第867話 文化祭と前髪野郎(3)
「ははっ、いやー楽しいね! 私は1人でも物事を充分に楽しめる部類の人間だが、やはり人といると余計に楽しいと思えるよ。君はどうかな、帰城くん?」
「うぷっ、食い過ぎた・・・・・そうっすね。楽しいと思いますよ・・・・」
約1時間後、タダ飯の誘惑に負けロゼと文化祭を一緒に回っていた影人は、許容量を超えた満腹感を覚えながらロゼの言葉にそう返事をした。しかし、顔と言葉が全く一致していない。
「その割には表情が違うね。まあ、君は欲張ってけっこう食べていたからね。察しはつくが。気持ち悪かったら早めに言うんだよ?」
「ガキじゃないんだから分かってます・・・・・・・・とりあえず、ありがとうございました。食いたいものは全部食えました。普段だったら躊躇して食わない物も食えましたし・・・・ピュルセさんのお礼は確かに受けとりました」
満腹感が少しはマシになった影人は、ロゼに感謝の言葉を述べた。容赦なく食べたので、金銭価格で言えばおそらく2000円は超えたはずだ。金に弱い小市民の前髪は、本当にロゼに感謝していた。
「どういたしまして。私も同年代の異性とこうして過ごしたのはほとんど経験がなかったから、いい経験をさせてもらったよ。いや、少し恥ずかしい話ではあるが、私はまだ恋人がいた事がなくてね。まあ、芸術が恋人と言えばそうなんだが。しかし、芸術家としてはそれはそれで問題でもあってね。この年で未だに恋を知らず生娘のままというのは、表現者としてはマイナスなんだ」
「へえ、そうなんですか。何か意外ですね。ピュルセさんならいくらでもモテそうですが・・・・・まあ、俺も恋ってやつを知らないんで、ピュルセさんと同じですけど」
ロゼが漏らした悩みというか意外な事実に、影人はそう言葉を返した。もちろんお世辞である。影人からしてみれば、こんな変人に恋人なんてそれは出来ないだろうという感じだ(お前が言うな)。
「ほう、君も恋を知らないのか。なら、どうだい帰城くん。私と恋人同士になってみないかい?」
「は、はぁ!? いきなり何を言い出すんですかあんたは!?」
突然そんな事を言ってきたロゼに、影人は素っ頓狂な声を上げそう聞き返した。全く以て意味不明である。
「ははっ、君のそんな驚いた表情は初めてだね。別にちょっとした提案だよ、そこから始まる恋もあるかもと思ってね。君は嫌かい?」
「嫌かいって・・・・・・・・あのですね、ピュルセさん。お節介かもしれませんが、自分の身はもう少し大切にした方がいいと思いますよ。いつか痛い目を見ないためにもね」
楽しげな表情を浮かべるロゼに、影人はため息を吐きながらそう忠告した。影人は普段、人に忠告などをするキャラではないが、流石にこれにはそう言わざるを得なかった。
「忠告ありがとう。やはり、君は優しいね。君の忠告を受けたからではないが、1つだけ言わせてもらうと、誰でもいいというわけでは決してないんだよ? というか、こんな事を言ったのは君が初めてだからね。君だからこそ、言ってみたんだ。ははっ、実はけっこう緊張したんだぜ?」
「っ・・・・・・・」
笑顔でそんな事を言ったロゼに、影人は不覚にも心臓がドキリとした。
(クソッ、いきなり何なんだよ・・・・・・・・変なこと言いやがって。俺は孤独で孤高の帰城影人だ。異性にときめくなんてのはねえんだよ。そんなもの、俺には・・・・・・・)
色々と胸中でそんな事を思いながら、影人は今の感覚を何かの勘違いだと否定した。そう言った事は自分には関係のない話だ。
「・・・・・悪いですが、その提案は拒絶させてもらいます。俺は生涯恋人なんていらないし、恋に興味もありませんから」
だから、影人は当然のようにそう返答した。
「残念、フラれてしまったね。だがまあ、気分が変わったらいつでも言ってくれ。私は当分は日本にいるからね」
「俺の気分が変わる事はないので大丈夫ですよ。・・・・・じゃ、俺はここらで失礼します。そろそろ休憩時間も終わりなので」
「そうか。では一旦さよならだね。また会おう、帰城くん」
「俺は出来れば会いたくはないですがね・・・・・・・・今日はありがとうございました」
影人は最後にそう言うと、ロゼにヒラリと手を振りながら校舎の方へと歩いて行った。
「全く、面白い男だよ君は・・・・・」
影人の後ろ姿を見つめながら、ロゼはポツリとそう言葉を呟いた。




