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それはイブの夜に  作者: 大平麻由理
三時間目 現実
18/33

18.夢と現実のはざまで その3

『週末のことなんだけど。君とどこかに出かけられたらいいなと思っていた矢先に、実家から呼び出しがかかってしまったんだ。電話ではらちが明かないんで、とにかく行ってこようと思ってる』

「そうですか。もしかして、ご家族の誰かが、具合でも悪く……」


 だとしたら、彼の声が聞きたいだの、彼に会いたいだの、のんきなことを言ってる場合ではない。


『いや、そうじゃないんだ。そうじゃなくて……。君には言ってなかったかもしれないけど、うちの実家はスキー場近くで民宿旅館を経営してるんだ。スキー競技の選手や、学校関係の団体が利用するような施設なんだ。今後の経営のことも含めて、兄夫婦と両親がいろいろもめてるみたいで。って、こんなこと、君に言ってもしょうがないよね。他にも不穏な動きがあって、とにかく今後のことを話し合って、必要ならば君のことも家族に伝えようと思っている』

「私のことも? それって……」


 まだ付き合い始めて数日だというのに、それどころか、付き合ってるとは言えないくらい疎遠な関係なのに、家族に何を伝えると言うのだろう。プロポーズされたわけでもないのに、彼の家族を巻き込む意味がわからない。


『不安にさせてしまって申し訳ない。そうだよね、まだ君と始まったばかりなのに、どうしてそんなことまで親に言わなきゃならないんだって、誰でもそう思うよね。ああ、やっぱり本当のことを言わないと君に失礼だ。ごめん、林田さんと心が通じ合ってまだ間もないっていうのにこんなこと言って、本当にごめん。実は家族から……』

「はい……」


 本当のことって、いったい彼は何を言おうとしているのだろう。よからぬ空気が周りに立ち込めているのがわかる。


『親に、見合いをするように言われたんだ』

「お見合い?」

『うん。もちろん、きっぱりと断った。けど、別の問題が浮上してきて、僕のいないところで勝手に縁談を進められそうな勢いなんだ。これはいくらなんでもひどすぎると思った。そんな強引なことをする両親じゃなかったのに……』


 紗友子は一瞬、心臓が止まったかと思うほどの衝撃を受けた。彼との未来が開けたと思ったばかりなのに見合い話など、まるでドラマのような展開ではないか。


『兄夫婦の経営方針が、両親には理解できないみたいなんだ。兄たちは彼らなりに今の時代を見据えて新しい道筋を提案しているんだけど、古い顧客を大事にする両親はなかなかそれを受け入れられない。とうとう兄は怒ってしまって、家を出ると言ってるんだ。違う場所で、自分たちだけでやっていくと。それならば次男である僕に旅館を継がせるから、すぐにでも呼び戻して見合いをさせると両親は息巻いている。もう何がなんだかさっぱりわからないんだ。呼び戻すと言っても、僕にも仕事がある。子供たちを卒業させるまでは、何が何でもここを離れるわけにはいかないからね』

「今すぐ学校を離れるなんて、誰が聞いても無理な話ですよ。先生がいなくなったら、子供たちはもちろんのこと、学校中が大騒動になります。私だって、そんなの、いやです。先生がいなくなるなんて、考えられない!」


 あまりの事態に深夜であるにもかかわらず、大きな声を出してしまった。


『君のことは、もう絶対だから。どんなことがあっても、君とは離れない。僕だっていやだよ。仕事も全うしたいし、君とも未来を一緒に歩いていきたい。だから、しっかりとこれからのことを話し合って、兄夫婦の言い分も両親の考えも聞いてくるつもりだ。だからごめん。明日も、明後日も、君とは会えない』

「そんなの大丈夫です。土日は仕事をする予定だし、残りの時間は家の大掃除、手伝っていますから。先生の気持ちはしっかりと受け止めました。お兄さんやご両親ときっちりと話してきて下さい。私、待ってます。先生のこと信じて、待ってますから」

『ありがとう。ああ、なんか力が湧いてきたよ。林田さん、本当にありがとう』

「いいえ、こっちこそ先生の本当の気持ちがわかって安心しました。それと……」

『それと、何?』

「あの、先生がどんな道を選ぼうと、私は後悔しないつもりです。もし民宿旅館の継続に必要ならば、お見合いも……」


 旅館の経営のことなど何もわからないが、そこにはたとえ恋人であっても口をはさむことなど許されない深い事情が絡み合っているはずだ。見合いで経営のノウハウもすべて理解した女性と結婚できるのなら、それもまた彼の生きる道なのではと思う……と頭では納得しようと思うのだが、気持ちがついていかない。彼がほかの女性と結婚すると想像しただけで、涙がこぼれそうになる。


『何言ってるんだよ。それだけは絶対に阻止するから。僕の未来の伴侶は君しかいないと思ってる。だから、見合いという選択肢だけは絶対にないと信じてほしい。君の声が聞けて、今夜は嬉しかったよ。じゃあ、月曜日、学校で。おやすみ』

「おやすみなさい……」


 紗友子は興奮冷めやらぬまま電話を切った。

 見合いと聞いた時には目の前が真っ暗になり卒倒寸前だったが、ここは彼を信じるしかない。彼の実家が民宿旅館を経営していることも、お兄さん夫婦がそこを継いでいることも、今初めて知ったばかりだ。修羅場に乗り込もうとしている彼が心配だが、こうなったらどっしりと構えて、時が過ぎるのを待つしかない。

 紗友子は彼の無事を祈った。そしてある結論が導き出される。彼が実家にとどまると言うのなら、紗友子がそこに行けばいい。押しかけ女房になればいいのだと決意が固まった。





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