第1416話 邪悪なる愛(2)
「ああ、そうだよ。力を使うのに詠唱ありきならば、まあ軽く詰みだったが、吾は力の行使に詠唱は必要としないからな」
零無はシトュウの言葉に頷くと、少し苛立ったようにこう言葉を続けた。
「しかし、本当よくも殴りに殴ってくれたなあ、シトュウ。吾のご尊顔をよぉ。仮にもかつての上司だぜ吾は」
「今は関係ありませんよ。それに、あなたを殴打して少し晴れやかな気分になりました。人間的に言えば、ストレスが発散されたという感じでしょうか」
シトュウは表情を変えずに零無にそう言葉を返した。シトュウのその言葉を聞いた零無は最初ポカンとした顔を浮かべていたが、次の瞬間には笑い声を上げた。
「ははははははっ! おいおい、随分と感情的な、面白い事を言うじゃないか! 言うようになったなシトュウ! 影人たちと話して、人間らしさでも学んだか!?」
「さあ、どうでしょうね。ですが、もしかしたらそうなのかもしれませんね」
「くくっ、そうかいそうかい。いいな、今のお前は正直けっこう好きだぜ」
シトュウの言葉を聞いた零無は哄笑を収めると、こう言葉を続けた。
「だが、やはり負けてやる事は出来んなあ。吾の影人に対する愛のためにも」
零無の瞳には狂気的な愛が宿っていた。その愛を見たシトュウは、その目を細めた。
「愛ですか・・・・・・私には、その感情はまだ理解出来ませんが、あなたの愛が歪んでいる事だけは分かります。あなたの帰城影人に対する愛は・・・・・・邪悪なる愛です」
シトュウは零無の愛をそう批判すると、決意の宿った色彩の異なった目で零無を見つめた。
「ゆえに、その愛は私がここで断ち切ります」
シトュウがそう言った直後だった。突然、零無の胸部を中心に方陣が出現した。次の瞬間、零無は自身の意識がひどく、ひどく緩慢になった気がした。
(こ・・・・・・れ・・・・・・は)
何かを考えるという行為が、ひどく遅い。まるで鈍重なる亀のように。まるで、先ほどとは逆のようだ。
「・・・・・・あなたが転移、又は何らかの方法で結界を抜けるのは分かっていました。ゆえに、私はあの殴打の中にある『時』の力を仕込みました。先ほどあなたに施した力とは逆。意識をひどく遅らせる力を」
そう言って、シトュウは歩いて零無の方に向かい始めた。その歩みはただ悠然。神としての格のようなものが、その歩みから滲み出ていた。
「意識の時を操る力は、ある意味特別です。本来は現実の世界に干渉する力を、他者の内面、精神世界に干渉させるために。ゆえに、この力だけは私が対象に直接触れなければ発動させる事が出来ない。それどころか、1つ制約のようなものを施さなければ、充分に力を発揮しないという、複雑で難しい、正直に言って扱いにくい力です」
そう。その制約というものを、シトュウは「零無が結界から自ら出る事」に設定したのだ。ゆえに、零無に時間差で、力が発動した。
「ですが、その分上手く扱えば、戦いにおいては勝利に直結する力。意識の時を操作された者は、何人だろうと何もする事は出来ない。ちょうど、今のあなたのように」
シトュウが零無の前に辿り着く。正確に言えば、零無の意識はひどく緩慢、つまり遅くなっているので、時間を掛ければ何かを思考する事や、体を動かす事は可能は可能だ。だが、それを行うには、おそらく現実世界で何時間もの時間を要するだろう。あくまで、零無の意識の状態は、停止に近い状態なのだ。
ちなみに、かつてシトュウは時を止めた事があり、あれは他者の内面の精神をも停止する力だったが、なぜシトュウはわざわざ面倒な手順を踏み、停止の力も使わないのかというと、それは時間を停止する力が莫大な力を消費するからだった。かつては『空』としての完全な力があったので、時を止める事が出来たが、今のシトュウはあの時の半分しか力がない。ゆえに、停止の力は使うのが、極めて難しいのだった。
「・・・・・・」
零無はシトュウの言葉をただ聞いていただけだった。今の零無は、シトュウの言葉を理解するという意識すら働いていなかった。




