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月下のふたり  作者: 武州青嵐(さくら青嵐)


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4話 後遺症

◇◇◇◇


 目を開いた途端、何ともいえない鈍痛に顔をしかめた。


「あ。起きた?」

 覗き込んできたのは、神官服を着たルカだ。


「気分はどう」

「最悪」


 口から洩れた声が熱を帯びている。声帯を震わせたせいで、鎖骨が痛んだ。呻きながら身体を仰向けにする。身体中の関節の……、なんていうか、つなぎあっているところに、棒の先端を突っ込まれて、ぐー、っと押されているような痛みがある。


「この後遺症さえなかったら、こんなところ逃げ出すのになぁ」


 目を閉じて痛みをやり過ごしていたら、ひやりとしたものがこめかみに触れる。薄く目を開けると、同じ顔がそこにあった。ルカだ。ベットの端っこに座り、汗ではりついた前髪をかき上げてくれている。


「ほんと、そうだな」


 おれも苦笑いを浮かべた。


 こんなところ逃げ出したい。

 おれたちの魔力を行使すれば教会本庁を脱走することは可能だろう。だけど、魔力の発動時間は24時間。その後、まったく動けない後遺症がはじまる。


 逃げ出し、隠れ、潜んでいようが、きっと教会の奴らは動けなくなったおれらを回収に来る。


 あいつらの枷だ、と思った。自由な翼を与えておき、同時に足や手には後遺症という鎖をつける。


「レイラは?」

 尋ねると、ルカは素っ気なく答えた。


「呪殺専門の神官のところ。取り調べ受けてる」

「あー……」


 おれは声を漏らした。

 昨晩のことだ。

 生贄にされかかったレイラを連れ出し、『君はどこから来たんだ? 家まで送ってやろう』。そう言ったものの。


『さあ……。わたくしのお家はどこなのでしょうか。守護天使さまたちはご存じありませんの?』


 逆に問い返されて愕然とした。


 目が見えない彼女は、物心ついた頃から屋敷の外に出たことがなかったらしい。

 自分がなんという地区に住んでいるのかも知らず、屋敷の外になにがあるのか、気にしたこともなかったらしい。


『じゃあ、お父さんの名前は? お母さんの名前でもいいけど』

 多分、貴族の娘だろう。両親の名前や苗字からたどることもできる。


『家には、メイド長と執事長はおりましたが……。両親が来ることはありませんでしたし……。父や母の名前は……。なんでしたかしら』


 とんだ箱入り娘だと呆れたものの、ルカは『馬鹿なんじゃない? この子』とはっきり言い切って焦った。


 仕方なく、そのままおれたちはレイラを教会本庁に連れ帰り、神官に任務遂行の件と、生贄にされていた少女を保護した、と伝えて引き渡したのだ。


「どうやって連れ出されたのか、とか、魔法陣や呪術はどのように行われていたのか、とか聞かれてるみたいだけど……。ほら、目が見えてないからさ。呪術的なことはあんまりわかんないみたい。だけど、儀式の参加者特定には役立つんじゃないかな。神官たちが期待してたよ」


