第1400話 相容れぬ問答(4)
「そうだね。残念ながら、お前は恋愛感情を失ってしまった。従って、今のお前にあるのは正確には吾に対する愛だけだが・・・・・・その事はいずれ吾が何とかしてみせるよ。それまでは、吾がお前に愛を注ぎ続けよう。安心してくれ、影人。吾の寵愛はお前だけにしか注がないから」
「・・・・・・」
少し悲しそうな顔を浮かべながらも、零無は心配するなといった感じの笑みを浮かべる。その笑みを見た影人は、もはや言葉を発する気力すらも失せた。怒りは通り越し、ただ冷め切った無感情だけが影人の中に広がった。
「・・・・・・そろそろ10分経っただろ。幻を解除しろ」
影人が冷め切った声で零無に一方的にそう告げた。影人の言葉を聞いた零無は首を横に振った。
「いや、まだ8分56秒だから、正確には10分ではないよ。後1分もある」
「誤差だろ。どっちにしろ、後1分間お前が話したとしても、俺は全部無視する。だから、さっさと幻を解け。そうしないなら、お前とは2度と口を利かねえ」
自分との会話の時間を正確に数えていた事に気持ち悪さを抱く影人。影人にそう言われてしまった零無は「それだけは耐えられないな」と呟くと、大きくため息を吐いた。
「はあー・・・・・・仕方ないな。今日はこれくらいにしておくよ。じゃあね、影人。だけど、またお前には語りかけるよ。吾の準備が全て整った日・・・・その日が来たらね。それまでまた、しばしの別れだ。愛してるぜ」
零無がそう言って手を振る。すると、徐々に幻がぼやけていき、やがては夕暮れに染まる元の風景へと戻った。元より人通りの少ない道だからか、周囲に影人以外には人の姿は見えなかった。
「クソが・・・・・・最悪の気分だぜ」
現実に戻った影人は忌々しそうにそう呟くと、重い足取りで歩き始めた。つい先程までは気分が良かったのに、一瞬でドン底にまで叩き落とされた。
(・・・・・・分かってた。零無の存在を忘れてたわけじゃない。あいつが、俺にとっての悪夢が蘇ったのは現実だ。しかも、あいつは前よりも圧倒的に強くなってる。そんなあいつに、俺は勝たなきゃならない。今度こそ決着をつけなきゃならない)
でも、果たして出来るのだろうか。今の影人には、過去のような都合のいい状況が揃っているわけではない。スプリガンとしての、戦う力があるわけでもない。
もちろん、昔とは違って力を貸してくれる者たちはいる。零無が言っていた影人が気づいていない「力」という何やらヒントのようなものもある。それはもしかしたら、戦う力にはなるかもしれない。
だが、それらを加味しても、零無は強大な敵だ。シトュウの先代の『空』。かつての真界の最高位の神。そんな相手に、影人はまた勝つ事が出来るのだろうか。
(今の俺に・・・・・・昔よりも、守りたいものが増えちまった今の俺に・・・・・・)
増えないように出来るだけ1人でいたつもりなのに、影人の脳裏には家族以外の人物たちの姿が浮かんでくる。シェルディア、レイゼロール、ソレイユ。それに、陽華や明夜、光司や暁理、ソニア。それ以外にも、影人と少なからず関わりがある者たちの姿が。
「はっ・・・・・・いつから俺はこんな感傷的な人間になっちまったんだろうな。こんな、傲慢な考えをする人間に・・・・・・」
それでも、自分の気持ちに嘘をつく事は出来ない。影人はグッと右手を握り締めると、こう呟いた。
「それでも・・・・・・俺は変わらない。俺の芯だけは変わらない。変わらない事だけが俺だから」
この気持ちは自覚していても表には出さない。ただ1人で、孤独が好きな人間。それが帰城影人だ。だから、自分は生涯このままだ。
(父さん・・・・・・もし、今も生きているなら、また力を貸してくれ。想いの力を。それ以外には、何もいらないから)
影人が影仁の事を思い出しながら空を見上げる。自分のせいで家族と引き裂かれ、世界を放浪する事を義務付けられた影人たちの父親。そんな影仁も、もしこの空を世界のどこかで見上げているなら。勇気を送ってほしい。影人はそんな事を願った。
「ああ・・・・今の俺はどうしようもなく・・・・・・力が欲しい」
影人の口からそんな言葉が漏れ出した。脳裏に浮かぶはかつての、今とは違うもう1人の自分の姿。黒衣の怪人、スプリガンとしての。
影人はかつての自分に思いを馳せながら、1人で道を歩き続けた。




