2話 獣檻の中の少女
年のころはおれたちと同じぐらいだろうか。18か……。20は超えていないだろう。
栗色の柔らかな長髪を結いもせずに伸ばしている。
つるんとした、むきたてのゆでたまごのような顔に、黒瑪瑙に似た大きな瞳。
細くて、どうかしたら、ぽっきりと折れそうな指で鉄柵を握り、きょとんとした顔で周囲を見回しているが……。なにか、様子が変だ。
「生贄じゃね? ほら、それの」
ルカの声に、おれは改めて自分の足元を見る。黒々とした筆で描かれているのは魔法陣だ。古語で記されているのは、猊下の名前。
情報通り、どうやらここでは猊下呪殺のための儀式が行われていたらしい。
「始末しとこう」
ルカは言うなり、床に倒れ伏した男のひとりから、剣を抜き取った。
「ちょ……、待て」
思わずおれはルカの肩を掴む。
「は? なによ。自分でやんの?」
抜き身の剣先を向けられ、のけぞった。
「そうじゃない。放っておけ。作戦終了だ。帰るぞ」
「なんでよ。ぼくらの顔を見られているよ」
ルカが顎で少女をしゃくる。
「見ていない。たぶん、あの子……」
目が見えていない、と声を潜めた。ルカが訝し気に無言で檻の中の少女を見やる。
茫洋とした黒瞳が、相変わらず室内を彷徨っている。
「……まあ、じゃあ放っておく?」
ルカが手首をぐるんぐるん回しながらおれを見る。長剣を握ったままだというのに、まったくお構いなしだ。室内の光を刀身が浴び、きらきらと光をまき散らした。
「放っておいても始末されるだろうし」
「始末?」
眉根が寄る。
「そりゃそうでしょ。こんだけ高位の貴族が複数人死んだんだもん。誰か犯人が必要でしょう」
ぷぷぷ、とルカが笑う。
「生贄にしようと思ったけど、使い方を変更するんじゃない? 淑女のご乱心とかなんとか言って、投獄の上、処刑か……。ま、このあと、誰かに始末される、とかさ」
ぽい、とルカが振り回していた長剣を床に放る。
ごつり、と鈍い音を立てて長剣は床を跳ねた。
その音に、ようやく少女が視線を定めた。
光を宿していない瞳はそのままだ。
どこか虚ろにさえ見えるのに、少女はおれたちを的確に見据えた。
哀れな娘。
着ている物は悪くない。指や爪に汚れは見当たらないし、栄養状態もいい。貴族の子女なのだろう。だが、こんなところで生贄にされかかっている、ということは、生活に困って親が売っぱらったのかもしれない。
無力な娘。
生贄になる運命から逃れられたと思ったら、今度は無実の罪を着せられて殺されるとは。
おれが無言で眺めていると。
不意に、彼女は口端に笑みを乗せ、目を細めた。
「そこにいらっしゃるのは、守護天使さま?」
鈴が転がるような、というか。
おれたちでは決して発しえない音域の声で、彼女は尋ねた。
「初めてお会いします、守護天使さま。わたくしを天の扉まで連れて行ってくださいますの?」
錆びて赤茶けた檻の中で、品よく少女は笑っている。
おれは、ただただ、無言で彼女を見た。
桃色の頬。赤く、艶やかな唇。柔らかく、染色したての絹のような髪。
檻に囚われているというのに。
彼女は凛としていて。
彼女こそが、天上の生物のように見えた。
「ええ、そうですよ、お嬢さん」
くく、とルカがおどけた声を上げた。
「天の国は近づきました。しばしお待ちを」
「よせ」
おれが強い口調でルカをとがめると、あいつは訝しそうに瞳を収斂させた。
「なに。なんなの、さっきから」
険のある声をぶつけられる。思わず口ごもると、彼女の声がまた聞こえて来た。
「まあ。……おふたり、いらっしゃるのかしら」
やはり目が見えていないらしい。おれたちの声がそっくりなせいで、今までひとりだと思っていたのだろう。
「君はどこから来たんだ? 家まで送ってやろう」
「はああああああ!?」
おれが申し出ると、盛大に大声を上げたルカが背中を殴ってきた。
「何言ってんの、ルイ! ばっかじゃないの! 放っておきなよ!」
「この状況で放っておいたら……。ってか、痛い、殴るな」
「神の国に行けばいいんだよっ。本人もご所望なんだしさっ」
「望んでいくわけじゃないだろう」