「あー……、なるほどね」


 話すと、顎まで痛くなってきた。

 おれたちが部屋に突入した時は、あれだけの人数しかいなかったが、他にいるかもしれない、ということか。


 まあ、猊下げいか、敵が多いからなあ。ここで一網打尽とかにしたいんだろうが。


「とにかく、あんな馬鹿小娘のことなんて放っておいて。今日はゆっくりしていなよ」

 ぎしり、とベッドが軋む。ルカが立ち上がったらしい。


「ぼく、昨日の件の報告書を作って来る」

「あー……。悪い」


「悪くないよ。ぼくが調子悪いときは、ルイが作るじゃん」

 ルカは笑い、腰をかがめておれの額にキスをする。


「よく眠れますように。またあとで、痛み止めもらってくるから」


 ルカの言葉に、うん、とおれは返事をしたような、しなかったような。


 急激に眠くなり、まぶたを閉じる。

 いや、違うな。

 身体中から痛みが消えたせいだ。それで、眠気が勢力を盛り返したんだろう。


 時折。

 まるで、神の慈悲のように後遺症の痛みから解放される時がある。

 呼吸が楽になって、身体を回復させるために、自然に眠気が押し寄せて来る。

 いや、これは神の慈悲なんかじゃない、と意地悪く思う。

 おれたちを、殺さないために、時々水面から顔を出させて肺に呼吸を送り込ませているに過ぎないんだ。


 その証拠に。

 強烈な痛みに、呻きながら目を開いた時、全身から嫌な汗を拭きだしていた。


「ルイさま?」


 痛い痛い痛い痛い、とループ思考にがっつりからめとられていたら、綺麗なソプラノの声が鼓膜を撫でた。


「目が覚めました?」


 身体を少しでも動かしたら、痺れに似た痛みが襲い掛かって来る。だから、そろそろと眼球だけ動かして。


 ベッドわきにレイラがいるのを確認した。


「痛みますの?」


 彼女は昨日見た服装のままだ。髪だけは邪魔になるからか、ひとつに束ねて緩く編まれていた。うん、と無言で頷こうとしたが、茫洋とした彼女の瞳を見て思い出す。

 そうだ、目が見えないんだっけ。


「痛い」

 ようやくそれだけ喉から絞り出す。途端に身体が軋んで、荒い呼吸を繰り返した。


「神官様から、『痛みが酷いようなら飲ませるように』と言われております」


 レイラがおれの方に手を差し出した。

 握っていた指が開かれ、薬包が現れる。


「触った感じ、丸薬のようですが……。いつもお飲みになられているものでしょうか?」


 問われて、「ああ」と応じた。拍子に鎖骨から肩関節にかけて酷く痛んだが、それでもほっとする。これで少し、ましになる。ルカが戻っていない今、彼女が薬を持参してくれているのが助かった。


「身体を起こせますか?」


 尋ねたレイラは、そのまま薬包を握っていない方の手を宙に彷徨わせた。なんだろう、と思うより先に、彼女は物置代わりにしている小さな机を探りあて、その上に載せたゴブレットを手にした。


「お水がここに」

 そう言って差し出してくれる。


 おれは指先に力を込め、上半身を起こそうとしたが、頭を殴られたような痛みに奥歯を噛み締める。無理。これ、無理なやつ。


「ごめん。起きれそうにないから」


 激痛の合間に喉を動かす。胸から空気が出るたびに、炎を吐いたようにちりちり気道が痛んだ。


「薬だけ。悪い。ちょうだい」


 切れ切れに伝える。

 レイラはしばらくそんなおれの方を見やり、それから頷いた。


「では」

 彼女は言うと、ゴブレットを机に戻し、おれの顔に触れた。


「え……。ちょ……」


 薬包をおれの手に握らせてほしいんだが。困惑していたら、彼女の繊細な指がおれの唇に触れる。


「わかりました」


 なにが。戸惑うおれをよそに、彼女は一旦おれから手を離し、薬包を器用に開けた。


「五粒あるようですが。全量?」

「そう」


 できるだけ短く応じるのに、やっぱり激痛に襲われた。


「口を開いてください」


 言われて、ああ、なるほど直接口に放り込んでくれるのか、と納得した。


 おれは、仰向けに寝転んだまま、口を開く。

 レイラは今度は迷いなくおれの唇に触れ、それから薬包を傾けて丸薬を口に放り込んでくれるのだが。


 苦いのなんの。


 今まではルカに支えてもらって身体を起こし、水で流し込んでいたから、味なんて気づきもしなかった。いや、これ、超まずいし。


 だけど、吐き出すわけにもいかない。なんとか飲み込もうと思うのだけど、そもそも口の中が乾燥していたものだから、飲み込もうと思ってもどうにもならない。


 だんだんと苦みで唾液が出てくるものの、今度は丸薬が解けてさらに苦みが増す。もう、悪循環だ、と涙目になって堪えていると。


 こつり、と硬質な音を耳が拾う。


 瞳だけ動かすと、レイラがゴブレットを机の上に戻したところだった。

 あれ。いつ、彼女はゴブレットを再び手にし、また戻したのだろう。

 そんなことを考えていたら、レイラの指がまた頬に触れる。

 同時に彼女は前かがみになり、おれに顔を近づけた。


「……え」


 声を漏らしたすきに、唇を重ねられた。ふにゃり、と柔らかい感覚。次に口移しで水を流し込まれた。


 不意を突かれた上に、想像もしなかった行動に目を白黒させながらも、なんとか口内の水を丸薬ごと飲み込むことに成功する。


「もう少し、お水を飲みますか?」


 けほけほと小さく咳き込み、背骨に沿って走る痛みに身体をくの字に曲げていたら、レイラが小首をかしげて尋ねて来る。


「いや、もういい……っ」


 焦って返事をする。痛みに顔をしかめるが、その歪んだ視界の中で、彼女は美しく笑った。


「そうですか。では、ゆっくりとお休みください。しばらく、わたくしはここにいますから」


 彼女は手を伸ばし、おれの頭を撫でる。


 汗臭いから、とか。べたべたしてるから、とか。

 いろんな言葉が、頭をぐるぐると回るが、なにを言えばいいかわからない。


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