第841話 出来ることなら(2)
「そういや、明日から文化祭か。まあ着る衣装は水錫さんに頼んで何とか用意してもらったから大丈夫なんだが・・・・」
20分ほど家の近辺をぶらぶらと当てもなく歩き回っていた影人は、家の近くの公園のベンチに腰を下ろしていた。午前という事もあり、日差しはまだそれ程キツくない。今日は風もよく吹いているので、こうして外で座っている分にも中々気分が良かった。
「水錫さんは『マジでこれ着るの? 少年ヤバいね』とか言ってたが・・・・・・別にコスプレ喫茶なんだから大丈夫だと思うんだがな」
公園にはまばらに子供たちの姿があるが、影人は特にその辺りの事は気にせずに癖である独り言を呟き続ける。そのせいで、子供たちは若干怖がっていたり、ヒソヒソと話しながら影人に不審げな目を向けているのだが、影人はその事には気づいていない。アホである。
「まあ、いい。今更衣装変えるのなんざ不可能なんだ。明日は予定通りアレ着よう」
散歩の途中で買ったミネラルウォーターを飲み、喉を潤した影人はそう呟くとペットボトルの蓋を閉めベンチに置いた。
「・・・・・・・・こんなにいい天気だってのに、心は全く軽くならなかったな。まあ、原因が何も解決してないから当然だがよ」
影人はぼけーと晴れ渡った空を見上げた。快晴、その一言に尽きる青空だ。美しい。純粋にそう思える。だが、今の影人に、この青空は心の底から晴れやかさを感じさせてはくれない。
「・・・・・帰るか」
家に帰って明日着る服を1度着てみよう。それくらいしかやる事はないが、ここにいてやる事もない。影人がペットボトルを持ってベンチを立ち上がろうとすると、どこからかこんな声が聞こえてきた。
「――あら、偶然ね影人。こんな所で出会うなんて」
「っ・・・・・・・?」
影人が自分の名を呼ぶ声のした方向に顔を向ける。声のした方向は公園の入り口。影人がそちらに顔を向ける。
影人の名を呼んだのは、豪奢なゴシック服を纏った精巧な人形のように美しい少女だ。ブロンドの美しい髪を緩く結んだツインテールにしている。黒い日傘を差しながら、その少女は影人の方へと向かって来た。
「・・・・・・・シェルディア」
影人は少女の名を呼んだ。いや、正確には少女の姿をした吸血鬼か。今の影人の心の重さとなっている原因であるモノだ。
「ふふっ、そう言えば2日前からあなたは私の事を名前で呼んでいたわね。あなたに名を呼ばれるというのは、結構というかかなり嬉しいのだけれど・・・・・・前の呼び名も気に入っていたから、少し複雑な気分でもあるわね」
シェルディアは言葉通り嬉しさと悲しさが混じったような顔で笑い、ベンチに座っている影人の前で足を止めた。
「お隣、座っても?」
「・・・・・好きにしてくれ」
影人はペットボトルを自分の近くに置き直し、そう答えた。その答えを聞いたシェルディアは「ありがとう」と言って、影人の隣に腰を下ろした。
「珍しいわね。あなたがこの時間にここにいるなんて」
「・・・・・・・・まあ、今日はたまたまだ。天気も良かったから、散歩したかった気分なんだよ」
日傘を畳んで自身の影の中に傘を放り込みながら、シェルディアがそんな事を聞いてくる。影人はその光景を何とはなしに眺めながら、自分がここにいる理由を述べた。