ガンガン背中を殴りつけて来るルカを無視し、おれは鉄柵に近づく。
足音や声で分かったのだろう。
少女はぱちぱちとまばたきをし、結構正確におれの顔を見る。
「君、名前は?」
腰を屈め、少女に顔を近づけた。
近づいて、胸が痛くなる。
別に彼女は好きで、この檻の中で座っているわけじゃないことに気づいた。
檻が異常に低いのだ。これでは立ち上がれない。
彼女が一体どれだけこの中に閉じ込められているのかはわからないが、随分と窮屈だったことだろう。
「レイラと申します、守護天使さま」
彼女は、花がほころぶように笑った。
「そう、レイラ。ちょっと鉄柵から手を放して」
伝えると、彼女は従順に従った。
代わりにおれが鉄柵を握る。
握って、また気づく。
獣の毛や皮膚片だと思っていた、いくつものもの。
それは、どうも人毛だ。
おれはため息をついて背後に視線だけを向けた。いったい、どれほどの生贄をこの檻に閉じ込めたのだろう、あいつらは。
「……せえの」
おれは鉄柵を握ったまま、力を込める。爆ぜるような熱が指先を焦がし、肘から腕にかけてが高温で膨れ上がるような気がした。ああ、こりゃあもう、明日は腕と足が使い物になんねぇな、と思っていたら、背後でもルカが、「しーらない。明日動けなくなっても、しーらない」とおれを罵ってくる。
そんなやつの声を遮るように。
めきり、と鉄柵が音を立てて、曲がった。
大きく息を吸い、再度横に広げる。小枝を踏んだほどの軽い音を立て、鉄柵は完全にねじれ、口を広げた。
「わかる? 出られる?」
おれが声をかけると、レイラは両腕を突き出し、遮るものが何もないことを確認すると、ゆっくりと室内に這い出してきた。
「さあ、じゃあ逃げるか」
レイラが腰を伸ばしてゆっくりと立ち上がるのを確認し、おれはルカを振り返ったのだけど。
あいつは口をとがらせて腕を組み、そっぽを向いてしまった。完全にへそを曲げている。
「なんで余計なことをするかなあ」
苛立ったように吐き捨てる。
「放っておきなよ、そんなの」
「放っておいたら、死んじゃうだろうが」
呆れて応じると、ルカは、ぐいとおれに顔を近づけてきた。
鼻先がふれあい、まつげの先がつくほどの距離で、あいつは盛大にため息をついた。やめろ。息がかかる。
「あのね。ルイは、ぼくのことだけを考えてくれていたらいいの。ね? あんなの連れて行ったら邪魔じゃない。ぼくになにかあったら、ルイ、ぼくのこと守れるの?」
「大丈夫だ。まだ魔力を発動させたばっかだし」
おれは苦笑する。
神官たちに埋め込まれた魔力は、一度発動させると、だいたい二十四時間作用する。その間、体力や感覚、多少の魔術を使って、人並外れた活動ができるのだが。
魔力の効能がきれたときが、最悪だ。
もともと、脳の制限を外して使っているから、筋肉は途端に悲鳴を上げるし、様々な感覚器官が一時停止したりする。ルカなんて、骨が数本折れたり、関節が外れていることに気づかず、効能が切れた途端、重体になった。
だから、ふたりで活動するときは、魔力は同時に使用しない。
同時に発動させて、同時に効果が切れた場合、回収したり介助するやつがいなくなるからだ。
片方が魔力を発動したら、片方は回収係。
おれたちは、そうやって、生き残ってきた。
なにしろ。
魔力を埋め込まれた人間は、使い捨てだ。
おれたちは、運がよかったに過ぎない。
双子だったこと。魔力に適応できる身体だったこと。魔術が使用できる感覚を持っていたこと。ほんの少しだけ、人より麗しい見た目であること。
偶然、それらをおれたちが兼ね備えていただけに過ぎない。
そして。
そのことが、良かったことなのか、悪かったことなのか。
考えたこともないし、考えたくもない。
「……あ」
声に出して、扉を見る。
「なになに。もうやだ。ほら、もう、イヤな予感しかしない」
すぐ側にいるルカが悪態をついているが、その声に混じって、複数人の足音が近づいてきた。金属のかち合う音が混ざっている、ということは、別宅にいる私兵たちが異変を感じてやってきたのかもしれない。
「まあ……。誰かやってきますわね」
レイラが首をかしげている。




