第602話 歌姫オンステージ17(5)
「では、自分はここで失礼させてもらいます会長」
「ええ、バイバイ帰城くん」
ソニアの楽屋から出て東京ドームの前に戻って来た所で、影人は真夏に向かって別れの言葉を口にした。
「お2人とも失礼します。その、どうか妹とは仲良く接して頂ければ嬉しいです。もしかしたら、ご迷惑な言葉かもしれませんが・・・・」
その流れで、影人は気力を振り絞り明るめの声と作り笑いを浮かべると、アイティレと風音にもそう別れの挨拶の言葉を述べた。正直、影人からしてみれば、光導姫である真夏やこの2人などと穂乃影が関わるのは、胸がざわついてしまうが、それは穂乃影には関係のない話だ。ゆえに、影人は穂乃影の兄として、アイティレと風音に軽く頭を下げた。
「もちろんですよ。帰城さんとは、私ももっと仲良くなりたいですし」
「私などで良ければ、可能な限り善処させてもらうよ。しかし、彼女は礼儀の正しい、いい兄を持ったものだな。やはり、人間は見た目ではないな」
「ちょっと、アイティレ! 失礼でしょ!」
「いえ、お気になさらず。確かに、俺は少し前髪が長すぎますしね」
アイティレの言葉を注意する風音。そんな風音に、影人はどこまでも柔らかな態度で笑みを浮び続ける。
「すみません。・・・・・でも、帰城くんは本当にいいお兄さんですね、妹想いさんの。私もそこはアイティレと同じ意見です」
「・・・・・・・・・・いえ、別に俺はそんなんじゃありませんよ。では・・・・・」
影人は最後にそう言葉を返すと、3人にペコリと頭を下げてその場から離れた。
「なんか、見た目からは想像も出来ないような、丁寧な人ですね彼・・・・・・・」
去りゆく影人の後ろ姿を見ながら、風音がポツリとそう言葉を漏らす。本当に、言葉を交わすと彼に対する印象がガラリと変わる。
「彼、いい子でしょ? 私もお姉ちゃんが連れて来るまでは彼のこと知らなかったんだけど、彼見た目と中身のギャップがまあまあ激しくて面白いのよねー。しかも素直だし、私けっこう彼のこと気に入ってるのよ」
真夏が風音の感想に同意するように笑う。そして真夏はどこか意地悪そうに、「それよりさ〜」と言ってこう言葉を続けた。
「あんたも思いっきり見た目で判断してたんじゃないのよ、風音。あんた提督の事、注意出来る口かしら?」
「あ、そ、それは・・・・・・」
アイティレを指差しながらそう言ってきた真夏に、風音はたじろぐような反応を示した。真夏の言葉が、その通りだと思ったからである。
「ま、帰城くんに関しては仕方ないと思うけどね。それよりあんたたち、お腹減ったからどっかで飯食っていきましょ。時間あるわよね? なんたって夏休みなんだから」
「私は問題ないぞ」
「確かに時間はありますけど・・・・・・ちょっと強引な言い方だと思いますよ、榊原さん」
「んな事はどうでもいいのよ。それじゃ、行くわよ」
真夏はアイティレと風音に確認を取ると、空腹の導くまま歩き始める。そして、アイティレと風音も、真夏の後へと続いた。
「・・・・・・・・・・」
真夏たちと別れた影人は、最寄りの駅に向かうため歩いていた。一見すると、普段の影人と変わらないように見えるが、その内心は未だに焦りと不安が入り混じったような気持ちが渦巻いていた。
『――くくっ、らしくねえなぁ影人。本当、らしくねえ。そんなにてめえの妹の事が気になるなら、女神の野郎に直接聞くか、自分で確かめればいいじゃねえか』
影人の脳内に、人を喰ったような、あるいは嘲るような女の声が響く。今日初めて自分に話しかけて来たスプリガンの力の意志――イヴはやはり先ほどの真夏たちとの会話を見聞きしていたようだ。
「・・・・・・・うるせえよ。そんな事は、お前に言われずとも分かってんだ」
苛立ったように影人は肉声でそう呟いた。そんな影人を面白がるように、イヴはこう言葉を返す。
『ならさっさと確かめるんだな。じゃなきゃ、俺に情けねえ姿を晒し続ける事になるぜ』
イヴはそれだけ言い残すと、もう何も言ってはこなかった。
「・・・・・分かってる。分かってるんだよ・・・・・・・・・」
そう、確かめればいいだけだ。幸い影人には、確かめる手段がある。そうするだけで、この胸の気持ちは綺麗さっぱりに晴れるだろう。穂乃影が光導姫である。そんな馬鹿げた可能性、あるわけがない。
だがもしも、もしも何かの間違いで穂乃影が光導姫だったら――
そう思ってしまうと、影人は何も行動を起こして確認する気にはなれなかった。
結局その日、影人は穂乃影の事についてソレイユに確認を取らなかった。




