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それはイブの夜に  作者: 大平麻由理
五時間目 共に
32/33

32.二人だけの夜 その1

長らくお待たせしました。

二人のイブの夜をお届けしたいと思います。

読んでいただけると嬉しいです。



 終業式が無事終わったのも束の間、午後からは職員会議や残務整理が待ち構えていた。やっと二学期が終わった、と何もかも忘れて大声で叫びたい衝動に駆られるが、もうすでに三学期に向けてのさまざまな議案が始動している都合上、ほっとする時間など全くないのが現実だった。

 会議は二時からだ。今は昼食を取ったりそれぞれの仕事を片付けたりと、ほとんど暖房の効いていない職員室であるにもかかわらず、人の熱気でムッとしているこの空間がそんなに嫌いではなかった。

 そこに植山の姿はなかった。彼は校長室にいる。今年度で教職から退くことを告げるために、校長と教頭に話をしている最中だ。


 彼の意思は固かった。実家でも、帰るギリギリまで学校は辞めるな続けろと皆に言われていたにもかかわらず、男が一度口にしたことを変えることはないと言い切り、とうとう今日を迎えてしまった。

 沙友子は彼がここまで頑固者だとは知らなかった。あの物静かな普段の彼からは想像も出来ないくらい、彼の意思は固かった。


 長男であることに責任を感じ、すべてを背負ってきたお兄さんの初めての反乱だったらしい。お兄さんの心の奥底まで察することが出来なかった自分を卑下していた植山は、これ以上彼らに甘えることはできないと思っているのだろう。

 けれど、そんなお兄さんがついに折れて、彼の仕事を応援すると言ってくれたのだ。ここは大船に乗ったつもりで家族の気持ちに甘え、もうしばらく教職を続けてみるのも一案だと思ったのだが、彼は決して考えを曲げることはなかった。柔らかい物腰の向こう側にこんなにも屈強な意思を隠し持っていたとは、紗友子にとっても新たな発見だった。

 厳しいスキーのトレーニングを乗り越えてきたであろう彼の生き様を思えば、周りが何と言おうが辞めるという決心を貫くことはもう間違いない。紗友子は彼の意思を尊重し、辞めないでと説得することはなかった。彼のいない職場を想像するだけで涙が出そうになるが、そこはいくら彼女であっても踏み込んではいけない部分なのだ。


 すっきりとした表情で校長室から出てきた植山を見て、紗友子はすべてを悟った。上司がすんなりと彼の言い分を認めたとは思えないが、とにかく言いたいことをすべて伝え、退職の意向を示したことは間違いない。

 紗友子は彼にだけわかるように笑顔を向け、彼の大仕事をねぎらった。彼も目を細め、小さくガッツポーズ返してくる。

 自分の席に戻ってきた植山は、机の上に置いてある冷めてしまった宅配弁当のふたを開け、誰よりも遅い昼食を取り始める。そんな彼を横目に沙友子の顔は次第に曇っていった。


 さて、本当にこれでよかったのだろうかと不安に襲われるのだ。彼の実家の家業はこれでしばらくは安泰なのかもしれない。兄夫婦と弟ががっちりスクラムを組み、旅館経営も軌道修正されていくのかもしれない。

 けれど植山が築き上げてきた教育への情熱は、ここで幕を下ろしてしまうのだ。あんなにも児童に慕われ、保護者からの信頼も厚かった彼が教師を辞めてしまうことは、教育業界にとって大きな損失になるのではないのか。

 それを唯一引きとめることができるのは紗友子だけなのに……。それをしなかった自分が大罪を背負ってしまったようで、心が重く苦しくなっていく。

 そんな紗友子の気持ちなど何も気づいていない植山は、自分の第二の人生を喜び待ち望むかのようにパクパクと昼食を口に運んでいた。彼の好物であるエビフライ弁当は、瞬く間に空になってしまった。そして紗友子の方を見るでもなく小さな声でつぶやくのだ。今夜、会えるかな、と。


 紗友子は彼のこの誘いを待っていたのだ。

 彼の実家に無理やり押しかけた日は深夜に帰宅した。それ以来今日まで電話はおろか、メールすらもやり取りをしていない。今日という日を何の連絡もないまま迎えてしまったことがずっと引っかかっていたのだ。

 クリスマスイブ。それは恋人たちにとって特別な日であるはず。ただし植山にはそんな日など全く存在しないかのように、今の今まで全く何の誘いもなく完全にスルーされていた。

 紗友子はほっとすると同時に、どんな夜になるのかと胸がときめき始めていた。


 職員会議が終わり、仕事が片付いた人から帰って行く。紗友子はもういつでも出られるのだが、隣の植山がまだパソコンとにらめっこをしている。この後デートに誘っておきながら、その張本人が忘れてしまったかのような態度に、もはやため息しか出ない。紗友子からそろそろ行きましょうとも言えず、もんもんとしながら古いプリント類の整理をしていた。

 するとパソコンに向かったままの植山がまたもやボソッとつぶやいた。


「……先に出て。僕は後から行く。学校北側の道沿いにあるガソリンスタンド付近で待ってて」


 紗友子は、はいと小さく返事をして慌てて帰り支度を始めた。なるほど、そういう作戦なのねと彼の意図を理解し、まだ残っている職員に挨拶をして一人職員室を出た。

 ガソリンスタンド付近は校区外になる。そこでおち合おうということらしい。なるべくなら二人の関係を他の職員や子どもたちに知られたくないというのは当然のことだしマナーでもあると思う。

 オーバーコートを着て大きな仕事用バッグを持ち、何食わぬ顔をして目的地に向かった。


「待たせたね」


 十分ほどして植山が車でやって来た。

 

「この後、どこへ行きますか? 」


 車に乗り込みながら彼に訊ねる。


「一緒に晩メシでもどう? 」


 笑顔で彼がそう言った。


「はい。ぜひ! 」


 紗友子は狭い車内にもかかわらず、とんでもなく大きな声で返事をしてしまった。彼があはははと笑う。だって本当に嬉しかったんだもの、と俯きながら恥ずかしそうにつぶやいた。




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