5話 三人のぬくもり
「手を握っても?」
「はえ!?」
なんか変な声が出たが、彼女は透明感のある笑みを浮かべたまま、手探りでおれの右手を探し出し、ぎゅ、と握った。
「体調が悪いとき、こうやって手を握ってもらうとほっとしませんか?」
「いや……、はあ……。まあ」
なんと答えたらいいのかわからない。
手を振り払ってもいいし、拒否してもいいんだろうけど。
ただただ、おれの手を握って穏やかに微笑む彼女を見ていた。
「行儀が悪いことですが」
急に彼女が切り出してきた。なんだろう、とおれは目をまたたかせる。さっき、口移しで水を飲ませてもらったことだろうか、と顔が熱くなる。
「神官さまたちのお話をいろいろ聞いてしまいまして……」
あれ、なんか思っていたのと違う、と、おれは彼女を見つめる。
「ルイさまやルカさまは、魔力を宿らせている、とか。なので、あのような特異的な体力や活動量を得ることができるのですか?」
「ああ……。うん、まあ」
なんだ、そんなことか、と苦笑いした。
……まあ、おれたちの存在は秘匿されているんだけど。
彼女がいて、そしておれたちが生活しているこの本庁の別棟は、そもそも、『守護天使』に関わる神官が多数いるもんだから……、まあ、どっかから聞いたんだろう。
こんな最重要機密事項を知って彼女は大丈夫かな、と、ほんの少しひやりとしたが。
……まあ、おれらの存在は都市伝説みたいなもんだ、と思い直した。
上位貴族のやつらや、王家に連なるやつらの間では、猊下が神から授けられた『守護天使』を使役して敵対勢力を潰している、とまことしやかに噂されている。
実際は、魔力を宿らされたおれたちが、殺しまくっているんだが。
そんなことを言っても誰も信じないだろう。
ましてや彼女は目が見えない。レイラ自身がまとっている不思議な雰囲気も相まって、空想話のようにとらえられるだけかもしれない。
まだ、疼く関節をなんとか動かして、寝位置を変えた。痛いことは痛いが、激痛からは遠ざかりつつある。
「ねえ、レイラ。あんまりその話を外ではしてはいけない」
一応念を押したのだが。レイラはあっさり無視をした。
「ルイさまとルカさまは、その魔力を使って、わるいやつらを退治しておられるのですか?」
レイラの質問に、おれは笑った。
笑って。
誤魔化した。喉の奥が、いがいがする。胸が、へこまされたように痛い。
わるいやつらは、どっちなんだろう。
「魔力を使った後は、いつもこのような後遺症に悩まされるのですか?」
レイラは質問を変えて来た。
「……うん。まあ、そうかな」
「ルカさまも?」
「うん」
初めて魔力を発動して寝込んだ時、ひたすら怖かったのを思い出す。
こうやって死んでいった友達たちをたくさん見て来た。痛い、痛いと泣きながら眠り、そのまま目覚めないやつなんて、ざらだった。魔力を行使した途端、腹が膨らんで破裂したやつもいた。
だから、自分も死ぬんじゃないか。
そう思って、ひたすら震えていた。
そんなおれを、一日中抱きしめてくれていたのはルカだ。『ルイ、死なないで。ぼくをひとりにしないで』と、ルカは泣いていた。
大丈夫。絶対にひとりにしない。
おれは心の中でずっと応じていた。声にするには身体が動かなさすぎた。ルカの涙を拭いてやりたくても、痛みに耐えられなかった。
その後、何度も何度も。
もう、数えきれないほどの後遺症に耐え、おれたちは18になった。最近では、明日になれば楽になると知っているから、ルカも最低限の世話だけして、おれから離れていく。
それなのに、と。
知らずにおれは口元が緩んだ。
ルカが寝込むと、おれはぴーぴー泣きつかれるんだ。
抱きしめて、とか、歌を歌って、とか、ご飯を食べさせて、とか。
こんな風に優しくされたのは、十年ぶりぐらいじゃないだろうか。
握ってくれている手が温かく、目は見えていないのに見守られている気配に、甘い眠気がやってくる。
丸薬が効いたんだろうか。痛みはほとんどひいていた。
「ルイー。って……。なに! ちょっと、なにやってんの!」
不意に扉が開き、神官服姿のルカが飛び込んできた。おれの手を握るレイラの手首を掴んで振り回し、手を離させるから、ぎょっとする。
「ちょ……。ルカ」
なにやってんだ、こら、と言おうとしたのに。
「まあ、ルカさま。おかえりなさいませ」
レイラは気にもせず、にっこりとルカに笑いかけている。
「ぼくがいないうちになにしてんのさっ!」
すかさず、ルカの怒声を吐いた。やめろ。頭に響く。
「ルイさまが非常におつらそうだったので、お薬を差し上げ、手を握っておりましたの」
「なんだって!? 君みたいなやつのことを泥棒猫って言うんだ!」
……うちの弟は何を言っているんだろう。
「だいたいね! 昔からこういうときは、ぼくが抱きしめたらルイは安心するのっ! 手なんて握らないで!」
言うなり、がばり、とシーツを剥ぎ、勝手におれの腕の中に入って来る。おい、暑い。
「まあ、そうでしたの。ルイさまも、おっしゃってくださればよかったのに」
レイラはにこにこ顔で立ち上がる。おれと向かい合って抱き着いているルカが、帰れ帰れ、とばかりに首だけねじってレイラを睨みつけた。
「では、わたくしはルイさまの背中から」
言うなり、どしり、とベッドに足をかける。
「「はあ!?」」
ルカと声を揃えて声をあげてしまうが、その後、無造作にレイラはルカを踏んだ。
「ぐひいっ!!!!」
「まあ、なにやら柔らかいものを踏んでしまいましたわ」
「それ、弟……」
「失礼しました」
笑顔で言い、ルカを踏みつけたまま彼女は腹ばいになる。
で、ルカとおれを乗り越える、というか、おれたちの上を這って進んで、ごろん、とおれの反対側に転がった。
「お、落ちてない!?」
慌てて振り返ると、結構近い距離でレイラの顔があった。
「大丈夫です。着地成功ですわ。では」
言うなり、おれの腰に腕を回して、ぴとりと背中に密着してくる。
「こうしていれば、ルイさまのおつらさも楽になるのですね」
彼女はそう言った。
声がちょうどおれの心臓の辺りでくぐもる。
呼気が熱を持ち、ふわりと背中を包み込んでくれた。腰に回された細い腕。ぎゅっと寝衣を掴む手。ルカとは違う。だけど、同じように優しく繊細な身体。
「離れろ、泥棒猫」
「ルカさま。ひとりよりふたりのほうが、効果は高いのでは?」
「ぼくひとりで十分」
「遠慮なさらず」
ルカとレイラがおれを挟んで言い合いを始める。
なんだかそれがくすぐったくて、おれはルカを抱きしめたまま、くつくつと笑った。
「なに? ルイ」
「どうされました、ルイさま」
なんでもない。そう答えて、目を閉じる。
ふたりに抱きしめられて。
温かいというより、もう、暑苦しいんだけど。
だけど。
また、とろとろとした眠りの中に戻って行った。




