第606話 歌姫グッバイ(4)
だから、影人はソニアに対して何かお礼が出来ないかと考えた。月曜日に公園で会った時、ソニアは影人の素顔が見たいと言っていた。
前髪を全て上げて、自分の素顔を完全に晒す事は影人には出来ない。それだけは、どうしても。
そこで考えたのが、左目だけをソニアに見せるというものだ。これが今の、影人のソニアに対する精一杯の感謝の伝え方だった。
ちなみに、例え誰かが影人の素顔を見たとして、その者がスプリガンの顔を見ても、影人がスプリガンだと気がつく事はない。いや、正確に言うとその可能性はあるにはあるが、かなり低いと言える。
1度スプリガンの姿を見た者は、基本的には認識の阻害に縛られる。その効果は、その人物に影人の正体がバレない限り半永久的に持続し、影人がスプリガン時でない時も発動している。ゆえに、例え誰かが影人の素顔を見て、スプリガンの顔を見ても、「誰かに似ているな」といった事くらいしか思えない。影人の正体がバレない限り、スプリガン=影人という解答に辿り着く事はないのだ。
ただ、変身時よりも変身していない時の方が、認識阻害の効果は弱まっているので、影人の認識阻害の力より、巨大な力を持っているものは、そのルールに縛られない可能性もある。それが、可能性はあるにはあるが、かなり低いという理由である。そして、ソニアの場合は影人の認識阻害の力より巨大な力は持っていないので、ソニアはそのルールに縛られる。
「う、うん・・・・・・ゆ、許すも何もないよ! というか久しぶりに影くんの目ちゃんと見れたし! わ、私嬉しいよ!」
影人の左目と軽い笑顔を見たソニアの心臓がドキリと跳ねた。ソニアは何故かカァと顔が赤くなるのを自覚しながら、慌てたようにそう言葉を述べた。
(シャ、影くんの目昔と全然変わってない。一見冷たそうだけど、その奥に優しさがある目・・・・・・・ず、するいよ、去り際にそんな目を向けて来るなんて・・・・・・・)
ドキドキと高鳴る心臓。しかし、その心臓の高鳴りはどこか心地がいい。心の中も、どこかそわそわと浮き足立つ。
ああ、ソニアはこの心臓の鼓動を、この気持ちを知っている。これは――
「おい、金髪。お前、時間は大丈夫なのかよ? 離陸まで、もう時間ないんじゃないのか?」
ソニアが少しだけ呆けていると、影人がそう声を掛けてくれた。もう前髪は元通りで、左目も見えない。そこにいるのは、いつも通り前髪に顔の上半分を支配された少年だった。
「え・・・・・? あっ!? まずい、まずいよ! もう飛行機出ちゃう!」
影人からそう指摘を受けたソニアは、スマホの時間を見て大いに慌てた。影人が指摘したように、ソニアが搭乗する飛行機はもうあと少しで離陸する時間だ。後はもう搭乗するだけとはいえ、時間は本当にない。
「私、行くね! またね、影くん!」
「おう、達者でな」
ソニアは最後にそう言い残すと、急いで搭乗口に向かって走っていった。
「またねか・・・・・・・まあ、確かにまた会う事もあるだろうが・・・・」
ソニアの後ろ姿を見つめながら、影人はそう呟いた。またね、というのは別におかしな言葉でも何でもないが、影人はその言葉に軽い疑問のようなものを覚えた。なぜだか、ニュアンス的にまたすぐに会えるという意味的なものを感じたからだ。
「・・・・・・ま、気のせいだろ。さてと、金髪のおかげで覚悟は決まったし、ちょっと空港内をふらついて帰るか」
影人は頭を軽く横に振って、自分の考えを否定すると、随分と晴れた気持ちで空港内を歩くのであった。
「ちょっとソニア、ギリギリじゃないのよ! 後もうちょっとで離陸に間に合わなかったわよ!」
「ごめんごめん! ちょっと影くんと話し込んじゃって」
ファーストクラスのシートに腰掛けたレイニアが、コソコソとした声でソニアにそう声を飛ばす。ソニアはレイニアの隣のシートに腰掛けると、苦笑いを浮かべながらレイニアに謝罪した。
「全く・・・・・・で、ちゃんと別れの挨拶は出来たの?」
「うん、それはバッチリ♪」
呆れながらもそう確認を取ってくれたレイニアに、ソニアはピースサインを送る。
それから少しして、飛行機は離陸した。ソニアの席は窓側ではないので、眼下の光景を直接見る事は出来ないが、日本が徐々に遠のいている事をソニアは感じた。
「・・・・・ねえ、レイニー。ちょっと相談があるんだけどさ」
飛行機が陸を完全に離れてから5分ほど。ソニアはある決意を固め、レイニアに向かってそう言葉を切り出した。
「何よ? 改まっちゃって」
レイニアは訝しげな表情を浮かべながら、ソニアにそう聞き返した。レイニアのその言葉に、ソニアは正面を見つめながら、こう言葉を述べる。
「ステイツに戻ったらさ、とりあえず今入ってる仕事を全部片付ける。そして、今後の活動拠点をステイツから変えたいの。・・・・・・・・もちろん、パパとママにも話すつもり」
「・・・・・・・・・・・言いたい事は死ぬほどあるけど、今はとりあえず聞いてあげる。どこに活動拠点を移すつもりなの?」
ソニアの話を聞いたレイニアは、頭を軽く抱えながらもそう聞いてくれた。「だから、レイニーが大好きなんだよ」とソニアは笑うと、その瞳をレイニアの顔へと向ける。そして、どこか晴れやかな顔でこう言った。
「日本の東京。――私、また好きな人が出来ちゃった。今度はこの気持ち、止められそうにないや♪」




