第610話 近くにいても知らぬ事(4)
「・・・・それよりあなた、来年は受験生でしょ。勉強しなくて大丈夫なの? まあ、夏休みの宿題も終わらせてない人にこう聞く意味はないと思うけど」
「意味がないと思うなら質問してくるんじゃねえよ。・・・・・勉強に関しては知らん。俺は別に頭もよくねえし、今のところ大学に行って学びたい事もない。だから、大学に進学するかも怪しいな。ま、来年の事なんて、来年になってみねえと分からねえよ」
悩むような素振りもなく、影人はいま自分が思っている素直な考えを穂乃影に伝えた。来年は確かに影人にとってはそれなりに大切な時期だ。しかし、そんな事を今から考える気はあまりないし、そんな余裕も今の影人にはない。なぜなら、今年からスプリガンという仕事を始めさせられたからだ。正直今年は、通常の学業とスプリガンの事で手一杯だろう。
「・・・・・・そう。・・・・・あなたらしい」
影人の返答に、穂乃影はそう言葉を述べた。その声音は影人の言葉をバカにするような声音ではなく、ただ納得するような声音であった。
「・・・・・・・・・・お前、でかくなったよな」
ポツリと、本当にポツリと影人の口からそんな言葉が漏れ出た。目の前の艶やかな黒い長髪の、どこか大人びた雰囲気の少女が自分の妹なのだ。ついこの間までは、中学生だったはずなのに。
「・・・・・・急になに?」
穂乃影は視線を上げて、訝しげな表情を浮かべた。そんな穂乃影に、影人は穂乃影を見つめたままどこか感慨深げにこんな言葉を放つ。
「いや、ふとそう思っただけだ。ちっちゃい頃は俺に懐いてた泣き虫だったお前が、今はこんなんだ。まあ、お互い思春期っていう面倒くさい時期で、昔よりかは話さないが、ちょっとの間に人は変わるもんだと思ってな。勉強面とかその他もろもろ、お前はたぶん俺を超えてるぜ。ふっふっふっ、誇れ。お前は兄を超えたんだ」
影人が格好をつけた気色悪い笑みを浮かべながら、右手でサムズアップをした。影人のサムズアップを見た穂乃影は、呆れた表情を浮かべこう言葉を返す。
「別にあなたなんか超えたところで、嬉しくも何ともないけど・・・・・というか、私とあなたたった1歳差じゃない。そんな親目線な感じで言われても何も思わないし、ムカつくだけなんだけど」
「手厳しいな。ま、ごもっともだがな」
影人は軽くおちゃらけた様子で穂乃影の言葉を肯定すると、前髪の下の両目を少し真剣なものに変化させる。
(・・・・・・・・俺は今のお前の事を、多分ほとんど知らないんだろうな。なあ、穂乃影。お前が光導姫だったら、俺は・・・・・・)
目の前にいる妹の姿を静かに見つめながら、影人はそんな事を思うのだった。
「――ちょっと出てくる」
同日の夜。午後9時過ぎ、リビングでスマホをいじっていた穂乃影は、ゆっくりとコーヒーを飲んでいた母親にそう告げると、一旦自分の部屋に入った。そして、ある物をズボンのポケットに入れると、スタスタと玄関に向かっていく。穂乃影はそのまま家のドアを開けると、外へと出て行った。
「・・・・・俺もちょっくらコンビニ行ってくるよ」
母親と同じくリビングにいた影人は穂乃影が出て行ったのを確認すると、母親にそう告げて自分も家を出た。一応、ポケットに黒色の宝石のついたペンデュラムを忍ばせながら。




