8話 守護天使の裏切り
◇◇◇◇
中庭で一緒に菓子を喰った二日後の夜。
おれたちは、本庁地下にいた。
壁に張り付き、背後を窺う。
角から顔をのぞかせ、前方の様子を確認していたルカが、耳元で「大丈夫」と囁いた。おれは無言で頷き、ルカの肩を軽く拳で叩く。
同時に走り出した。
「え……?」
木扉の前にいた神官が、驚いたように目を見開く。騒がれれば面倒くさい。
ちらりとルカがおれに視線を寄こす。頷き、神官を見た。
武官ではないらしい。逃げ出そうと背を向けるから好都合だ。背後から腕を回し、頸動脈を一気に締める。すぐに、落ちた。
もたれかかってくる神官の頭を抱え、ゆっくりと地面に降ろす。ちらりと木扉前のルカを見ると、中腰になり、顔を押し付けるような感じで鍵穴に針金を刺している。
ふたりともまだ魔力は発動していない。かがり火が焚かれてはいるが、視界は良い方ではなかった。
「こいつ、カギをもっていないかな」
おれが失神している神官の腰ベルトに手を伸ばしたら、ルカが笑顔で振り返った。
「開いた」
「おう」
そっと木扉を開ける。
意外にも室内は明るかった。湿気た臭いも不衛生な状態でもないようでほっとする。
地下なので仕方ないが、むき出しの木枠にレンガを積んで補強したような壁だ。だが、水が染み出ている様子も、崩れて床を汚している風もない。
寒いのは仕方がないが、絨毯がちゃんと敷かれた床に、肩に毛布を羽織らされてレイラは座っていた。
「レイラ」
おれが声をかけると、彼女は華やかに笑った。
「ルイさま? ルカさまもいらっしゃいますの?」
「いるよ」
ルカは大げさにため息をつき、彼女に近づく。
「なんでこんなところに閉じ込められているのさ。ルイ、小刀」
彼女の肘を掴み、立ち上がらせようとしたようだが、両手首が荒縄で縛られていることに気づいたらしい。つっけんどんに、おれに手を伸ばす。
「さあ、わたくしも、まったく訳がわからず」
腰に差した短剣をルカに手渡す。その間に、レイラは可愛らしく小首をかしげていた。まったく緊張感というものがない。
「ここ、どこなのでしょう。明日は、わたくしの親族とやらに会いに行く日だったのですが」
ぶつりと、拘束していた荒縄を断ち切ったルカが、呆れたようにまたため息を吐いた。
まあ、見えない、というのは良かったのかもしれない。
ここが地下牢で、かつ、処刑待ちの房だとわかって恐怖に震えていたり、泣き叫んでいるよりましだ。
「レイラ。どうも君は教会本庁に処分されようとしているらしい」
ルカが立ち上がらせた彼女に、おれは出来るだけ穏やかに伝えたのに。
「このまま地下牢にいたら、明日処刑されちゃうよ。なにしたの、君」
ルカがそのまんま事実を伝えてしまった。レイラは、「まあ」と目を見開くが、反応はそれだけだ。もっと驚くかと思ったが、拍子抜けする。
「どうしましょう。それでは、わたくしの親族とやらに会えませんわ」
「君、どんな思考回路してたら、そんなことを心配できるわけ」
呆れるのを通り越し、最早理解不能という顔でルカがレイラに尋ねている。
「とにかく、本庁から出してあげる。一番近くの……。警備兵がいる屯所まで連れて行くから、『迷子になりました』って伝えるんだ。そうしたら保護してもらえる」
おれが苦笑いしてそう伝えた。王都の警備兵は教会とは別組織だ。どちらかといえば、王家とのつながりが強い。教会も、そうそう手出しは出来ないだろう。
「では、おふたりも一緒にその屯所というところに参りましょう。それで、『迷子になりました』と申し上げて、保護していただきませんか?」
レイラはぱちぱちと数度まばたきをして、おれとルカを交互に見た。
「わたくしには、おふたりこそ、保護を必要にしておられるように思いますが」
おれとルカは顔を見合わせ、それから同時に噴き出した。
「そんなもの、おれには必要ない」「そんなの、ぼくには必要ない」
おれたちは同時に話す。
「ルカがいれば」「ルイがいれば」
声がそろった。
