第816話 閉ざされた記憶の中で(4)
「・・・・・・別にいま俺がここにいる状況を予想しただけだ。俺はここを閉ざしていた鎖が緩むのを自分でも感じてた。そして気を失った俺の意識は精神の最奥へと引き込まれる。ここはその精神の最奥にある場所だ。その封印していた記憶の鎖が緩めば・・・・・俺がここにいる理由は説明がつく」
影人はどこまでも嫌そうな声で影に自分が冷静である理由を説明した。いや、正確に言えば自分は冷静ではない。冷静を装っているだけだ。今も影人の中では形容し難い感情の数々が混沌のように渦巻いている。一瞬でも気を抜けば、その感情によって自分がバラバラになってしまうだろう。影人にはその自覚があった。
『理論的な説明だ。確かにそう分かっていれば、表に出すほど取り乱しはしないか。まあ、その分お前の内面はぐちゃぐちゃだろうが』
「っ・・・・!」
見透かすようにそう言って笑みを浮かべる影に、影人は抑えている激情が逆立つのを感じた。今すぐにでもこの激情をぶちまけたい。そんな気分が高まってくる。だが、ここでそうしてしまえば影の思う壺だ。ゆえに、影人は何とか激情を更に抑えつけた。
「・・・・・・・お前と話す事はない。俺はすぐにでも戻らなきゃならねえんだ。今回はイレギュラーだったが、本当にもう2度とお前とは会わないだろうぜ。じゃあな、俺が封印した最低最悪のクソッタレの残滓野郎」
影人は影にそう吐き捨てると、この閉ざされた記憶の外に出るべく鳥居に向かって歩き始めようとした。あの鳥居の歪んだ空間の中が、この記憶の外へと出る事の出来る唯一の出口なのだ。
『ふふっ、そうさ。今ここにいる吾はお前の記憶の中の残滓。何の力もないただの影。お前のせいで、吾はこうなってしまった。全く、お前が憎いよ。吾という存在が封じられた代わりに、お前から奪えたのはたった2つだけ。庇護者の片割れの絆と1つの感情だけだ。本当に割が合わない』
「・・・・・・・・・・・・」
影の言葉に耳を貸さずに、影人は鳥居に向かって歩き始める。あの影の言葉に構っている時間など自分にはない。例えその言葉が、どれだけ自分の精神を逆立たせ心を抉ろうとも。
(無視だ。無視しろ帰城影人。たぶん今は俺の言葉の意味に気がついてイヴが俺の体を動かしてくれてるはずだ。今がどんな状況になってるかは分からねえが、早くまた代わらないと・・・・・・)
影人はイヴを信頼しながら、自分にそう言い聞かせた。正直、意識を取り戻した所でシェルディアに再びどう立ち向かうか、それはまだ考えられていない。だが、とにかく戻らなければ。影人はその事だけを考え、鳥居を潜ろうとした。
『ああ、影人。1つだけ言っておくが、例えお前が戻っても、あの吸血鬼には絶対に勝てないよ。今のお前じゃ、何をしてもね』
「なっ・・・・・・・・!?」
だが、鳥居を潜る前に影が言ったその言葉に、影人はつい立ち止まり影の方を振り返ってしまった。
「どういう事だ・・・・! 何でお前が今の俺の状況を知ってやがる・・・・・・・・!?」
意味が分からなかった。影はイヴのような存在ではない。つまり、影人を通して外の世界を見る事は出来ないはずだ。だというのに、影はシェルディアの事と影人の状況を知っていた。だから、影人は驚いているのだ。
『別に不思議はないだろう? さっきお前が言ったように、この閉ざされた記憶の世界とお前の精神の境目は現在緩んでいる。しかもかなりな。なら、吾もここからお前の情報を色々と見る事くらいは出来るよ。だから知っている。それだけの事さ』
影はその白い目も三日月のように細めると、ニタニタとしたように笑いながら影人にそう告げた。そして影はこう言葉を続けた。
『もう1度言ってやろう影人。お前では奴には勝てない。まあ見ていたところ、お前もそれなりに特別な力は得ているようだ。だが、奴にはそれでは足りないよ。「世界」を顕現できる相手には、それじゃあ足りないんだよ。「世界」を顕現できる者と出来ない者。そこには決定的で絶対的な差が存在しているのさ』
影は『世界』が何たるかを知っているような口調で、座っていた石の上から離れた。そして参道の上の石畳の所まで歩きそこで立ち止まると、鳥居の前にいる影人に向かって右手を伸ばした。
『少し話をしようじゃないか影人。吾ならお前にあの吸血鬼に勝てる方法を教えてやれる。だから、出て行くのはもう少し待った方がいいぞ?』
影人の禁域に住む影はそんな事を言うと、その目と口を細めて笑った。




