第624話 兄としての問い(1)
「――なあ、妹よ。そう言えば、いつからお前は俺の事『あなた』って他人行儀に呼ぶようになったっけ?」
8月23日木曜日、午後3時過ぎ。影人がスプリガンとして、穂乃影に問いかけを行った翌日。自宅のリビングのテレビの前に座っていた影人は、リビングのイスに座って雑誌を読んでいた穂乃影に、唐突にそんな言葉を掛けた。
「・・・・・・・・なに? 藪から棒に・・・・」
影人の言葉を受けた穂乃影は見ていた雑誌から視線を上げると、影人の方に訝しげな顔を向けた。
「いや、深い意味はねえよ。単純に暇つぶしがてらの兄妹間の会話の話題だ。いつからお前は俺の事、影兄って呼ばなくなったっけかなーってよ」
影人は本当に気まぐれ、といった感じで軽い笑みを浮かべる。影人は何気ない会話という事を、穂乃影に意識させた。
「・・・・・別にどうでもいいでしょ。あなたの呼び名なんて」
「まあまあ、そう言うなって。俺もいつからか、お前のことを妹とかお前としか呼んでないだろ? 俺の場合はたぶん高校に入るか入らないかくらいからそう呼んでるが、それは気恥ずかしさみたいなやつがあったからだ。今でも気恥ずかしさはあると思う。ったく、厄介な年頃だよな」
ふいと顔を背けてしまった穂乃影に、影人は少しウザめの兄を演じながら、そんな話をした。影人の話を耳にしていた穂乃影は、軽く息を吐きながら言葉を紡ぐ。
「・・・・・それを言うなら、私だって気恥ずかしさから。高校生にもなって、昔みたいな呼び方はしたくはないだけ」
穂乃影の理由は影人と同じものだった。しかし、穂乃影が影人の事を他人行儀に呼ぶ本当の理由は、それではなかった。いや、確かに気恥ずかしさもあったので、完全に嘘という事ではないが。
「まあそうだよな。それが普通だ。だがしかし、お前の兄としてはいささか寂しいのもまた事実だ。そこで、1つ提案がある。1回だけ、また俺のこと『影兄』って呼んでくれよ」
影人は少し苦笑しながら穂乃影の言葉に頷いた。だが、ここで素直に引き下がる訳にはいかない。影人は続けてウザめの兄を演じながら、穂乃影に向かって格好をつけた笑みを浮かべた。
「はあ・・・・・? あなた頭は大丈夫? 何か変な物でも食べたの?」
当然、と言っては前髪が深刻な精神ダメージを受けるかもしれないが、穂乃影は引いたような顔になった。いつもどこか変な兄ではあるが、今日はいつもよりもかなり変である。
「・・・・・・・嫌。私は断固として拒否する。私は絶対に――」
「なあ、頼むよ。穂乃影」
断ろうとする穂乃影に、影人は穂乃影の名を呼んで再度願った。
「ッ・・・・・・!?」
影人から、自分の兄から久しぶりに名前を呼ばれた穂乃影は、つい驚いたような表情を浮かべた。
「って、やっぱり気恥ずかしいもんだな。ただお前の名前を呼んだだけなのに。でも・・・・妹の名前を呼ぶの気恥ずかしがってたら、兄ちゃん失格だよな。よし、これからはちゃんとお前の事、また名前で呼ぶようにするぜ、穂乃影」
驚いた表情を浮かべる穂乃影をよそに、影人は恥ずかしそうに頭を掻く。この言葉も、この表情も、嘘ではない。影人は本気でそう言ったのだ。




