9話 万死に値する罪
「わたしがルカに伝えたんだ。ルイが娘を逃亡させるよう手引きし、ここに連れてこい、と」
武官長は大声で笑い、顎髭をしごく。
「ルカはずっとぼやいていたよ。その娘と知り合ってからルイは変わった。こんなことではやっていけない、とわたしに相談をしてくるのでね。ならば、任務に失敗する前に、始末してしまおう、と」
武官長は目を細めておれを見る。
「ルカの足手まといはいらん。もとより、お前たちは、どちらかひとりでよかったんだ」
冷ややかに言われ、おれはルカを見る。
「そうなのか?」
尋ねると、ルカはようやく氷が解けたように身体を震わせた。おれを見、それからはげしく首を横に振る。
「違う!」
返事は短い。真っ青な顔で首を何度も横に振る。
「そう言いたくなる気持ちもわかるぞ、ルカ」
武官長が肩をすくめるが、ルカは「黙れ!」と怒鳴りつけた。
「違う、ルイ! 嘘だ! ぼくは裏切ってなんかいない! 信じて!」
ルカの叫びを聞き、頭に蘇ったのは、任務が終わった後、ふたりで教会の塀に座って満月を眺めた夜のことだ。
レイラと一緒に逃げるのか、と。
ぼくを置いてどこかに行くんだろう、とおれをなじるルカの姿。
「ルイ!」
おれの分身が、おれの名を呼ぶ。
「ルカ」
おれはあいつを見つめ、名前を呼んだ。
その後、小さく噴き出してしまった。
「お前がおれを裏切るわけないだろ」
泣き出す寸前の瞳でおれを見つめるルカは、ようやく、くしゃりと顔を崩した。
「そうですわ」
鈴を鳴らしたような声が隣で聞こえ、おれはぎょっとする。見ると、背後に隠したはずのレイラがいつの間にかおれの隣りに並び、肘に捕まってルカの方に顔を向けていた。
「ルカさまがルイさまに害をなすはずがございません」
ほう、とレイラは吐息を漏らした。
「なるほど、仲違いさせて、ふたりとも殺しあえばいい、と。そういう算段ですか。まったく、なぜわたくしが独房などに移動させられたのかと思えば……」
レイラは茫洋とした瞳を周囲に彷徨わせた。
「魔術師らしきものがいるようですが……。本気になったおふたりに敵うわけはありませんし……。まあ、ふたりで殺しあっているところを狙えば、あるいは、とお思いになったのでしょう」
滔々と語るレイラに、おれは呆気にとられる。それはルカも同じらしい。何度もまばたきをし、「レイラ?」と呼びかけていた。
「ですが、なんというか……。全く、お分かりになっておられませんのね」
レイラは冴え冴えとした表情で一同を睥睨する。
「ルカさまがルイさまを。ルイさまが、ルカさまを裏切るわけありませんでしょう。しばらく一緒に過ごしたわたくしでもわかることを……」
レイラは鼻を鳴らした。
「目があっても見えてなくては同じですわね。それとも、あなたがたには、このおふたりが道具にしか見えなかったのでしょうか」
「き、貴様……。何者だ」
武官長が佩刀に手をやる。咄嗟におれもルカも低く構えたのだけど。
「いまさら、何者だ、とは。おかしなことをおっしゃる」
愉快そうにレイラが笑う。
「猊下はご存じなのでは? だからこそ、急にわたくしを始末しようとお思いになったのでしょう」
猊下、という言葉が彼女の口から出たことで、動揺は一気に広まった。誰もが武官長の様子を窺うが、武官長とて詳細は聞かされていないことは、その顔を見れば明らかだ。
「猊下からは、双子と娘を始末しろと命じられた。かまわん、殺れ」
武官長は言うなり、自分はさっさと後ろに下がる。入れ替わるように前に出てきたのは、呪術師たちだ。ルカが小さく舌打ちしたのが聞こえる。
「これで魔力は使えない」
「いや、武力行使でなんとかなるだろ」
おれが言うと、ルカは呆れたようにおれを見た。
「ざっと30人はいるよ?」
「おれたちは今、ふたり揃ってんだぜ?」
片目をつむって見せると、ルカは弾けるように笑った。
「ちがいない。ふたり揃ってりゃ最強だよね」
言うなり、ルカは両掌を打ち鳴らしたあと、おれに向かって片手を上げる。ばちり、とその手を叩き、さて、どっから殴り倒していこうか、と武官たちを眺めた時だ。
「わたくし、怒っておりますの」
不意にレイラがそんなことを言った。
「わたくしの命が狙われることは、まあ、よくあることですので敢えて取り上げることではありませんが……。このわたくしを使って、おふたりの命を潰そうとしたこと。まったくもって許しません」
「……レイラ?」
ルカが訝し気にレイラを見た。おれも、彼女を見つめる。
小さくて、つるんとした顔。いつもは柔和に細め、弓なりに笑みを湛えている唇。
その唇を真一文字に引き絞り、柳眉を寄せている。
いうなれば。
彼女は、大変怒った表情をしていた。
「その罪、万死に値します」
言った途端、雷鳴がとどろいた。
おれだけじゃない。誰もが身体を強張らせ、魔術師たちの中には、地面にひれ伏すやつもいた。
光と轟音を響かせる空を、おれは茫然と見上げた。
さっきまで雲一つない夜空だったというのに、黒雲が垂れ込め、その隙間から稲光がちらついている。まるで、レイラの怒りを放出させているようだ。
「お……、お前、何者だ」
武官長が震える声で問うが、その語尾はひと際激しい雷に打ち消された。
反射的におれはルカを抱えて地面に伏せる。
腹に響く重低音の後、肉を焼いたような異臭が漂い、いくつもの悲鳴が上がった。
「落ちた……」
もぞり、とおれの腕の中から顔を出し、ルカが抑揚のない声で呟く。
その弟の視線を追い、おれは言葉を失った。
武官長らしき男が、黒焦げのまま薄く煙を上げ、立ち尽くしているからだ。
「……ひ……っ。お前……。お前……っ」
呪術師が地面に這いつくばったまま、魔力封じの呪具を掲げたが、そこにも白蛇のごとく雷が襲い掛かり、呪術師ごと焼き尽くした。
「守護天使と同じような存在が、なぜ、教会本庁だけにあると思うのか」
レイラが告げる。
「愚かなことですこと」
レイラは長い栗色の髪を梳き上げる。
ふわりと宙を漂う髪は、雷の残光を受けて淡く発光しているようにも見えた。




