28.恋の証明書 その3
「これじゃあまるで、トンボ返りだ」
長い沈黙を先に破ったのは植山だった。昨夜二人の関係は一応の終息を迎えた以上、もう何も話すことはなかった。けれども紗友子は何一つあきらめてはいない。
今ここで再度紗友子の気持ちを話したところで何も解決しないのは目に見えている。植山がそう簡単に言ったことを覆すとは思えないからだ。
トンボ返り……。まさしくその言葉どおりだ。夕べ彼は実家から戻ったばかりだった。きっとこの道を通って実家と彼のアパートを行き来していたのだと思う。
紗友子が彼の実家に向かおうとしていることは、すでにばれてしまったのだろうか。彼の言動から目が離せない。
「このまま北に向かって走り続けていいんだね」
植山がまっすぐ前を見ながら紗友子に訊ねた。作戦が見破られたのかどうか、微妙なところだ。
「はい。あ、いや、そろそろこのあたりで……」
これ以上先に進めば、完全に計画がばれてしまう。ここが限界ラインすれすれだろう。高速道路から出て駅かコンビニで降ろしてもらえれば後は何とかなる。
「このあたりって、こんな山奥にいったい何の用? あ、そうか、理由は何も聞かない約束だったね。でもここで降りて、仮に何か用を済ませたとして。帰りの電車は大丈夫? この辺りは電車の本数も少ないよ」
「そ、そうですね。でも大丈夫ですから。高速バスもあるし、タクシーも……」
「それなら、その用事が済むまで、待っていようか?」
「え?」
「最初、君を家まで送ったらまた学校に戻って仕事するつもりだったけど。まさかこんなところまで来るなんて想定外だよ。もうこうなったら、どこまでも君と付き合うつもりだ。仕事は明日の朝、早く行けば何とかなるから」
「そんなの、だめです。私のことはもういいですから。どうぞ、学校に戻ってください……って、え? どうして学校に?」
仕事が終わり帰宅しようとしていた植山とたまたま偶然出会った、という筋書きが成り立たないことにはたと気付く。
「植山先生。仕事が終わっていないのに、どうしてあの道を通ったのですか?」
あの時刻に職場を出たのは紗友子だけだった。それも周到に準備して仕事の段取りをつけ、必死の思いで定時に抜け出したのだ。冷静に考えれば、彼の行動が矛盾だらけだとすぐにわかるのに。
植山があの時、紗友子と堀田の前に現れたのは偶然でも何もない。植山が意図してやって来たということにどうして気づかなかったのか。
「どうしてって、それは、その……」
植山が言葉を濁す。
「もしかして、私が学校の通用門付近で堀田と揉めているのを見て、追いかけてきてくれた。そうですね? そうですよね?」
「うん、まあ……」
「ならどうして、もうあなたとは関係のないはずの私を追いかけるんですか? そんなことされたら、私、期待してしまいます。あなたが、まだ私のことを思ってくれているんだと。それにお見合いも中止してくれると……」
「ちょっと待って。次のサービスエリアで車を停めるから。そこでゆっくり話そう」
左に車線変更して、減速しながらサービスエリアに入って行く。運転中の彼に向かってヒートアップしてしまった自分の至らなさを恥じる。常に危険と隣り合わせである高速道路の運転に、過信は禁物なのだと思い知らされた。
十二月の夕方は思いのほか早く闇夜が迫ってくる。
「話をさえぎってごめんね。さっきの続きだけど、君のことをまだ思ってるかどうかってこと……」
売店施設から離れた場所に停車させた植山が、隣の紗友子を見て話し始める。
「さっきも言ったように、決して君を嫌いになったわけじゃない。むしろ、以前より……」
「以前より?」
「あ、いや、何でもないよ。それと、君を追いかけたことだけど、林田さんの言った通りだ。あまりにも早く学校を出た君が気になって、理由を聞こうと追いかけたけど、林田さんはもうすでに学校の外に出てしまっていたんだ。そしたら、通用門付近で誰かと話しをしている君がいた。けどね、その雰囲気からこれはただ事じゃないって、胸騒ぎがして。誰にも何も言わずに学校を飛び出してきたから、今頃職員室では僕がいつの間にか消えたって話題になってるかもしれないけどね。あとで平木先生に電話しておくよ」
「そうだったんだ……。ご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい」
「大丈夫さ。定時は過ぎてるんだし、咎められることはないよ。で、見合いの件だけど、相手先にもすでに打診済みだから。向こうも乗り気みたいで、中学の後輩だから話も早い。それに、林田さんにはやっぱり田舎暮らしは無理だと思うんだ。だって、仕事はほぼ年中無休だし、その上、親や祖母とも同居。こんな生活で、どこにメリットがある? 僕に出来ることは君と一緒にいることだけだよ? 収入だって今より下がると思う。こんなスペックでどんな顔をして君のご両親を説得すればいいのか、皆目わからない。だから……」
見合い話のあたりから視線をそらせ、早口になる。植山の嘘はわかりやすい。
「わかりました。先生のおっしゃりたいことはもう充分にわかりました。でもあなたは私のこと、何もわかっていない!」
紗友子は植山の目を見て、はっきりと言い放った。




