15.泣かせはしない、もう絶対に (植山視点)
植山視点になります。
「……彼に会いに行くことに、した……の」
言葉を選びながら淡々と話していた林田紗友子が、突如、植山の隣で声を詰まらせる。よほど辛かったのだろう。これ以上、彼女に苦しい思いをさせたくはない。過去の話はもう充分だと思った。
「わかった。君の話は全部わかったから。もう何も言わなくてもいいよ」
植山は思わず彼女の震える身体を抱きしめたくなった。けれど、彼女にまだ一度も触れたことのない自分には許されない行動のように思えて、伸ばしかけた手を即座にハンドルに戻してしまった。
「先生、お願いです。最後まで話を聞いてもらえませんか? ここでやめたら、また過去の悲しみに縛られて、前に進めないような気がするんです。あと少しだけ。ね、植山先生、お願いします」
彼女の目が懸命に訴えかけている。すべてを吐き出すことで、心の整理をつけようとしているのだろう。
「本当に大丈夫? その後のことは、大体、想像はつくけど。でも、君がその方が楽になれるのなら僕はかまわないよ」
「ありがとうございます。今夜を最後に、もう二度とこの話はしないと約束します。だから、あと少し」
「そんなに肩肘張らないで。話したくなったら何度でも話せばいい。それで林田さんがいつもの林田さんに戻るのなら、僕は何だってするから」
彼女の頬に、ほんの一瞬赤みが差したように見えた。彼女が彼女らしくいられるのなら、どんな協力も惜しまないつもりだ。植山は紗友子が続きを語りだすのを静かに待った。
「堀田と会えたのは、その日の夜遅くなってからでした」
最初は堀田君と言っていた彼女だったが、序盤を過ぎたころから君を省いて話すようになった。正直、彼女の元カレの名を何度も聞くのはいい気がしない。けれど不思議なもので、その名に彼女の特別な感情が含まれていないと感じた瞬間から、単なる固有名詞として聞き流せるようになっていた。
紗友子は一呼吸置いた後、再び話し始めた。
「彼の携帯に連絡をすると、こちらが何かを探っていると気づかれる恐れがあるので、内密に彼を探しました。堀田の行きそうなところを、片っ端から探し回ることにしたのです。彼との思い出が詰まったあちこちを訪ねて歩きました。けれど、そんなことしたって会えるわけがないと気づいた時にはもう日が暮れていて。いつしか、彼の大学付近のCDショップにたどり着いていました。そこは堀田がアルバイトをしていた店です。塾の講師はあの夏休み一回限りで、それ以降は、ずっとそこのCDショップで働いていました。つまり……。塾は私と付き合うきっかけを作るために、わざわざ経営者側に直談判して短期採用されたと言っていました。そこで、自分には教師は向かないと自覚したらしいです」
彼女は伏し目がちになりながら尚も話し続ける。
「私が店内を歩いていると、彼と仲のいいバイト仲間が入荷したばかりのCDのポップを飾りながら話しかけてきたんです。私とも顔見知りだったその人は、堀田はたった今帰ったところだよと教えてくれました。まだその辺にいるんじゃないかなとも言っていました。店のスタッフは裏の通用口から出入りするので、すぐさま外に出て裏口に回り、そこに彼がいないのを確認するとそのまま駅に続く大通りに向かいました。彼はバイトに行くときは車を使わないので、きっとその道を通ると思ったからです。駅に着き、旅行のパンフレットが置いてあるそばで彼を見つけました。かなり離れていたけれど、すぐに堀田だとわかりました。私が駆け寄り、彼の名を呼びかけたその時、彼女が……」
「えっと、その、ミハルさん、だったかな?」
「そう。美晴ちゃんが彼の元にやってきて、彼の腕にまとわりついていました。やっぱりそうだったのか、そっか、そうだよね、と妙に冷静な気持ちになって納得している自分がいたんです。まだ二人は私のことに気づいていない。ならば、このまま見なかったことにして引き返すべきか、いや、やはり彼に声をかけるべきだろうなどと、ほんの数秒の間にあれこれ迷ってしまいました。けれど、どこにそんな勇気が残っていたのか不思議だったのですが、気が付けば彼の前に立ち、にっこり笑っている私がいたんです。そして言いました。今までありがとう。さようなら、と」
彼女はふっと息をもらした後、唇をかみしめ、そして続けた。
「その後は、お決まりの展開です。私の後方で二人が何か言いあっているのが聞こえました。そしてすぐに堀田が追いかけてきて、違うんだ、君は何かを誤解してる、俺の話を聞いてくれと執拗に迫ってきました。私はさようならと一言だけ言って彼を振り切り、駅前のロータリーに止まっていた発車直前のバスに飛び乗りました。家とは全く違う方向に行くバスだったけど、あれでよかったんだと今でも後悔していません。それから丸二日食べられず眠られず、泣き暮らしました。堀田から携帯に連絡が入り続けましたが、翌朝には着信拒否にして、それっきり彼とは何も連絡を取らずに今に至っています」
「そうだったんだ……。何て言っていいのか、言葉もないけど。でもどうして彼の言い分を聞いてあげなかったの? もしかしたら、ミハルさんに一方的に迫られていただけかもしれないよ?」
「あの後、サークル関係の友人から彼と美晴ちゃんのことを聞きました。彼は誰にでも優しい、その優しさが時には凶器のように人を傷つける。彼女のアプローチを断り切れなかった彼にも落ち度はあると。彼のご両親は仕事を持つ相手との結婚は望まなかったみたいで、結局その後、美晴ちゃんとも破局して、今はどこかのご令嬢と婚約中らしいです。それ以来、男の人は信じられなくて。恋愛なんかもうこりごり、仕事に生きようって、そう思っていたのに。でも、こうやって植山先生に聞いてもらえて、自分の気持ちにもしっかりと向き合うことができました。先生、本当にありがとうございました。そして、こんな過去を持った私でごめんなさい。せっかくスキー旅行誘って下さったのに、そして、こんな私にあこがれていたとまで言って下さったのに。男の人と幸せを築けない女子力ゼロな私なんか、先生と一緒にいる資格はありません。今夜は本当にありがとうご……」
いつしか彼女を抱きしめていた。車の中で身動きが取れず不自然な体勢だけど、植山はためらうことなく紗友子を自分の腕の中に収めていた。
ゆるくカールした髪が指に触れる。夢にまでみた彼女が自分の肩の上で息をひそめすすり泣いていた。
抱き寄せる腕を解き、彼女と見つめ合った。薄明かりの中、卵形のきれいな輪郭が浮かび上がる。
初めて紗友子を見た時、若くて元気そうな人だなと思った。そして一年経ち、二年経ち。声もその笑顔も、とても美しい人だと意識し始める。いつしか目を合わすことさえできないほど、彼女を愛してしまっていた。
涙でぬれた頬をそっと撫でた。どちらともなく唇を寄せ合い、もう一度強く彼女を抱きしめた。




