19.忘恋会 その1
忘年会ではなく、忘恋会。紗友子の恋のゆくえはいったい……。
「さゆ、こっち、こっちだよ!」
時計を見ると、ちょうど七時。ギリギリ間に合った。クリスマスイルミネーションの植え込みの向こうで手を振って呼んでいるのは志津だ。ちょっとやせたかな。ダッフルコートから見え隠れするジーンズの足が、とても細い。
「仕事、大丈夫だった?」
開口一番、志津が心配そうな顔をして訊ねた。
「うん。平気」
まだ気になる仕事はあったが、別に明日でもかまわないし……と自分に言い聞かせ、やや後ろ髪をひかれながらも今夜の忘年会のために学校を抜け出してきた。というか、学校にいるのが辛かったというのもある。
「ならよかった。電話では何も言ってなかったけど、この時期、さゆの仕事は忙しいって前から聞いてたから、正直、今夜は無理かなって思ってた。でもよかったよ、来てくれて」
「だって志津に会うの、ホントに久しぶりだもん。毎年、この時期は一緒に過ごすことが多かったでしょ? だから何が何でも、絶対に行かなきゃって思ってた」
「そっか。さゆの気持ち、ありがたく頂戴いたします、なーーんてね」
志津がひざまずき、まるでおとぎの国のナイトのように見上げて言った。
「やだ、志津ったら」
志津の思いがけないジョークに心が和らぐ。今日一日、生きた心地がしなかった紗友子は彼女に救われたような気がした。今日初めて笑ったような気がする。
「そう言えば、いつもなら今頃、冬の旅行準備に忙しかったもんね。スキーウェアを新調したり、スノーシューズを買いに行ったり。でも今年は私の都合で旅行も取りやめになって、さゆには悪かったなって思ってる」
「んもう、志津ったら。そんなの仕方ないよ。だって、志津は結婚するんだよ。私と遊んでる暇なんてないんだし」
「ホント、ごめんね」
顔の前で両手を合わせ、申し訳なさそうに志津が謝ってくる。
「いいってば。で、志津。顔色はすっごくいいんだけど、なんかさ、やせたよね。大丈夫?」
足だけじゃなく、手の指も以前よりほっそりとしている。けれど元気そうで血色はいいので体調不良ではないようだ。それならばきっと今の自分の方がよほど病人のような顔をしているだろうと紗友子は思った。
「うん。あれだけいろいろダイエットしても無理だったのに、この数か月の忙しさで、苦労することなくやせちゃった。これなら、もうワンサイズ小さめのウェディングドレスでもよかったかなって、後悔してるの。今からでもサイズ変更が可能かどうか訊ねた方がいいのか、これから年末年始にいっぱい食べて、また元通りってこともあるから、もうちょっと様子を見たほうがいいのか迷ってる」
志津がダッフルコートのポケットに手を入れて、首をすくめる。集合場所の居酒屋まであと数百メートルほどだ。
「そっか、やっぱり結婚準備って大変なんだね」
「まあね。でもさ、うちらの結婚式はこれでもシンプルな方なんだよ。先日招かれた職場の同僚の式なんて、それはもう、すごいのなんの。招待客もわんさか。ホテルもゴージャス。芸能人の披露宴みたいだったよ、って言っても、さすがに芸能人のには行ったことないけどさ。花嫁さん、見るからにぐったりって感じだった」
「へえ、そうなんだ。結婚式って言っても、いろいろなんだね」
「そうだよ。もういろいろ。うちはマモルが、ちょー保守的でしょ? 私もあんまり派手なのは好みじゃないし。親に言わせれば、地味だねー、もっとなんとかならないの? だって。それはそうと、さゆ。私が結婚するからってわけじゃないけど。さゆもそろそろ誰かいい人見つければ? もう昔のことは忘れて。ね?」
「え? ああ、そ、そうだね」
「そりゃあ、あの堀田は許せないよ。まさかあそこまで優柔不断な男だっただなんて、思い出すだけで今だにムカつくし。なんとなくさゆに堀田は合わないなあって思ってたあの頃に戻って、何が何でも二人が付き合うのを阻止すればよかったって、後悔してるんだから。あれからもう何年も経つんだし、次こそ絶対、さゆは幸せになるべきなんだ」
志津がこんなことを言うのは非常に珍しい。男女の恋愛ほど不安定なものはない、恋愛以外にも生きる喜びはいっぱい溢れてると言っていた本人が言っているとは思えない。
やはり信頼し合える相手と築いてきた結婚までの道のりが、彼女の生き方まで変えてしまうほど、強烈なインパクトがあったのだろう。
もちろん、志津の言葉を否定するつもりはない。もうすでに過去のことは吹っ切れて、新しい出会いを素直に受け入れる準備はある。がしかし、だ。植山は月曜日である今日も、実家から戻っては来なかった。紗友子が赴任して以来、彼は初めて私用で年休を申請して休んだのだ。電話もかかってこない。彼のいない職場がいかに不安で、モノクロームな世界だったかを思い知ったばかりだった。
「でね、さゆに言っておきたいことがあるんだけど」
「なに?」
「えーと……。やっぱ、後でわかることだし別に今言わなくてもいいかな」
志津が意味ありげににやっと笑い、スキップまで始める。
「ええ? なにそれ。もったいぶらないで教えてよ。私、この三日ほどいろいろ落ち込んでて。だからさ、教えてよ。ねえ、志津、ちょっと待ってってば!」
「さゆ、落ち込んでたの? 何があったかは知らないけど、それはグッタイミング。ますます言えなくなっちゃった。んじゃあサプライズ、ってことで。楽しみにしてて。ああ、生きててよかったってこういうことを言うんだ。さゆの驚く顔と、その先にある幸せを考えると、もう勝手に顔が笑ってしまうではないか。ランラララ、ランラン、ランラララ……」
北風の中、スキップとは思えないほどのスピードで、志津がどんどん離れていく。紗友子は、待ってよと叫びながら、小走りで志津を追いかけた。




