第1304話 昔日の帰城家(1)
「――よし、旅行に行こう!」
始まりはそんな声だった。とある夏の日、正確には8月半ばの水曜日の夜。家族で食卓を囲んでいる時に、唐突にその男――帰城影仁はそう言った。ボサボサの髪に人懐っこいような顔。現在35歳のその男は、楽しそうな顔を浮かべていた。
「・・・・・・は? いきなり何言ってるんだよ、父さん」
影仁のその言葉に、そう言葉を返したのは1人の少年だった。髪の長さは少し長いくらいで、前髪も標準よりは少し長い。だが、そこから覗く顔は整っており、綺麗な顔立ちをしていた。現在10歳、あと数ヶ月で11歳になるその少年――影仁の息子、帰城影人はどこか呆れたような顔を浮かべた。
「子供じゃないんだから、突拍子もない事を急に言うのやめろよな。本当、恥ずかしいぜ」
「オーマイガー、どうしよう日奈美さん・・・・・・息子がすっげぇ厳しい・・・・・・」
影人にそう言われた影仁は、自分の隣に座っている女性――影仁の妻であり、影人の母親である帰城日奈美に軽く泣きついた。
「ちょっと、鬱陶しいわよ影仁。いまご飯食べてるの。邪魔しないで。あと、いつも言ってるでしょ、ベタベタして来ないでって。全く、次やったら蹴るから」
影仁に泣きつかれた日奈美は、ムッとした顔でそう言葉を返した。ボブくらいの長さの黒髪に、整った顔立ちは、スマートな美人そのもので、現在34歳だが、まだ20代半ばくらいにしか見えない。明るくばっさりとした性格で、思った事ははっきりと言うタイプだ。それは当然、夫である影仁も例外ではなかった。
ちなみに、影人の整った顔立ちは母親の日奈美譲りである。影人の顔は母親似だった。
「オー、愛する妻まで・・・・・・ううっ、普通に泣くぜ。どうしよう穂乃影、2人が俺に凄く厳しいんだ!」
明らかに嘘泣きだが、影仁は影人の隣に座っている少女――自分の娘である帰城穂乃影にそう言った。
「・・・・・・え? 私は旅行凄く楽しみだけど・・・・・・どこに行く気なの? お父さん」
黙々とご飯を食べていた穂乃影は、影仁にそう言葉を返した。現在9歳、小学4年生。長い黒髪のこちらも綺麗な顔立ちだ。ただし、影人や日奈美とは少し違う感じだった。
「あー! 穂乃影は素直で可愛いなもう! さすが俺の自慢の娘! 冷たい妻と息子とは大違いだ! ああ、いいよ! 教えよう! 旅行の行き先は――!」
穂乃影にそう聞かれた影仁は、嬉しそうな顔を浮かべながら旅行の行き先を述べようとした。だが、その行き先を述べる前に、
「誰が冷たい妻よ」
「何か腹立つ」
日奈美と影人が影仁の脛を蹴った。影人は真っ直ぐに、日奈美は横から。2人の蹴りは影仁の左の脛に二重の衝撃と痛みを与えた。
「痛っ!? ちょ、普通に痛いって! やめてよね!?」
「うるさい。影仁がいらない事言うからでしょ。自業自得よ」
「母さんの言う通りだ。名誉毀損は犯罪だぜ。テレビでやってた。俺は名誉を毀損された。だから、蹴り入れた。それだけだ」
痛がる影仁に、日奈美と影人は素っ気なくそう言った。2人からそう言われた影仁は、「いやー、マジで泣きそう・・・・・・」と言葉を漏らした。
「というか、本当に旅行に行く気かよ? 母さんは知ってたの?」
「うん、一応ね。ちょうど私が週末に3日間お盆休み取れたから、どこかに行こうって事になったの。ほら、今年はあんた達も夏休みに入ってから、まだどこにも連れて行ってやれてないでしょ」
影人の問いかけに日奈美は頷くと、こう言葉を続けた。
「で、せっかくだったら久しぶりの旅行はどうだって、影仁が言ったのよ。私はまあいいけど、あんた達の意見も聞かなきゃだからさ。それが最初の言葉ってわけ。まあ、決めつけた言い方してたのはちょっと腹立ったけどね」
「ふーん、そういう事か・・・・・・」
日奈美の説明を聞いた影人は納得したようにそう呟いた。




