。春木先輩いますかー?」
砂糖いっぱいのミルクみたいな甘い声。
耳にとても心地良く、クラスメートたちの視線がそちらへ集まる。
直後、教室中が一斉にざわついた。
扉の前に立っていた少女があまりに可愛かったからだ。
一見、お嬢様っぽく見えるハーフアップの髪。
アイドルみたいに整った、美しい顔。
それらと相反して良いギャップになっている、ちょっと小悪魔っぽいイタズラっ子な表情。
言わずと知れた、学校一の美少女。
ゆにちゃんがウチの教室に降臨してらっしゃった。
「は……る、き……?」
ギギギ、と近藤がこっちを向く。
「お前、今の話ってまさか……あの『我が校に舞い降りた、美しき超新星・小桜ゆにちゃん』のことなのかーっ!?」
「え? あ、うん、ゆにちゃんのことだけど……なにその通り名?」
「通り名はどうでもいい! ってか、マジで名前呼び!? おま、お前ってやつは……っ」
「ちょ、ちょ、ちょ!?」
近藤に襟を掴まれ、がっくんがっくん揺さぶられた。
その間にまわりの男子たちもわらわらと集まってくる。
「春木! どういうことだよ、これ!?」
「信じてたのに……お前は僧侶系男子のはずだろう……!?」
「まさかあの小桜さんと良い仲なのか!? そうなのか!?」
「いやいやいや……っ」
俺がゆにちゃんと同じ手芸部なことはみんな知ってるはずだ。
だというのに、彼女が教室に現れることまでは予想外だったらしい。
場は非常に混乱している。
そんななか、すべてを包み込むようにゆにちゃんの声が響く。
ご丁寧に、元気よく手まで振りながら。
「迎えにきましたよー! 一緒に部活にいきましょー!」
笑顔がキラキラしていて、まるで天使のようだった。
待って、ゆにちゃん。
この状況でその天使の笑顔は業火にガソリンだから。
案の定、近藤&男子たちは愕然。
これはマズい、と思い、俺は近藤の手をすり抜けると、通学鞄を持って駆け出す。
「あ、春木が逃げた!」
「ちくしょう……っ。おい、幸せになれよ!」
「達者でな! 困ったことがあったら相談に来いよ!」
「小桜さんを泣かしたら承知しねえぞー!」
なんか、まるで故郷を出立する主人公みたいな雰囲気になってしまった。
俺が教室の真ん中を駆け抜けると、なぜか拍手まで巻き起こる始末だ。
まあ、ウチのクラス、みんな良い人だから、こうなるのは分かる。分かるけど、モブ生徒の俺としてはあまり目立ちのは胃が痛い。
そうしてほうほうの体で、なんとかゆにちゃんのところまでたどり着いた。
「ゆにちゃん!」
「こんちはです、春木先輩」
「こんちには、じゃなくて! ほら行こう、早く早く!」
「んー、お急ぎなら手を引っ張ってってくれてもいいですよ?」
「そんなことしたら教室中の混乱が加速して宇宙が一巡しちゃう!」
拍手の嵐から逃げるように廊下に出て、どうにか部室のそばまでやってきた。
ぜえぜえ、と俺は肩で息をする。
一方、ゆにちゃんはちょっと遅れてトコトコと歩いてきた。
「お疲れみたいですねー。大丈夫ですか?」
「ひ、ひとつだけ聞いていい……?」
「はい。なんなりと」
「もしかして……わざと?」
近藤が予想していた。
次は外堀を埋めてくる、と。
今の状況はまさしくそれだろう。
俺の問いに対して、ゆにちゃんはあご先に指を当て、ニコッと笑う。
「さあ、どうでしょう?」
「勘弁してよー……」
思わずその場に膝をつきそうになった。
「明日、きっと俺、みんなから質問攻めだ……」
「えー、そうなんですか?」
「そうだよ。だって、ゆにちゃんみたいに可愛い子が迎えにきたんだから」
「む」
唐突に彼女は唇を尖らせる。
「まーた気軽に可愛いとか言って……」
そう言うや否や、ゆにちゃんは俺の腕にギュッと腕を絡めてきた。
「えっ!?」
「ぜーんぶ春木先輩が悪いんですよー?」
彼女はそのまま俺を引っ張っていく。
「わ、悪いって何が……?」
「だって春木先輩、たまにしか部活来てくれないじゃないですか」
「そりゃあ……ほら、バイトもあるし、そもそも俺、半分ぐらい幽霊部員だし」
「アルバイトは仕方ありません。でも来られる時は顔を出して下さい。じゃないと今日みたいに迎えに行っちゃいますよ?」
「う……それは困る、かも」
「でしょー?」
してやったり、の顔。
やっぱり騒ぎになると分かってて、彼女は俺の教室に来たらしい。
この感じだと、外堀を埋める意味合いも大いにありそうだ。
でも、どうしてそこまで……。
と思っていたら、考えていることがつい口から出てしまった。
「どうしてそこまで……」
「はい?」
「あ、いや……っ」
ゆにちゃんの眉がつり上がったのを見て、慌てて言葉を濁す。
でも彼女は怒らなかった。
逆に拗ねたように視線を逸らす。
「どうして、ってそんなの……」
ゆにちゃんはつぶやくように言った。
恥ずかしそうに頬を朱色に染めて。
「もっと……先輩に逢いたいからです。わかりませんか?」
ドクンッと胸が高鳴った。
気恥ずかしくなって、俺は空いてる方の手で頭をかく。
「あ、いやその……」
そして蚊の鳴くような声でどうにか答えた。
「……すみません、わかります」
俺がそう言うと、ゆにちゃんはほのかに微笑んだ。
ちょっと照れたように咳払いをし、
「えと……わかってくれてるなら良いです」
「うん……」
「…………」
「…………」
なんか……すごく恥ずかしい空気になった!
俺は何とも言えず、明後日の方を向き、ゆにちゃんも次の言葉を見つけられずに視線を逸らす。
でも腕は組んだまま。
「えーと……」
「んー……」
部室まで数メートル。
むずむずするような空気で俺たちは歩いていきました。
次話タイトル『第5話 春木先輩、髪フェチへの目覚め』
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