第12話 開戦、俺はゆにちゃんを口説きに参る
「よし、まずは深呼吸だ……」
放課後の南校舎。
ここは手芸部の部室前。
俺は扉を前にして、息を吸い、吐いて、気持ちを整える。
いつも通りならすでにゆにちゃんは来ているはずだ。
彼女の笑顔を思い浮かべるだけで、鼓動が激しくなってくる。
でも冷静さを失ってはいけない。
俺は必死に自分を律し、精神を統一する。
……やるぞ。俺はやるぞ。
始まりはつい昨日のこと。
俺はゆにちゃんに告白し、フラれてしまった。
理由は俺の『好き』がゆにちゃんのそれと比べて軽いから。
そう言われてしまうのは仕方がないことだ。
俺がゆにちゃんのことを気になりだしたのはつい最近のこと。
対してゆにちゃんは半年間、俺のことを想い、アタックし続けてくれていた……らしい。申し訳ないことに俺はぜんぜん気づいていなかったのだけど。
彼女が積み重ねてくれた想いと時間に比べれば、俺の気持ちは客観的には軽いものになるだろう。
いつか俺の『好き』がゆにちゃんに納得してもらえるレベルにまで達したら、ちゃんと付き合ってもらえると思う。
「でも……そんなの待っていられない」
俺はすぐにでもゆにちゃんと付き合いたい。
そんな強い気持ちが胸の中に渦巻いている。
だって、こんなふうに誰かを好きになったのなんて、生まれて初めてのことなんだ。
その事実に気づいてしまったら、もう居ても立っても居られなかった。
だから昨日、俺はゆにちゃんに宣言した。
必ず君を口説き落とす、と。
そして今日、これからその言葉を証明する……!
「よし、行くぞ! 俺はやる。必ずやり遂げる!」
小声でつぶやき、手芸部の扉を見据えてキッと顔を上げる。
「絶対にゆにちゃんを口説き落としてみせる――ッ!」
扉に手をかけ、一息でガラガラッと開け放った。
「来たよ、ゆにちゃん! ちょっと俺から話が――って、あれ!?」
誰もいなかった。
長テーブルや手芸用品が並ぶ部室は完全に無人。
ゆにちゃんの姿もなく、俺の声だけが虚しく響いた。
「な、なんだ、まだ来てないのか……」
めちゃくちゃ気合いを入れていたから、思いっきり肩透かしを食らってしまった。気持ちの行き場を見失い、俺は部室の入口で立ち尽くす。
すると次の瞬間。
まるで計っていたかのようなタイミングで背後から声を掛けられた。
「こんにちは、春木先輩っ」
「うわぁ!?」
ゆにちゃんだった。
完全に弛緩した瞬間に背後を取られ、俺は思わず飛び退いてしまう。
危うくそのまま転ぶどころだった。
どうにか堪え、俺は振り向く。
「ゆ、ゆにちゃん!?」
「はい」
軽やかなうなづき。
と同時に自分の頬っぺたに指を当てて、あざといぐらいの可愛い笑顔。
「あなたのゆにちゃんですよー?」
「なあ……っ!?」
あ、あなたの!?
あなたのってなに……!?
硬直して言葉も出ない、俺。
一方、ゆにちゃんは余裕の笑みを浮かべ、きゅるんっと効果音でも鳴りそうな可愛さで首をかしげてみせる。
「何をびっくりしてるんですー?」
「な、何をって、だって、あ、あなたのって……っ」
「おかしいですか?」
ゆにちゃんんは頬っぺたに当てていた指を今度は唇に持っていく。
そのまま流れるように上目遣いのキラキラ視線。
「だってわたしたち――もう両想いですし?」
「そ……っ」
そうだけど!
そうなんだけど!
