第1565話 ちっぽけで陳腐な理由(1)
「・・・・・・」
5月6日月曜日、午後3時過ぎ。生物の授業を受けていた影人は、中年の女性教師が話す授業内容を聞き流しある考え事をしていた。
(フェルフィズの奴が逃げたのは、嬢ちゃんが元いた向こう側の世界。普通なら、向こう側の世界に逃げたとしても、シトュウさんの全知の力からは逃れられない。だが、どういうわけかあいつはその力から逃れた。シトュウさんや零無の予想では、あいつの居場所を知るという行為自体が何らかの方法で無効化された可能性が高いって事だったが・・・・・・)
影人は昨日フェルフィズを取り逃した事に意識を割いていた。あの後シトュウや零無と話したところあの時フェルフィズが開いた穴は向こう側の世界、つまり異世界への門のようなものだと分かった(最初に零無がそう予想し、シトュウが世界と空間のログのような物を調べた結果)。
(・・・・・・そのせいで、フェルフィズの正確な場所は分からない。分かってるのは、あいつが向こう側の世界にいるだろうという事だけだ)
今更後悔しても遅いし意味はない。これから自分がする事はそれを戒めとし、フェルフィズをどうやって見つけるかを考える事だ。あの忌神をこのまま逃がしておくという選択肢は影人にはなかった。
それに、確信はないが嫌な予感がするのだ。このままフェルフィズを逃したままにすれば、何か取り返しのつかない事になるのではないかと。フェルフィズはたまたま逃げる先を異世界に選んだのか。影人はその事も気になっていた。
「ったく・・・・・・厄介な奴だぜ」
影人はボソリとそう呟いた。分かってはいたが、どうやら今度の敵も一筋縄ではいかないらしい。
結局、影人は生物もその後の授業もフェルフィズの事を考えていたせいで、授業内容は全く頭には入らなかった。
「・・・・・・マズいな。留年生だっていうのに、ノートが真っ白だ」
放課後。影人は机に広げていた自分のノートに何も書かれていない事に気がついた。留年生の影人にとってこれは由々しき事態である。授業とフェルフィズの事を比べれば、間違いなくフェルフィズの事の方がスケールが大きい。どのような角度から考えても、フェルフィズの事を考える方が優先順位が上だし、また有意義だ。
だが、それは最低限落第生でなければの話である。落第生もとい留年野郎が1番しなければいけない事は勉強であり、真面目に授業を聞く事である。戦いがどうのやら世界がどうのやらは、留年生にとっては二の次だ。留年前髪野郎もその事は理解していた。
「どうしたんですか帰城さん? 何か深刻なご様子ですけど・・・・・・」
「ああ、いや別に・・・・・・その、考え事してたから生物と古典のノートが真っ白でな。春野、本当に悪いんだがノートの写真撮らせてもらっていいか? また今度埋め合わせはするから」
隣の席の海公にそう聞かれた影人は、申し訳なさそうに海公に頼み事をした。影人にそう言われた海公は明るい顔で頷いた。
「全然大丈夫ですよ。後、埋め合わせなんていりませんから。はい、どうぞ」
「ありがてえ・・・・・・流石は神様仏様春野様だぜ」
生物と古典のノートをわざわざ鞄から取り出してくれた海公が今日の授業の板書を写した箇所を開けた。影人は両手を合わせると、スマホのカメラでそのノートを撮った。
「大袈裟ですよ帰城さん。あ、そうだ。よかったら、今日一緒に新しく出来た唐揚げ屋さん寄りませんか? 帰り道にあるんですけど、美味しいって有名なんですよ」
「唐揚げ屋か・・・・・・いいな。小腹も空いて来たし行くか」
海公の誘いに影人は頷いた。普段ならば、あまり人の誘いには乗らない前髪野郎だが、海公は色々影人に良くしてくれるので別だ。影人の返事を聞いた海公は嬉しそうな顔になる。
「やった。じゃあ、早速――」
海公は立ち上がり言葉を述べようとした。だが、次の瞬間にはその顔色を変えた。
「っ!? す、すみません帰城さん! 本当に申し訳ないんですが急用を思い出しました! ごめんなさい! 唐揚げ屋はまた後日に! では!」
「お、おう。気にするな。またな」
海公は影人にそう言うと、鞄を持ってダッシュで教室を出て行った。海公の突然の行動に少し驚きながらも、影人は海公にそう言葉を送った。




