13.夢の果て その2
教員採用試験の勉強に打ち込むため塾の講師を辞めて以来、紗友子は期間限定の短期アルバイトをしている。十二月はショッピングモール内でクリスマスケーキの販売に携わり、一月は中旬から同じショッピングモール内でのバレンタインフェアで働く予定になっている。卒論も年末には順調な仕上がりを見せていて、教授のお墨付きももらい、あとは提出を待つのみだ。
今日は冬休み最後の日。あの日からすでに四日経つが、やはり堀田からの連絡は途絶えたままで、真実を知るのが怖い紗友子はまだ何もアクションを起こせずにいた。
あの夜、家族は親戚宅に出かけて不在だった。いつもなら人の気配のない家に帰るのはあまり好きではないのだが、今回は逆にそれがありがたかった。早く帰ってきた理由や結婚の具体的な日程などを訊かれずにすんだからだ。
ちょうど部屋着に着替え終わったタイミングで電話がかかってきた。堀田かもしれないと思い、急いでスマホを手にする。電話でなら勇気を出してピアスの持ち主のことも訊けるかもしれない。親戚を送迎した時に誰かが落としたとも考えられる。堀田に限って紗友子以外の女性を同乗させることはないと信じたかった。
が、紗友子の思惑は大きく外れる。電話の相手は志津だった。けれど志津でよかったのだ。なぜか瞬時にそう思った。
彼女の声を聴くや否や、紗友子は嗚咽を繰り返し泣き崩れてしまった。泣くつもりなどなかったのに、志津がいったいどうしたの、大丈夫? などと訊くたびに、涙がどっと溢れてきて止まらないのだ。
異変を感じ取った志津が紗友子の家に駆け付けたのはちょうど七分後。バスで一駅の同じ町内に住む志津は、バイクに飛び乗り、すぐに紗友子の前に姿を現してくれたのだ。
内容の一部始終を把握した志津は、一晩中、紗友子の部屋に付き添ってくれた。高校時代からしばしば泊まりに来ていた志津は紗友子の両親からも絶大なる信頼を得ている。両親が親戚宅から帰って来た時に出迎えてくれたのも志津だった。
そんな志津の提案で、今日はとあるブックカフェに来ていた。自宅から車で三十分ほどの校外にあるそのカフェは志津の彼氏である、佐久田マモルがお気に入りの場所だ。
というのも、男性の意見を聞いた方が公平な判断ができるのではという志津の勧めもあって、佐久田が出してくれた車で三人でやってきたのだ。
「寒いけど、テラスにする? それとも中がいい?」
車の中では何もしゃべらなかった寡黙な佐久田が初めて口を開く。佐久田は志津より少し背が高く、どちらかといえば痩せている。眼鏡をかけていて、物静かな印象を持った男性だ。
何度か一緒に食事をしているので全く知らない仲ではないが、あくまでも親友の彼氏という枠を出ない、距離感を保ったままの関係が続いていた。
「うーーん、やっぱ外がいいかな。皆着こんでるし、あったかい飲み物頼めば大丈夫だよ。ね、さゆ」
「そうだね。外の方が他のお客さんに迷惑じゃないし」
幸い、風もなく、ぽかぽかと陽だまりになっているテラス席が三人を温かく迎えてくれた。
この時期、テラス席は誰もいない。他の数名の客は室内で本を読み、それぞれの空間を楽しんでいるようだった。
ティーカップを両手で包み込むように持ち、ロイヤルミルクティーを一口飲んだ。ほどよい甘さが紗友子の心を落ち着かせてくれる。何もアドバイスをもらえなくてもいい。こうやって仲間とテーブルを囲めただけで、もう十分だと思った。
「堀田くん、まだ何も言ってこないんだよね? それって今までなら考えられないことだよね」
志津の問いかけに紗友子はうんと深くうなずいた。
これまでこんなに長い期間連絡を取り合わないことはなかった。一日音信不通になっても次の日には必ず電話があるのが普通だった。
「そっか。それって、何か彼の行動に変化があったってことだよね。さゆとの連絡すらできないほどの何か……」
「友人のために奔走してるのかも」
彼のことだから、自分のことは差し置いて、友人のために時間を割いている可能性はある。紗友子はそう思いたかったし、そうであって欲しかった。
「ピアスのことといい、連絡がないことといい。こんなこと言いたくないけど、やっぱ、女かな?」
「だよね。それが一番しっくりくる。ああ、なんか辛いな。なんでなんだろ。私、彼に何か嫌われることしたのかな? それとも、魅力的な女性が現れて、目移りしちゃったのかな……」
彼が他の女性と会っているのなら、その原因が何なのか知りたかった。何か取り柄があるわけでもなく美人でもない自分と付き合っていても楽しくなかったのかもしれない。紗友子は自らの至らなさが原因であるかもしれないと結論付ける。
「そうかもしれない。けどね、さゆ。クリスマスにはプロポーズされたんだし、それまで、彼に変わったところはなかったんだよね。結婚まで言い出した人が、急に別の女に乗り換えるかな? なんか納得いかないな」
志津が不服そうに口をとがらせる。
彼女の言う通り、紗友子も同じように思っていた。じゃあ、あのプロポーズはいったい何だったのか、考えれば考えるほど不可解だ。
「ねえ、マモル。マモルはどう思う? 私たち女子は、ついつい浮気の方向で考えちゃうけど。こんな場合、男子はどう解釈するのかな?」
志津が隣に座る佐久田に訊ねる。コーヒーを飲みながら聞き役に徹していた彼がおもむろに口を開いた。
「その困っているという友人は、やっぱり女性だろうな。頼まれたら断れない性格の堀田君のことだ。その相談相手に振り回されている、ってのが今回の騒動の根源だと思う。それとその女性は、彼の性格を熟知していて、うまく利用しているね。おまけに、さゆさんの存在もよく知ってる人だ。ピアスをわざと落とすことで、さゆさんを挑発しているとも考えられる」
佐久田はゆっくりとした口調で全部言い終わると、こほんと咳払いをして、またコーヒーを一口飲んだ。