「で、でも俺たち付き合っては――」
「はい、付き合ってはないですよ? わたし、春木先輩をフッちゃいましたから」
「ぐはっ!?」
大剣のような言葉の刃に胸を貫かれ、心が吐血した。
そうだ、昨日今日とテンション上がって気にしてなかったけど、俺、よく考えたらゆにちゃんにフラれてるんだった……っ。
俺は胸を抑えてプルプルとうずくまる。
その間にゆにちゃんは部室の電気をつけ、通学鞄を長テーブルに置き、パイプ椅子に座って一息ついたところで、ようやく屍のようになっている俺に気づいた。
「あらら?」
「…………」
「春木先ぱーい?」
「…………」
「返事がない。ただの屍のようですね」
「…………」
……はい、ただの屍でございます。
うずくまったままでピクピクしている、俺。
ゆにちゃんはこちらを見て、呆れたように頬杖をつく。
「も~、しっかりして下さい。わたしを口説き落としてくれるんじゃなかったんですか?」
……わ、わかってる。
もちろん俺の心はまだ折れてない……。
が、すぐには立ち上がれそうになかった。
そこへさらなる追撃のお言葉。
「まだ、ちょーっと足軽部隊の突撃タイミングを読まれて背後を取られて、畳み掛けるような奇襲で騎馬隊と鉄砲隊を壊滅させられた程度じゃないですか。まだ本隊の春木先輩の大将首は残してあげてますから。だから大丈夫、まだ戦えますよ。頑張って」
「なん、だって……!?」
俺は驚愕して顔を上げる。
恐るべきは、今のゆにちゃんのセリフ。
足軽部隊の突撃タイミング……確かに俺はゆにちゃんがいるものと思って部室に突撃した。でも無人で拍子抜けしたところへ、直後に背後から声を掛けられて動揺した。
騎馬隊の壊滅……『あなたのゆにちゃん』という言葉の一撃は俺の出鼻をくじくのに十分だった。
鉄砲隊の壊滅……『もう両想いですし?』という威力に俺の思考は見事に粉砕されてしまった。
そして大将首……フラれたという事実を突きつけられ、俺は刹那で戦闘不能な屍になった。
ここまでわずか数十秒。
しかも『大将首は残してあげてます』という言葉から手加減されていたことは明白である。
どんな名軍師だって即興でここまでの戦闘の組み立ては出来ないはずだ。
そこから分かる事実は一つ。
「俺の行動は……ぜんぶゆにちゃんに読まれてた!?」
「ご名答です」
頬杖をついた彼女は圧倒的強者の風格で笑う。
「昨日の『ゆにちゃんを口説き落とす』という言葉を聞いた時から、春木先輩が出会い頭の先制攻撃を仕掛けてくることは読めていました。権謀術数を巡らすような器用さは春木先輩にはありませんから」
「そ、そんなことはないよっ。俺だってその気になれば……っ」
「でも実際、猪突猛進な先制攻撃しか考えてなかったでしょう?」
「う……っ」
仰る通り過ぎて反論できなかった。
「なので、あらかじめ廊下の陰から様子を窺っていました。そして部室にわたしがいなくて肩透かしになった春木先輩の背中を――ばんっ」
鉄砲で撃つ仕草をする、ゆにちゃん。
しっかり火縄銃のジェスチャーだった。
「あとは的確な攻めで切り崩せば、春木先輩の心の軍勢は丸裸。毛刈りをされてオモシロ画像みたいになっちゃった丸裸のアルパカさんの出来上がりです」
「そんな馬鹿な……っ!?」
毛を刈られて見た目がヒョロヒョロになったアルパカを想像し、俺は戦慄した。
名軍師ゆにちゃんを前にして、今まさに俺がそのアルパカ状態だからだ。
恐ろしい……っ。
彼女は俺の行動すべてを予測していた。
その上で怒涛のカウンターを合わせてきた。
恋愛における、彼我の戦力差をまざまざと見せられた思いだ。
「ふふ、伊達に半年間、あなたを見続けていませんよ?」
柔らかく目を細め、俺へと向けられる優雅な笑み。
前哨戦は完全にこちらの負けだと言っていいだろう。
でも大将首は残っている。
それがゆにちゃんの手加減によるものであったとしても、俺の心はまだ折れていない。
胸に手を当てて、必死に自分を奮い立たせる。
こんなところで屍になったままでいいのか。
いや駄目だ。
俺はゆにちゃんを口説き落とす。
そう誓ってここにきたんだ……!
