11.恋へのいざない その3
「うーーん、ゴールデンウィーク、だよね?」
「そうだよ。親戚たちにも都合をつけてもらいやすいし。な、そうだろ?」
堀田が何か不満でもあるのかといいたげな目をして、紗友子に顔を近づける。
「そうだけど。あのさ、四月に採用されてたったのひと月だよ。就職したばかりで結婚って、どうなんだろ。職場に迷惑じゃないかな?」
どんな職種であれ、就職直後に結婚というのはハードルが高い気がする。まだ仕事も覚えていないのに兼業主婦としてもスタートを切らなければならないのだ。紗友子にとっては課題が山積みといったところだろうか。結婚へのあこがれも希望も、現実を前に瞬く間にしぼんでしまう。
「もちろん、いろいろなリスクはあると思う。でもさ、いくらなんでも小学校側がプライベートにまでは踏み込んでこないだろ? 教師は結婚しちゃいけないって決まりでもあるのか? そんなことはないはずだ。ならさ、新婚旅行は別の機会に行くとして、仕事を休まなければ問題ないよ。ね、さゆ」
彼の自信に満ち溢れた発言に背中を押された気分になる。紗友子の中で何かが吹っ切れた瞬間だった。
「なんかさ、堀田くんにそう言ってもらえると元気が出てきた。そうだよね。結婚したからって仕事に影響が出るとは限らないし。職場の人に非難されないよう、私、頑張るから」
「お、さゆが笑った。俺、君のその笑顔のためなら、もう何だってできるかも。さてと、後は、俺の親をどう説き伏せるかだな」
「あ……。そっか。そうだよね」
二人だけで盛り上がっているが、彼の両親という大関門が前に立ちふさがる。
「さゆのことは、とても気に入ってくれてるんだけど、結婚となるといろいろあるからな。でもまあ、親がどう言おうと、俺の気持ちは変わらない。ちゃんと説き伏せて見せる。絶対にさゆと結婚するから」
「うん、わかった。堀田くんを信じてる」
「まかせといて!」
彼のただならぬ決意のほどがひしひしと伝わってくる。
まるで夢の中にいるようだと思った。誰からも好かれ頼りにされている眩しいほどに素敵な彼が、いよいよ紗友子だけの彼になり夫婦になるのだ。
彼の目が、彼の心が、紗友子だけを見て、一緒に人生を歩んでくれるという。これ以上の幸せはないと心からそう思った。
彼に家まで送り届けてもらった時、すでに日付が変わっていたが、結婚が決まった喜びを誰かに伝えたくて紗友子は真っ先に志津にメールを送っていた。
その年の年末に一度彼に会い、再びお互いの意思を確認し合った。相変わらず堀田の結婚への意気込みは衰えることを知らなかった。
彼は正月に親戚一同が集まった時に結婚予定を報告し、親族の応援をバックに親への説得を試みるそうだ。
紗友子は堀田家が一般家庭とは違うということに早くから気づいていた。彼の父親が経営するコンサルタント会社は規模こそ小さいが、取引のあるクライアントは大企業であることが多く、営業利益も莫大な様子がうかがえる。
それは堀田が身に着けている物が老舗の高級品であることや、一度家に招待された時も、家具や調度品などが明らかに違っていたことからも容易に想像できた。
けれど彼は金銭的なことで現実離れしている様子は全くと言っていいほどなく、ともすれば飲食店ではクーポン券を差し出すなど、経済観念がしっかりしている点などで、好感度が高かった。
車も友達から譲り受けた中古車を大事にしているし、車の維持費もデート代もアルバイト代でまかなっている。もちろん、紗友子も費用を持つことは多く、対等に付き合えてきたと自負している。
ただし結婚となると二人だけの価値観ではすまない。彼と結婚するということは、実家の背景もすべて受け入れるということだ。
紗友子の家庭はごく平均的なサラリーマン家庭であり、親族に資産家がいるということもない。
両親は老後のための積立貯金をするため家計をやりくりしているし、紗友子も双子の妹たちも、大学や専門学校への進学は奨学金を受けている。
もし彼の一族から結婚を反対されるとすれば、ただひとつ。家庭環境が釣り合わない、それに尽きるだろう。
今どき、家柄の釣り合い云々で結婚できなかった人がいるのだろうか。どこかの御曹司でもあるまいし、それは考えすぎかもしれない。
紗友子も彼と同じく、新年を迎え家族と雑煮を食べている時に結婚の話をしてみた。初めは驚いていた両親も、紗友子が幸せになるのなら反対はしないと言ってくれ、まずは一安心といったところだった。
妹たちも堀田君がお兄さんになると言って大騒ぎだった。お姉ちゃんおめでとう、と祝福の言葉までもらい、うっかり泣いてしまいそうになったのは、つい昨日のことだった。
明日は、彼と初詣に行く約束をしている。彼からの連絡を待っているのだが、まだ何も音沙汰がない。親族への話がうまくいかなかったのだろうか。アプリのメッセージも止まったままだ。
明日は着物で出かけようと段取りをつけているので、待ち合わせの時間とか、はっきりさせておきたかった。
妹たちはアルバイトに出かけ、家には両親とペットのうさぎしかいない。もうすぐ夜の十時になるというのに、まだ彼から連絡はなかった。
部屋の中を自由に行き来しているうさぎのミミ子が、フローリングの床の片隅で突如警戒モードに入り、ピタリと動きを止める。が、次の瞬間、前足を使って長い耳を器用に口元に持って行き、手入れを始めた。
手持無沙汰な紗友子はおもむろにミミ子を抱き上げ、今夜はもう寝ようねと言ってゲージに入れ扉を閉めた。




