第1337話 選択、少年は覚悟を決める(5)
(あと少ししたら行かなきゃ・・・・・・3人は俺がいなくても、きっと大丈夫だ。みんな優しいから、最初は悲しんでくれるだろうけど、母さんや父さん、穂乃影ならきっと3人で強く生きていける・・・・・・)
自分1人欠けたくらいならば大丈夫だ。影人はむくりと体を起こし、未だに寝ている家族をジッと見つめた。目に、心に焼き付けるように。
(・・・・・・よし、もう大丈夫だ。未練は・・・・・・ない)
そして、影人は布団から出ようとした。だがその時、影人の隣で寝ていた穂乃影がこんな言葉を漏らした。
「だめ・・・・・・行かないで、影兄・・・・・・」
「っ!?」
穂乃影が漏らしたその言葉。それを聞いた影人がハッとした顔になる。まさか起きているのか。影人が驚きながら穂乃影を見る。だが、穂乃影はまだ眠ったままだった。どうやら、ただの寝言のようだ。影人はホッと安心したように息を吐いた。
(穂乃影・・・・・・)
寝ている自分の妹。影人は愛しそうに、そっと、そっと右手で穂乃影の頬に触れた。穂乃影を起こさないくらいの力で。穂乃影の頬は当然の事ながら、温かった。
「ん・・・・・・」
すると、穂乃影は笑みを浮かべた。その笑みは、恐怖と悲しみで疲弊し切った影人の心に暖かく染みた。
(・・・・・・・・・・・・ああ、そうだ)
穂乃影の頬から手を引いた影人は、唐突に得心した。今までの自分の考えが間違っていた事を。
(家族は誰1人欠けちゃだめなんだ。母さんも、父さんも、穂乃影も、そして俺も。誰かが欠けた穴は一生塞がらない)
分かっていたはずなのに。日奈美や影仁、穂乃影はもし影人が消えれば、一生の傷を心に負うだろう。その傷は決して癒える事はない。少なくとも、影人ならばそうなるだろう。
(そんな思いは、そんな傷は、俺は家族に負わせたくない。だったら、どうする? 答えは1つだ)
零無をどうにかする。それだけが、唯一の道だ。その道の果てに、家族みんなが笑える結末がある。そのためには、覚悟を決めるしかない。
すなわち、零無と戦う覚悟を。
(正直に言えば、零無お姉さんと・・・・・・いや、零無と戦う事は怖い。もし負けたら、俺と、俺の家族は殺されるかもしれない。でも、それでも・・・・・・)
それしか、それしか道はないのだ。影人はもう気づいてしまった。先ほどまでの自分の考えが、ただの恐怖に負けた弱い自己犠牲の精神でしかなかった事に。未練はないと思ったが、本当は未練しかなかった事に。気づいてしまったのだ。
(・・・・・・やるしかない。俺はみんなと・・・・・・家族といるために零無と、あいつと戦う。そして、勝つ。もう大丈夫だ。穂乃影の笑顔が教えてくれたから。穂乃影の笑顔に勇気をもらったから。俺は一生、母さんと父さんの息子であるために、穂乃影の兄貴でいるために、覚悟を決める)
先ほどまでの恐怖と悲しみが、嘘のようにスゥと鎮まっていく。むろん、それらが完全に消えたわけではない。だが充分に、いや十二分にそれらはコントロールできるレベルだ。
(幸いな事にアテはある。零無をどうにか出来るアテは。今の俺なら・・・・・・資格はあるはずだ)
代償も、命でない限りならば何だって支払ってみせる。影人は布団から出て立ち上がると、最後に自分の家族を見つめた。
そして、
「・・・・・・行って来るよ。必ず・・・・戻って来るから」
影人は小さな、小さな声でそう呟くと、襖を開け隣の部屋に出て、その部屋を出て、旅館を出た。
零無と――戦うために。
――この日、影人は覚悟を決めた。そして、この日、帰城影人の精神は完成した。鋼をも超える精神を、影人は獲得した。
生きるために、目的のために、必要とあるならば、心を道具のように使う精神を。恐怖を克服する精神を。何者にも動じない精神を。どんな状況でも絶対に諦めない精神を。
本当ならば、人間が一生を懸けても獲得できるかも分からない精神。それを、影人はたった10歳で獲得してしまった。
それは仕方がない事といえ、とても――とても悲しい事であった。




