10.恋へのいざない その2
付き合い始めた紗友子と堀田は、次第に絆を深めて……。
「さゆ。大学卒業したら俺たち、結婚しないか」
「堀田君……」
「二人で働けば、収入もなんとかなる。俺は親父のコンサルタント会社を継ぎ、さゆは小学校の先生として働く。俺の仕事が軌道に乗れば、さゆは仕事辞めてもいいからな。そして将来は、俺が家族全部まとめて面倒みる。親父の会社をもっともっと大きくして、絶対に成功して見せる。さゆは何も心配いらないよ」
就職も決まり、あとは卒論を仕上げて卒業を待つのみとなった紗友子は、彼からの突然のプロポーズに危うく腰を抜かすところだった。
もちろんこれまでにも、いつかは結婚できたらいいねと話すことはあった。それはあくまでも「いつか」であって、期日を限定したものではなかった。三十歳くらいまでに結婚できたらいいなと、漠然と思い描いていたにすぎない。こんなに具体的に将来の話をされたのは今回が初めてだったのだ。
今日のクリスマスイブのデートのために彼が予約してくれたレストランは、紗友子と堀田のような若いカップルはもちろんのこと落ち着いた熟年の夫婦まで、幸せそうな二人連れで席はすべて埋まっていた。
テーブルの上には赤いキャンドルに灯がともされ、ピアノの生演奏が店内に静かに流れる。ジャズ調にアレンジされたクリスマスメドレーがより一層ムードを盛り上げ、向かい合って座った彼の甘い声を聴くや否や、今すぐにでも抱きしめてもらいたくなるくらい申し分のない空間だった。
紗友子は堀田と付き合って二年と少し、本当に幸せな時を過ごしてきた。付き合っていることが発覚したばかりの頃は彼に本気であこがれていた人から妬まれたこともあったが、それも最初のうちだけで、今では皆に認知され、お似合いのカップルだと見守られている。
ただ一人、高校時代からの親友志津だけは、心から応援してくれているとは言い難かった。
まあ、堀田君と結婚するってわけじゃないし、付き合う分には別にいいんじゃない? などと、あくまでも傍観者の域を出ない冷静な感想しかもらえなかった。
けれど今回は違う。結婚へと話が飛躍した現実を志津にどう伝えるべきか、紗友子は頭を悩ませる。
「さゆ、どうしたんだ? うかない顔してるな。もしかして俺との結婚、迷ってる?」
今にも吸い込まれそうな瞳を見開きながら堀田が紗友子をのぞき込む。
「え? 違う、違うの。そんなことないよ。とても嬉しかった。ただ、あまりにも突然だったからびっくりしちゃって」
親友に喜んでもらえない恋に不安を覚えることもあったが、もともと志津は恋愛談義に淡白なところがある。志津の彼氏は、同学年とは思えないほどに落ち着いた人だ。あの二人に限って、手をつないでデートするなどありえないと思ってしまう。ましてやキスなんて絶対にしないだろうと断言できる、そんな独特の雰囲気を持った二人だ。
けれどお互いに信頼しあっているのはわかるし、志津が彼を愛しているだろうことも伝わってくる。
彼女らしい恋を育てている真っ只中の志津。時間をかけてゆっくり説明すれば、紗友子と堀田のことも理解してくれるのではないかと思い直した。
「そんなにびっくりした? 俺はさゆと出会った最初から、君と結婚するつもりだったし。今日にでも役所に行って、入籍したいくらいだよ」
「そ、そうなんだ」
彼の愛情表現はいつもストレートだ。愛されていることをしっかりと実感できる。女性としてこれ以上の幸せはないというくらい、順調な恋愛だ。
「それに、本当はさゆに仕事なんかして欲しくない。昔から言うだろ? 床の間に飾っておきたいって。まさしくそんな心境だよ。他の男の目にさらしたくない。君がサークル内で他の男と話してるのを見るだけで何も手につかなくなる。俺だけのさゆでいて欲しいんだ」
「堀田くん……」
ここまで言われて彼との結婚を拒める人がいるのだろうか。こんな彼と出会えたことを感謝せずにはいられない。
「でもさゆの子どもの頃からの夢を奪うわけにはいかない。せっかく手にした教職の仕事を手放すことは無理だろ?」
え? 仕事なんかして欲しくないとついさっき言ったことは、彼の本心だったのだろうか。まさか、そんな展開になろうとは、紗友子は予想だにしていなかった。
小学校の教師になるために選んだ女子大で学び、ようやく手にした教師への切符を、今ここで手放さなくてはならないのだろうか。
しかし、愛する彼が希望するなら、仕事を早々に辞めることも選択肢のひとつなのだろうと自分に言い聞かせる。紗友子の母親も結婚と同時に仕事を辞めて、父を支えて来たと聞いている。
彼が望むなら、そうするしかないのかもしれない。
「うん。でも……。あの、堀田くんが望むなら、わたし、仕事を……」
「おっと、それ以上は言わなくていい。やっぱり、仕事か俺のどっちかを選べなんて、残酷な選択を君に強いることはできないよ。そんなことして君の悲しそうな顔をみるのは俺の本望じゃないからね」
「あ、ありがとう。でも本当にそれでいいの? 堀田くんも仕事に慣れるまではいろいろ大変なのに、私、あなたを支えてあげられないかもしれないよ」
「それはお互いさまだよ。じゃあ、年が明けたらすぐにさゆのご両親に挨拶して、ゴールデンウィークくらいに挙式ってのはどうかな?」
どんどん暴走していく彼の言動に、本当にこれでいいのだろうかと、一抹の不安が紗友子の脳裏をかすめた。
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