31.家族 その2
「ほんとにもう、弘樹も達樹も黙っちゃって。ほら、せっかく林田さんが来て下さったのだから、もっと楽しそうに話しなさいよ」
政子さんがあまりにも無口な男性たちに奮起を促す。
「ねえ達樹、こうやって林田さんをうちに連れて来てくれたってことは、そういうことだと思っていいのね」
「そういうことって言われても……。母さん、実は俺が連れてきたわけじゃないんだ」
「はあ? いったいこの子は何を言ってるんだか。なんだかんだ言っても決心して林田さんをここに」
「だから違うんだってば。誰が何と言っても、林田さんをここの人間にするつもりはないし、旅館の今後の責任は俺が取るから心配はいらない」
「ほんと、意味がわからないわね。じゃあ、なんで林田さんがここにいるの? 林田さん、ごめんなさいね。達樹ったら、何が言いたいのか、さっぱり」
政子さんと植山のやり取りを聞いていたが、紗友子にもよくわからなかった。ただ言えるのは、政子さんは植山が自らの意思で紗友子を連れてきたと思っている。つまり結婚相手として紹介してもらえると信じているのだ。
やはり紗友子の直感は間違っていなかったようだ。見合い話など、本当は存在しないのではないかと。もし見合いが本格的に始動していたとしたら、紗友子の訪問は政子さんにとっても理解し難い物だろうし、このように暖かく受け入れてもらえることもないはずだ。
「あの、少しお話させていただいてもよろしいでしょうか」
紗友子はお兄さんと植山に視線を向けた後、政子さんに話を切り出した。
「あらあら、どうぞ、何でもおっしゃってね。達樹が煮え切らないから、あなたも大変ね」
「いえ、そんなことは……。実は、私。植山先生に、交際を断られているんです」
「ええ? そうなの?」
政子さんがびっくりして植山を見た。すると植山が困惑の表情を浮かべて目をそらす。
「あらまあ。どうしてそんなことに……。ますますわけがわからないわね。達樹、どういうことなの? 誰も付き合ってる人がいないなら、村の人と一緒になってこの旅館を継いでって言ったら、達樹はこう言ったのよ。好きな人がいる、だから他の誰とも一緒にならないって。彼女とは結婚できるかどうかはわからないけど、まずは自分一人でここを盛り立てて軌道に乗せていくからって。なのに、林田さんとの交際を断ったって、いったい……」
「いや、違うんだ。ここの冬は向こうとは違って厳しいし、生活もがらりと変わる。林田さんは長年の願いが叶って教師になった。その夢を俺との未来のために犠牲にするなんて、そんなひどい話はないってそう思った。だから」
「植山先生。やっぱりお見合いして結婚するなんて話は嘘だったんですね。よかった、本当のことがわかって。私は引き下がりません。先生と別れるなんて、絶対にいやです。植山先生のお母様、そしてお兄様。どうか先生と私の交際を認めて下さい。何もできません。何もわかりません。未熟で至らない人間ですが、こちらの風土のこと、旅館の仕事のこと、しっかりと勉強して植山先生にふさわしい女性になりたいと思っています。お願いします、お願いします」
紗友子は正座したまま政子さんに向かって頭を下げ続けた。
「林田さん、お願いだ。顔をあげて。悪かった。僕が悪かったよ。ごめん、君にここまで言わせてしまって、本当にごめん」
植山が紗友子の背中をさすり抱き起す。紗友子はお兄さんと政子さんが目の前にいるにもかかわらず、彼に抱き付き、そのまま泣き崩れてしまった。すべての勇気と力を出し切った紗友子は一人で座っていることすらままならない。
「おい、達樹」
ずっと黙っていたお兄さんが突如口を開いた。
「おまえ、本当に情けない奴だな。女の人にそこまで言わせてどうするんだ」
「ああ、申し訳ない……」
「あのな、夕べ、あれから親父とお袋と話したんだ。達樹が仕事を辞めてまでこの宿を守りたいと言ってくれた、俺はもうそれだけで十分だと思った。俺も意地になっていたんだ。いつも自由気ままに生きてきたおまえに嫉妬していたのかもしれん。好きな道を進んで都会に住んでいるおまえが憎かったのかもしれん。けどおまえは話し合いで、これからは俺がここを守るから、兄貴と姉さんは自分たちの思うやり方でやってくれと言ったよな? まさかおまえがそこまでここのことを考えてくれてるとは思っていなかった。学校の仕事があるから俺は関係ないと言って逃げると思っていた。それにそっちの女の先生もここの生活から守ろうとした。今のおまえはちとかっこ悪いが、林田さんの将来を守ろうとしたおまえは尊敬する。もういい、早く帰れ。そして子どもたちと過ごせ。二人とも、結構いい先生してるんだろ? 子どもらから二人を取り上げたら、俺が極悪人になってしまう。じゃあ、仕事に戻るわ」
お兄さんがのっそりと立ち上がり、廊下に出た。
「兄貴、ほんとにいいのか? なあ、兄貴!」
植山が立ち上がり、声を荒らげる。
「達樹、もういいから」
政子さんが、お兄さんを追いかけようとする植山を引きとめた。
「弘樹がああ言ってるんだから、もういいのよ。いろいろあったけど、弘樹も鬼にはなりきれないのよ。私と父さんも少しは弘樹たちの意向も聞かなきゃね。旅館の建て替えも念頭におきながら、お互い歩み寄る、ってことで、なんとかなりそうだから」
「わかった。でも俺……。教員は辞める。一度決めたことをそんなに簡単に取り消すことはできないよ。それと。林田さん」
「はい……」
紗友子は涙をぬぐい、そばに立っている彼を見上げた。
「次は僕が君の家に乗り込むから。百回でも千回でも、何度でも君のご両親にお願いして結婚を許してもらうからね」
植山が紗友子の目を見て、はっきりとそう言った。
第四章までで一区切りとなっております。第五章はクリスマスの設定になりますので、秋以降に連載を再開する予定です。
お待たせして申し訳ございません。どうかご了承いただきますよう、お願い申し上げます。