立ち上がれ、春木音也!
床を蹴って身を起こし、俺は声を張り上げる。
「ゆにちゃん、話があるんだ!」
彼女を見据え、表情を引き締める。
本来は部室に入ってすぐにやろうとしていたこと。
彼女を口説き落とすために考えてきた、俺の唯一絶対の一撃。
それを真っ直ぐに解き放つ。
「俺と付き合って下さ――――いっ!」
直後、早口でバッサリ。
「残念、0点です。ごめんなさい。出直して下さい。その程度じゃわたしの軍勢は足軽ひとりだって倒れません。春木先輩の火縄銃、湿気ってますよ。普通に弾が出てません」
「ぐはっ!?」
瞬殺されて今度こそ俺は屍になった。
バッタリと床に倒れ伏す。
「そ、そんなぁ……」
「まったくもう」
しょうがない人ですね、と言って、ゆにちゃんは椅子から立ち上がり、こっちに歩いてくる。
「せっかく事前に忠告してあげたのに結局、猪突猛進じゃないですか」
スカートを押さえて屈み込み、倒れた俺の顔を覗き込んでくる。
「自分が火の玉ストレートに弱いからって、わたしもそうだとは限りませんよ? 予想はしてましたけど、春木先輩、ひょっとして恋愛経験ゼロですね?」
なんとも情けないけれど……ここまで大敗を喫してしまっては虚勢を張ることもできなかった。
俺は頬に床の冷たさを感じながら素直にうなづく。
「それはそうだよ……。だって、ゆにちゃんが俺の……初恋だもん」
「えっ」
一瞬、驚いたような間が空いた。
「わたしが初恋……?」
「うん」
「初めて?」
「初めて」
「……そ、そっか。そうなんですね……。ふ、ふーん……」
あれ?
ちょっと顔赤い?
気のせいかもしれないけど、なんか……ゆにちゃんに攻撃が通ったような気がしたぞ?
不思議に思って俺は顔を上げる。
「ゆにちゃん?」
「だったら……」
ふいに目の前に影が下りた。
なんだろう?
と思った瞬間、とてつもなく近くに彼女を感じた。
そして――。
「初恋記念にちょっとだけ……サービスしてあげます♡」
――チュッと頬にキスされた。
一瞬、頭が真っ白になった。
驚きのあまり、俺はバネ仕掛けの人形のようにがばっと起き上がる。
「え――っ!? ?? い、今! 今、ゆにちゃ……っ!?」
もう彼女は立ち上がっていた。
手のひらで自分の唇を隠し、照れたような笑み。
「嬉しいですかー?」
「う、嬉しいけど! めちゃくちゃ嬉しいけど……!?」
「じゃあ、もーっと頑張らなきゃですね?」
トン、と俺に一歩近寄ったかと思うと、
「頑張って、頑張って、早くわたしをカノジョにして下さい♪ そしたら……」
ゆにちゃんは俺の頬にキスした唇で、ナイショ話のようにそっと囁く
「またチューしてあげます♡」
「~~~~っ!」
もう頭が沸騰しそうだった。
強い。
強過ぎる。
追う恋よりも、追われる恋こそ小桜ゆにの真骨頂。
昨日、橋で彼女が言っていたことは本当だった。
「Oh、シット……っ」
「あらら?」
ゆにちゃんの天性の魅力に心を射抜かれ、俺は……三度、床に倒れたのでした。
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