第1437話 黒衣の怪人、彼の名は(1)
(どういう事だ、何が起きた!?)
突然地面が消え、影人は今の自身の瞳と同じ、漆黒の夜空をその目に映す。つまり、今にも倒れようとしている形だ。視界の端には今まで影人が立っていたであろう地面の断片、いや断層とでもいうべきものがあった。つまり、影人が立っていた地面だけが崩れたのだ。まるで、落とし穴かのように。影人がその事を悟った次の瞬間、どういうわけか頭に鈍い衝撃が奔った。
「っ〜!?」
何かとてつもなく硬い物で頭を打った。全く予期していなかった痛みと衝撃。そのせいで、影人の張り詰めていた精神がフッと緩んでしまった。瞬間、今までの疲労がどっと荒波のように押し寄せて来る。肉体は痛みと疲弊を訴え、精神は今にも意識が途切れそうになった。
(マ、マズい・・・・・・意識がと、途切れる・・・・・・だが、ここで意識を失う・・・・わけ・・・・には・・・・・・)
影人は必死に意識を失うまいと足掻いたが、しかし暗闇が影人の視界を閉ざして行く。やがて、暗闇が影人の視界全てを支配した。
「――吾の勝ちだ、影人」
意識が黒に塗り潰される前、影人は最後に自分を見下しながら笑みを浮かべる零無の姿を見た。
そして、
「・・・・・・」
影人はその意識を暗闇に引き摺り込まれた。
『――そろそろ、起きる時間だよ影人』
影人が暗闇の中で揺蕩っていると、どこからかそんな声が聞こえて来た。女の声だ。よく知っているはずの声。確か、ついさっきまで聞いていたはずの声。
『でなければ、最後の足掻きすらも出来なくなってしまうよ。これ以上眠り続けるのは悪手だ。吾の本体が、お前を連れ去ってしまう。それは、お前の望む事ではないだろう? 吾にとっては悲しい事にね』
声は優しく影人に語りかけてくる。
(なん・・・・で・・・・そんな・・・・事・・・・・・お前は・・・・敵のはず・・・・・・)
ぼんやりと暗い微睡みの中で、影人はそう思った。正確に名前までは今は思い出せないが、この声の主が敵だという事だけは分かる。すると、その影人の思念が届いたのか、女はこう言ってきた。
『ああ、そうだね。確かに吾はお前にとって敵だ。それも、お前が1番憎んでいるね。けどね、正確には今お前に語りかけている吾と、現実世界にいる吾・・・・・・つまりは本体と、吾は違う存在なのさ。吾は本体とは独立した魂。7年前、本体が飛ばした小さな魂のカケラ。ゆえに吾は吾であって、吾ではない』
女の言葉は難しくて、ぼんやりとしている今の影人にはよく分からなかった。そして、女は言葉を続ける。
『だからかな。吾の中には確かにお前に対する執着がある。感情のほとんどを占めるようなね。だけど・・・・・・残りの1割は違う感情だ。何と言えばいいだろうね。強いて言えば・・・・・・微笑ましさ、とでも言えばいいかな。それか、本体が既に失ってしまった優しさか』
暖かなその声は、影人のぼんやりとした意識に心地よく響いた。その声音は、彼女と過ごした楽しく暖かな記憶と同じように感じた。懐かしい、またこんな声を聞けるなんて。影人はそう思った。
『影人、吾はお前が蘇ってからずっとお前を見てきた。吾の本体と邂逅してから、禁域の封印は解かれっぱなしだったからな。お前の苦悩も感情も覚悟も戦う姿も見ていたよ。そうして・・・・・・吾はお前の中に人間の強さを見た。想いの力だけで、強大なものに抗う姿に、不屈のその姿に心を動かされた』
徐々に、徐々にだが意識がハッキリとし始めて来た。
『なあ、影人。お前は凄いよ。本当に凄い。よくやったと言いたい。だが、残念ながらまだ言えないだろう。まだ、終われないだろう』
そうだ。まだ自分は終われない。負けられない。人が真に負ける時は、全てを諦めた時だ。
『だったら、目を開けてみせろ。足掻いて見せろ。やってみせろ。やり遂げてみせろ。頑張れよ影人。お前ならきっと出来る。吾はよく知っているぜ。意志の力で不可能を可能にしてきたのはお前だ。お前たち人間だ。だから、目を覚ませ!』
「っ!」
激励の言葉を受けた影人の意識が急速に覚醒へと向かう。ここまで言われて何もしない自分ではない。そうだ。見せてやる。人の想いの力を。
『ああ、そうだ。それでこそお前だ。吾は見守っているぜお前の中から。さあ行け、吾が愛したただ1人の人間よ。吾のただ1人の友人よ!』
「!」
意識が浮上する。暗闇に光が差す。そして、影人はその目を開けた。




