第1672話 天狐の力(5)
「逃れたか。まこと便利な力よの」
白麗が周囲に尾を待機させながらそう呟く。影人は軽く俯きながら白麗の言葉を聞いていた。
「・・・・・・どうやら、最近『世界』やら『終焉』に無意識の内に頼りすぎてたらしい。・・・・・・ああ、ちくしょう。反省だぜ。俺はどこか鈍っていた」
戦いに対する意識がスプリガンになった頃よりも低い。相手がシェルディアと同等の相手で、『世界』と『終焉』が使えないからボコボコにされている。そんなものはただの言い訳だ。あの頃の、死と隣り合わせだった暗躍時代の自分が今の自分を見れば軽蔑するだろう。想いの鋭さがないと。
「? どういう意味じゃ」
影人の言葉を聞いた白麗が首を傾げる。影人はゆらりと顔を上げた。
「・・・・・・気にするな。ただの独り言だ。だが・・・・・・ここからは本気で、殺す気で行くぜ」
影人の目には冷たい殺意が宿っていた。その目を見た白麗は思わずゾクリと震えた。
「いい目じゃ。そんな目を向けられたのは久しぶりじゃのう。いいぞ。いいぞ。やはりお主は興味深い。ああ、滾る。滾るのう・・・・・・!」
「・・・・・・取り敢えず1発入れさせてもらうぜ。やられっぱなしは性に合わねえからな」
「やれるものならやってみい。さあ、第2幕といこうぞ」
影人と白麗が互いに構える。限りなく殺し合いに近い死合いが始まる。両者の間に流れる空気は、明らかに最初とは異なっていた。
「・・・・・・1回死ね」
「見せておくれ。お主の真の力を!」
影人と白麗が夜闇を蹴る。いざや第二幕。だが、こんな声が両者の耳を打った。
「――そこまでよ。これ以上はダメ」
声と同時に夜闇からシェルディアが現れる。シェルディアの姿を見た影人と白麗は途中で動きを止めた。
「っ!? 嬢ちゃん・・・・・・」
「なんじゃ居ったのか」
影人は驚いたような顔を浮かべ、白麗は白けたといった顔になった。
「私が気づかないはずないでしょ。少し前から見ていたわ」
白麗に対しシェルディアがそう言葉を返す。そして、シェルディアは影人と白麗を見ながら言葉を続けた。
「大体の経緯は想像がつくわ。どうせ白麗が影人と軽く戦ってみたいとか言ったのでしょう。そして、客の立場である影人はそれを断れなかった。そんなところでしょう」
「当たりじゃ」
「やっぱりね。別に両者の合意の元の戦いなら、私もとやかく口を出す義理はないわ。だから、今までは戦いを止めなかった。・・・・・・でも、これからあなた達がしようとしていたのは、殺し合いよ。下手をすれば本当にどちらかが死ぬかもしれないね。それは私は許容できないわ」
「っ・・・・・・」
シェルディアの言葉は熱を冷ます冷や水だった。その言葉を聞いた影人は、今まで自分を満たしていた冷たい殺意が霧散していくのを感じた。
「つまらんが正論じゃな。相分かった。今日はここで手打ちとしよう。帰城影人、付き合ってくれてありがとうの。久しぶりに楽しい時間じゃった。では、妾は先に屋敷に戻る。いい夜をの」
白麗はそう言うと、フッと煙のように掻き消えた。恐らくは瞬間移動の類だろう。影人は冷静にそう思った。
「・・・・・・悪かったな嬢ちゃん。わざわざ戦いを止めさせて。後、ありがとう」
「ん。なら今日のところは許すわ。全く、本当にあなたは命知らずね。あの白麗と本気で戦おうとするなんて。別に『世界』と『終焉』を縛っていても、あなたがそう簡単に負けるとは思わないけど・・・・・・白麗は最上位クラスの強者よ。2回死んでその辺りの感覚がおかしくなっているのかしら」
「い、いや別におかしくはなってないと思うが・・・・・・うん。そうだな。白麗さんの力は身に沁みて分かったよ。しかも、あれで全然本気じゃないんだからな。流石は嬢ちゃんクラスの化け物だ」
影人は今の戦いで白麗の力の一端を知った。あれは普通なら戦ってはいけない相手だ。
「どうやら、もう大丈夫みたいね。なら、私たちも屋敷に戻りましょう。そろそろ眠くなってきたわ」
「ああ、そうだな。・・・・・・なあ、嬢ちゃん。これは1つお願いなんだが――」
影人がシェルディアに対し言葉を紡ごうとする。シェルディアは影人の言わんとしている事を理解しているかのようにこう言った。
「仕方ないからまた鍛えてあげるわ。今度は殺意でも怒りでもぶつけてきなさい。全部受け止めてあげるから」
「っ・・・・・・ははっ、何でもお見通しだな。俺の師匠は」
「当たり前よ。なにせ私はあなたの隣人なのだから」
影人とシェルディアは笑みを浮かべた。そして、2人は白麗の屋敷へと戻って行った。
――こうして、テアメエルでの初日は過ぎていった。




