第843話 出来ることなら(4)
「え・・・・・・・・・?」
影人に右手を掴まれたシェルディアは、驚いたように振り返りそう声を漏らした。
「・・・・・・ごめんなシェルディア。俺は君を傷つけた。君に、違う存在を重ねて。君は確かに人じゃない。だけど、君は邪悪な存在じゃない。本当はそんな事は分かってたんだ。たださっきまで、俺の感情はそれを受け入れようとはしなかった」
影人はシェルディアの手を握りながら、自分の中から湧き出てくる言葉を述べる。シェルディアの手は少し冷たい。前にシェルディアの手を握った時は何とも思わなかったが、これはきっと吸血鬼としての体温が原因なのだろう。
しかし、そんな事はどうでもいい。人ならざる者の手がどうした。いま自分は、この手を握らなければならないのだ。
「・・・・・でも、君がいま俺に言った言葉で目が覚めたよ。君はただの優しい吸血鬼だ。確かに君の強さは絶対的だ。でも、君は優しい人間と何も変わらない。・・・・・・・・ごめん、言葉が纏まってないな」
影人はクシャクシャと左手で自分の髪を掻いた。考えて話していないから、結局自分が何を言いたいのかシェルディアには伝わっていないだろう。影人は1つ大きく深呼吸をして、再び言葉を紡ぎ出した。
「俺が君に言いたいのは謝罪と、情けなく思うだろうが許しを乞う言葉だ。まずもう1度しっかり言うよ。ごめんなさい。俺は身勝手な自分の感情を理由に君を殺そうとした。謝って済む事じゃないのはわかってる。でもこれだけは言わなければならなかったから」
影人は改めてシェルディアに謝罪した。それは影人の心の底からの謝罪の言葉だった。
「そして、もう1つ。君に許しを乞う言葉を言うよ。もし、君が俺への負い目が原因でどこかへ行くと言うのなら・・・・・・・その決断は思いとどまってはくれないか? 出来ることなら、もし君が俺を許してくれるなら・・・・・・・・俺は今まで通り、君と何気ない日常を過ごしたい」
「っ・・・・・・・・・!?」
許しを乞うその言葉を聞いたシェルディアは、その目を大きく見開いた。影人は驚いているシェルディアを見つめながら、最後にこう言った。
「都合のいいのは重々承知だ。嫌ならもちろん拒否してくれて構わない。・・・・・・・・・・どうかな、嬢ちゃん」
シェルディアの事をそう呼びながら、影人は小さな笑みを浮かべた。
「・・・・・・・・・・・・・・・・いいの? 私はあなたの近くにいても、あなたとこれまで通りの日常を過ごしても、本当にいいの・・・・・・・?」
シェルディアは呆けたような顔になりながら、影人にそう聞き返して来た。少し怯えたような、今にも泣き出しそうな、そんな声音で。
「ああ、もちろん。君がそう望むのならば」
影人は優しく暖かな声でシェルディアにそう言葉を返した。
「っ、影人・・・・・・!」
頷いた影人を見たシェルディアは、両目から一筋の涙を流しながら、影人に抱きついた。
「私は、あなたの近くにいたい! あなたと何気ない日々を過ごしたい! 初めて人の暖かさを知ったのよ! それをくれたあなたと、私は離れたくない!」
「なら、いればいいさ。俺も嬢ちゃんのいる日々は好きなんだ。母さんも穂乃影も、君がいなくなったらきっと悲しむ。嬢ちゃんがそう望むなら、そうしてほしい」
シェルディアの慟哭を聞いた影人は、恐る恐るではあるが、シェルディアの背に優しく両手を回した。恥ずかしいという気持ちがないと言えば嘘になるが、今はそれよりも暖かな気持ちの方が強い。
「ありがとう、嬢ちゃん。そう思ってくれて。君に心からの感謝を」
「ありがとう、影人。こんな私を受け入れてくれて。心の底から嬉しいわ」
影人とシェルディアをお互いにそう言葉を交わし合う。
「よし、じゃあ仲直り記念に今日はこれから遊ぼうぜ。それで、夜ご飯はウチで食っていけよ嬢ちゃん」
シェルディアの背から両手を外し、影人は明るくそう提案した。影人の提案を聞いたシェルディアは、輝くような笑顔を浮かべこう返事をした。
「ええ!」
「よし、じゃあ適当にどっか行こうぜ!」
影人は今度は左手でシェルディアの右手を引いて歩き始めた。シェルディアも影人の手をしっかりと握り、隣に並ぶ。影人は「あ、そう言えば」と言ってシェルディアにこう聞いた。
「呼び名はどうすればいい? 嬢ちゃんって呼び名に勢いで戻しちまったけど、俺みたいな奴にそう呼ばれるのは嫌じゃないか?」
嬢ちゃんという呼び名は、影人がシェルディアを自分より下のただの少女だと思っていた時の呼び方だ。だが、今の影人はシェルディアが不老不死の吸血鬼だと知っている。シェルディアが何歳なのか知らないが、明らかに影人よりは年上だろう。なら、嬢ちゃんという呼び方は失礼に当たるのではないか。影人はそう思った。
「全然嫌じゃないわ。私の事をそう呼ぶのはあなただけだから。だから、呼び名はこれまで通りの方が私はいいの」
「そうかい。そういう事なら分かったよ、嬢ちゃん」
シェルディアの答えを聞いた影人はフッと笑う。なら、自分は今まで通りシェルディアの事をそう呼ぶ事にしよう。
「さて、じゃあどこに行くか。嬢ちゃん、行きたい所はあるか?」
「あなたと一緒ならどこにでも。でも、そうね。なら最初は――」
輝く太陽と気持ちのいい青空の下、影人とシェルディアがそんな相談をする。手を繋ぎそんな会話を交わす2人の姿は、
――本当に楽しそうだった。
吸血鬼と怪人を演じる少年は、本当の意味で今日わかり合えたのだった。




