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それはイブの夜に  作者: 大平麻由理
三時間目 現実
20/33

20.忘恋会 その2

「こんばんは。皆さん、お久しぶりです」


 居酒屋のスタッフに案内され、奥の小部屋に入るとすぐに志津が皆に声を上げた。紗友子もこんばんは、と言って控えめに頭を下げ、彼女に続く。

 掘りごたつ仕様になったテーブル席には、塾長をはじめとして当時の学生アルバイトや専任講師などが十名ほど顔をそろえていた。

 どの顔もなつかしく、あの頃のことが一挙によみがえってくる。楽しかったことや保護者からクレームがきて落ち込んだこと、あるいは子供たちに授業内容を理解してもらうために四苦八苦したことも次から次へと思いだしてくる。

 幸いなことに堀田はそこにはいない。ワンシーズンのみの短期アルバイト講師だった他のメンバーも参加していないところを見ると、この後も堀田がやって来る心配はなさそうだ。

 もちろん堀田が参加するとわかっていたなら、志津が紗友子を誘うわけがない。元カレとご対面などという緊急事態だけは絶対に避けたかった。

 しかし、なつかしいメンバーの顔を見ているうちに、紗友子の気持ちも次第に落ち着きを取り戻してきた。


箕浦(みのうら)先生、そして林田先生。二人とも忙しいのに、よく来てくれましたね」


 相変わらず折り目正しい柏木塾長が、目を細めて歓迎の言葉を口にする。


「柏木先生に誘っていただいたおかげで、こうやって懐かしいメンバーに会えたんです。こちらこそ、私のためにこんな素敵な会を催してくださって、今日は本当にありがとうございます」


 志津が社会人の鏡のような返答をさらりと話す。さすが銀行員だ。


「でも本当によかった。こんな機会でもなければ、なかなか皆が集まることもないですから。全員そろったところで乾杯しましょうか。では、箕浦先生のご結婚と、なつかしい仲間の再開を祝して、かんぱーい!」


「かんぱーーい!」


 柏木の音頭を皮切りに皆のはずんだ乾杯の声が飛び交う。

 楕円形のテーブルはほどよい大きさで、全員の顔が見渡せて、話もしやすい形状になっていた。

 まずは簡単な自己紹介で近況を報告し合う。そのうち何人かが小中学校の教師をしていることがわかり、紗友子も仲間達と昔のように打ち解けていくのに時間はかからなかった。

 志津のように銀行員をしている人もいるし、製薬会社で新薬の研究員になっている人もいた。あと驚いたことに芸能プロダクションに所属してお笑い芸人をしている(目指して修行中的な)後輩もいて、彼の軽妙なトークや板についた滑り芸にお腹を抱えて笑ったりもした。

 この場にいる全員からのお祝いということで、フォトフレームを志津にプレゼントする頃には全員のテンションが最高潮に達していた。

 紗友子も思ったよりよく飲み、よく食べたと思う。植山のこともあり、気乗りしない集まりでもあったが、今となっては参加してよかったと思った。少なくともこの場にいる間は、彼のことを忘れていられるからだ。

 途中、時刻を確認するふりをして、何度かスマホをチェックした。植山からの連絡がないかを確かめるためだ。当然のごとく何も着信はなく、画面を見た瞬間だけは、さすがに落胆を隠せない。

 この数日の急展開な事案のため、志津にはまだ植山のことは話していない。せっかくの志津の結婚祝いを兼ねた忘年会の席で水を差すようなことはしたくなかったからだ。

 できるだけ異変に気づかれないよう、紗友子は努めて笑顔で過ごすようにしていた。



「じゃあ、俺、そろそろ帰ります。柏木塾長、今夜はどうもありがとうございました。箕浦先輩も絶対に幸せになってください、では!」


 始終、場を盛り上げてくれていた芸人の卵でもある後輩が席を立った。この後も先輩芸人の誘いに付き合う予定があるらしい。

 すでに乾杯から二時間以上経っているのもあって、時計を見た柏木が、ではそろそろお開きにしましょうと言って腰を上げた。

 志津以外の全員で会費を集め精算を済ませると、二次会に行く者と帰宅する者に別れる。紗友子はもちろん帰宅グループだ。と言っても、志津と二人だけだった。


「箕浦さんは仕方ないけど、林田さんは大丈夫だろ?」

「そうだよ。それとも彼氏のお迎え……」


 誰かが目配せをして、会話をさえぎった。そうなのだ。ここにいる全員が紗友子と堀田の過去を知っている。そして、今は別れていることも周知の事実だ。

 皆、気を使ってくれているのだ。さっきの会の間も堀田の話題に触れられることはなかった。


「皆、ごめんね。私、まだ仕事が残ってるから、今夜はこれで」

「ってことで、私、箕浦と林田は、これにて帰らせていただきますね。皆さん、今夜は本当にありがとうございました」


 志津もすんなりと認めてくれたおかげで、他のメンバーの誘いから逃れることができた。この後は、志津さえよければ二人でお茶だけでも飲んで早めに帰ろうと思った。


「では、皆さん。今夜はありがとうございました。また定期的に会える機会を設けますので、その時は参加してくださいね。それでは」


 柏木が締めくくりの言葉を発した後、皆がそれぞれの場所に散って行った。が、そこに残ったのは志津と二人だけのはずなのに、柏木塾長も一緒にいるのに気づく。

 柏木は皆と一緒に二次会に行くと信じて疑わなかった紗友子は、この状況が腑に落ちない。


「ねえ、さゆ。マモルが迎えに来てくれるから私はこれで失礼するね。ふふふ。さっき言ってたサプライズ。思い出した?」

「え? 何? サプライズって……」


 そう言えば、集まりに行く前、志津がそんなことを言っていた。これがサプライズと言われても紗友子には理解しがたい。


「ん、もう。さゆったらホント鈍感なんだから。あのね、塾長が話があるって。では後は二人でごゆっくりと。じゃあね、バイバイ。柏木先生、今夜はありがとうございました。さゆのこと、よろしくお願いします」


 志津は殊勝にも深々と頭を下げて、あっという間にその場からいなくなってしまった。

 目の前には穏やかな笑みを浮かべる柏木塾長。

 彼が低く落ち着いた声で、コーヒーでも飲みませんか、と紗友子の目を見て言った。

 

 


 


 


 

 

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