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それはイブの夜に  作者: 大平麻由理
四時間目 決断
25/33

25.遠い雪国 その3

「じゃあ……」

「送っていただき、ありがとうございました」

「おやすみ」

「…………」


 最後は言葉にならなかった。紗友子は車を降りてうつむいたままその場にたたずんでいた。これ以上口を開けば、泣き叫んでしまいそうだった。もう何も言うまいと心に決め、車の音が聞こえなくなった時、ようやく顔を上げた。もう植山の車はどこにも見えなかった。

 家に入り、玄関に置いてある時計を見る。とっくに日付が変わり、デジタル表示が冷やかに午前2:00であることを告げていた。

 母親が、遅かったわねとリビングから顔を出し、志津ちゃんは元気だったといつものようにたずねる。いつもなら起きて待っていてくれる母に申し訳なく思うのだが、今夜はどうしてこんな時間まで起きているのと反発の気持ちしか湧いてこない。そんな冷酷な一面を持つ自分が嫌になる。

 何も悟られたくない紗友子は、うんとだけ言って洗面所に向かう。そのまま入浴して、髪も乾かさぬままベッドにもぐった。

 気が付くと朝を迎えていた。あんなにショックだったのにベッドに入るや否や眠ってしまったようだ。仕事のことを考えればたとえ数時間でも眠れてよかったと思う。

 髪は予想通りぐしゃぐしゃで、このまま電車に乗るくらいなら仮病を使って仕事を休みたいというのが本音だった。明日は終業式だ。今日も大掃除や二学期のまとめの学級会などが予定されている都合上たとえ高熱が出たとしても休むことは考えられない。髪がまとまらないくらい何でもない。とにかく学校に行く以外の選択肢はなかった。

 学校に着くと、すでに植山が来ていた。おはようございますと抑揚のない声であいさつを交わす。彼からも、おはよう、と短く返事があった。

 その時彼の顔を少しだけ見たが、とても青白かった。紗友子も多分、同じだったと思う。まるで幽霊のような二人が職員室ですれ違う時、たまたまそばにいた同僚の木津が、二人とも大丈夫? 顔色悪いわよと首を傾げていた。

 今日の授業のメインは大掃除と学級会だ。学級会ではお楽しみ会的なプログラムも準備している。子どもたちが自主的に企画したもので、歌あり、楽器の演奏あり、お笑いありの楽しい時間になっている。

 夕べのことは今の間だけでも忘れ去ろうと、仕事に没頭することにした。ところが、まじめ男子のお笑いコントに思わずクスッと笑ってしまい、あ、林田先生が今日初めて笑ったよとクラスの皆に指摘される場面もあった。

 子どもたちに気づかれるくらい、夕べのことが顔に出ていたのかと反省する。思い起こせば朝から厳しい言葉ばかりを投げかけていたような気がする。大掃除の仕上がり具合にも容赦せぬ注文をつけたかもしれない。

 仕事に私情を持ち出すなどあってはならないことなのに、教師としてまだまだ未熟な自分を思い知る。しかし植山は違った。いつもより子どもたちには明るく接しているように見える。時にはふざけ合い、じゃれ合って、彼のクラスには楽しそうな空気が流れているようだった。

 やはり夕べ言っていたことは事実なのだろう。三月で退職すると決めた彼にとって、この一瞬一瞬がかけがえのないひと時なのだろうと思う。

 紗友子はある決断をしていた。放課後、終業式の準備が終わり次第、定時に学校を出るつもりだ。

 通知表も作成済みだし、分担業務も土曜日に出勤して大方完了している。誰かに引き留められても、何があっても学校を出ようと心に決めていた。あのことを実行するために。

 植山と会えなかった数日の間に、彼の両親とお兄さん夫婦が経営しているという民宿旅館をネット検索して調べたのだ。植山から具体的なことを聞いたわけではなかったが、彼の実家のある地名と植山という名前、あとは知りうる限りのワードを打ち込んで、ホームページを見つけ出していた。

 紗友子の行うべきことはただひとつ。彼の両親に直接会って、本当に見合い相手と結婚することになっているのか真実を知るための大勝負に出ようとしていたのだ。

 とにかく時間との戦いになる。学校の最寄りの駅からタクシーに乗り、現地入りすることが一番無難だ。かなりの出費になるが、そんなことはどうでもいい。財布が底をついても別にかまわないと腹をくくった。

 彼は絶対に嘘をついている。紗友子は直感的にそう思っていた。紗友子の教師としての将来を奪うことに責任を感じているのだ。彼の目が、表情が、そして、重ね合ったあの手が。彼の嘘を証明していた。彼が紗友子を想う気持ちはまだ消えていないと確信したのだ。

 今のままでは彼の実家の手伝いどころか足手まといにしかならないのは十分理解している。けれど徐々に仕事を覚え、必ずや彼の片腕となり、旅館を盛り立てて行くことを彼の両親に宣言してくるつもりだ。


 放課後の準備も滞りなく終わり、間もなく定時を迎える。もちろん、まだ誰一人として帰る人はいない。紗友子は教頭に私用がある旨を伝え、職員室から脱出することに成功する。

 植山に気づかれることなく、無事通用門のところまでたどり着いた、と思ったのだが。


「さゆ、久しぶりだな。元気にしてた? ん? 疲れてる? 仕事、大変なのか?」


 通用門の脇にある桜の木の陰から男性が現れた。

 堀田、だった。


 

 









拍手コメントをいただき、ありがとうございます。

活動報告にてお返事させていただきました。

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