第1781話 明夜と影人(4)
「ふふっ、初めてかもしれないわね。帰城くんが私に興味を持ってくれたのは。ちょっとくすぐったいようでいい気分だわ」
明夜が彼女にしては珍しい大きな笑みを浮かべる。月に映える明夜のその笑みはとても、とても美しかった。そう思ってしまった影人は、ふてくされたように明夜から顔を背けた。
「・・・・・・別にそんなんじゃねえよ。ただ、ポンコツと書道が結び付かなかっただけだ」
「何よそれ!? 全く、帰城くんにはデリカシーってものがないわね。失礼しちゃうわ」
明夜が怒ったようにツンとした態度になる。だが、明夜はパチリと片目を瞑りもう片方の目で影人を見つめ、こう言葉を切り出した。
「・・・・・・私が書道部に入ったのに深い理由はないわ。ただ1年生の時に適当に色んな部活の体験をして、書道部で字を書いた時に感動したからよ。ああ、私でもこんな字が書けるんだって。先生や先輩のアドバイスをもらいながらではあったけど・・・・・・私は私の字に確かに心動かされたのよ」
「・・・・・・そうか。それはいい経験をしたな」
影人は素直にそんな感想を漏らす。自分で自分の何かに感動出来る。それは貴重な経験だ。少なくとも影人にはない。だが、影人の感想を聞いた明夜は眉を寄せた。
「え、何で急にそんなこと言うの。温度差で恐竜が絶滅するわよ」
「誰が隕石だ。で、お前今から字を書くつもりか。何で急にそんな事するんだ?」
話が見えないといった様子で影人はそう質問した。全ての準備を終えた明夜はパチリと片目を瞑る。先ほどとは違い、それは間違いなくウインクだった。
「言ったでしょ。渡したい物があるって。まあ、ちょっと見てて」
明夜は右手で筆を持つと、それをスッと硯に出した墨汁に浸した。
「ふぅー・・・・・・」
明夜は吸った息を弓を引き絞るように細く長く吐き出した。風が木を揺らす音だけが公園内に響く。一呼吸置いた明夜は、次の瞬間に顔を真剣なものに変えると紙に筆を置き、それを奔らせた。
「っ・・・・・・」
普段は見ない明夜の姿。それは戦っている時と同じくらい真剣で、そして凛々しかった。月の下、その名を持つ少女が筆を振るっている姿は、素直に格好がよかった。
「よし・・・・・・出来たわ」
顔を上げた明夜は満足そうな顔だった。額を軽く左腕で擦った明夜は、右手で握っていた筆を硯に置いた。
「これは・・・・・・影と・・・・光か?」
明夜が書いた字を見た影人がそう予想する。紙の上部には影、下部には光と思われる漢字がある。一筆書きをするように、影の字と光が一部繋がっていた。明夜は書道部だけあって字が達筆だった。だが、達筆過ぎて逆に読む事が難しい。ゆえに、影人は確信は持てなかった。
「そうよ。我ながら会心の出来だわ。帰城くん、これをあなたにあげるわ」
「俺に?」
「ええ。この字には私の、いや私と陽華の想いを込めたわ。だから、あなたに受け取ってほしいのよ」
明夜はそっと紙を取りそれを影人の方に向けた。影人は反射的に紙を受け取ると、改めて明夜の書いた字を見つめた。
「・・・・・・何で影が上で光が下なんだ。普通、位置的には逆だろう。それに、なんで影と光の一部が繋がってるんだ?」
「流石スプリガンの観察眼ね。気づいて欲しいところに気づいてくれるわ」
「世辞はいい」
「世辞じゃないんだけどね・・・・・・確かに、帰城くんが言うように光が上で影が下の方が自然よ。影は光がないと存在できないから。逆に光があれば影も必ずある・・・・・・でも、そこに上下の関係なんてない。私はそれを伝えたかったの。影が上で光が下で、光が上で影が下でもどっちでもいい。光と影は対等よ。そして、そこには確かな絆があって共に戦う事が出来る。影と光が繋がっているのはそういう意味よ」
「・・・・・・そうか」
明夜の説明を聞いた影人はただ一言そう言葉を漏らした。先ほど明夜は言った。この字には自分と陽華の想いを込めたと。つまり――
(この影が俺で、光が月下と朝宮って事か・・・・・・)
そういう事だろう。陽華とアプローチは違うが、よくもまあこれだけ真っ直ぐな思いを人にぶつけられるものだ。逆にこちらが恥ずかしくなってくる。だが、そんな彼女たちだからこそ自分は――
「・・・・・・仕方ねえな。受け取ってやるよ」
「ありがとう。嬉しいわ」
フッと口元を緩めた影人を見て明夜も小さく笑う。
「そうだ。あと、もう1つお礼があるわ。帰城くん、イズを救う事に賛成してくれたんですってね。それもありがとう。帰城くんが賛成してくれたなら、もう何も怖くはないわ」
「・・・・・・礼を言われるような事じゃない。俺はそうした方がいいと思ったからその意見にしただけだ」
陽華から聞いたのだろう。明夜がそんな事を言ってくる。影人は軽くかぶりを振った。
「だから信じられるのよ。何よりも、みんなを助けてきてくれた帰城くんが決めた意見だから」
「はっ・・・・・・買い被り過ぎだ」
明夜が全幅の信頼を寄せる笑みを浮かべ、影人は軽く顔を背ける。それは気恥ずかしさからか。
小さな風が吹きザアッと木の葉が音を奏でる。優しい月明かりに照らされて、影人と明夜はしばらくの間、自然を感じていた。