レイラはそんなおれたちをまじまじと見つめ、それからにっこりと笑った。
「そうですか。それではまず、ここを出していただきましょう。お手数をおかけしますが、よろしくお願いします」
深々と頭を下げるレイラの手を握り、おれは尋ねる。
「おれが手を引いていくけど、走れる?」
「ええ。段差や障害物がある場合はあらかじめおっしゃってください」
頷くと、レイラは一旦おれから手を離し、肘につかまった。そっちの方が誘導されるのには便利らしい。
「行くよ」
ルカが先に立って地下牢を出る。
おれはレイラを連れて続いた。
「なにか柔らかいものを踏みましたわ」
「……ごめん、言うの忘れてた。それ、神官」
まだ床に伸びたままだったが、レイラに踏みつけられても目覚めはしなかったらしい。
ルカの後を追って、おれはレイラに声掛けを続ける。石畳になっている、とか、あともうちょっとで階段がある、とか。螺旋になっているから気を付けて、とか。
レイラは思っているよりもずっと自由に動けるようだ。「ルイさまのお声掛けは素晴らしいですね」と時々褒めてくれる。
階段を登りきると、地下牢への出入り口になっている格子扉が開いたままになっていた。
ルカの姿は見えない。多分先に地上に出て、警戒してくれているのだろう。
「もう地上に出る。まだ真夜中だから、周囲は真っ暗だけど」
レイラに伝えると、彼女はくすりと笑った。
「わたくしの世界に、夜も昼もございませんわ」
ああ、彼女は目が見えないんだ、と慌てて口をつぐむが、特に気を悪くした風もない。結構早足で移動したが、息を切らしている様子もないので、安心しておれとレイラは扉を抜けて地上に出た。
そこにいたのは。
「……ルイ」
両手を挙げて、情けない顔をした双子の弟の姿だった。
「……どうして」
おれは肘を掴んでいるレイラを背後に押し隠しながら、茫然と見回す。
そこには、最高度の警備を施した武官たちが、ずらりと居並び、おれたちを包囲していたのだ。
「どういうことだ」
思わず呟く。
もちろん、レイラを連れ出す時に、なんらかの邪魔が入ることは予想していた。
だから警邏の時間を確認し、一番手薄になる時間帯を狙って地下牢に忍び込んだ。ある程度、見つかったとしても、どうにかなる。物心ついた時からこの教会本庁でおれたちは育った。抜け道や、神官たちの知らない場所はいくつもある。そんなところを使ってレイラを逃がせばいい。
そう思っていたのに。
今、包囲しているやつらは、まるでおれたちがレイラを逃がすのを知っていたかのようだ。
おれたち自身、レイラが投獄されたのを知ったのは、夜の礼拝の後だ。
彼女がいないことに気づき、ルカが内偵してきたのだ。そして、神官たちがレイラを処刑する準備をしていることを知り、おれに伝えた。
そこから急いで脱出計画を立てたのだ。
ばれるはずがない。
ばれる時間さえなかったはずだ。
「なぜ、武官だけではなく、お前たちに対抗できるように魔術師までここに控えているとおもう?」
一歩おれたちに踏み出し、問いかけたのは武官長だ。神官服の上に鎧をつけ、腰には儀礼用じゃない本物の剣を佩いている。準備万端なその様子を見せつけるように、あいつは、もう一歩おれに近づいた。
「お前の側に、裏切り者がいるからだよ」
にやりと口端を歪めて笑うから、おれは眉根を寄せた。
「裏切り者?」
おれの背後にいるレイラは、聞き耳を立てているようだ。目が見えていないから、どういう状況なのかわからないのだろう。恐慌状態になっていないだけ助かる。
「その娘が投獄され、明日処刑される。投獄された場所はここで、警備はどういう風になっているか。やけに都合よく知ったと思わないか?」
武官長は腕を組み、にやにや笑う。どういうことだ、と無言でその視線を跳ね返すと、武官長は短く笑った。
「ルカとわたしたちは通じているんだよ。お前を裏切ったんだ」
おれはまばたきをし、双子の弟を見る。
ルカは、凍り付いたように武官長を凝視していた。




