第100話 逃走とダミー(1)
(クソッ、よりによってあの2人と一緒にいるなんてな・・・・・・・!)
昼休みの廊下を全力で駆けながら、影人は思考した。
影人はシェルディアから逃げ出した。なぜ逃げ出したのか主な理由は2つある。
1つは、シェルディアが陽華と明夜の2人と一緒にいたというのが主な理由だ。今まで影人が2人に接触してしまったのは1度だけ。陽華とぶつかったときだけだ。しかもそれは偶然である。
食堂での影人の1人演技は2人に姿を見られていないので除くが、影人は極力2人と接触しないように心がけている。いつ、どんなときに自分の正体がバレるか分からないからだ。
2つ目の理由は、単純に目立ちたくない。あのまま、シェルディアから弁当を受け取っていたならば、間違いなく周囲の生徒から注目が集まっていた。
影人は1人が好きだ。1人は自由だから。ゆえに注目を浴びるというのは、好ましい出来事ではなかった。
(帰ったら、嬢ちゃんに謝らないとな・・・・・・)
シェルディアからすれば、おそらく母の頼み事で自分に弁当を届けに来てくれたのだろうに、自分は何も言わずにいきなり逃げ出してしまった。弁当は暁理が受け取ってくれると思うが、後でしっかりとシェルディアに謝罪しなければならない。
階段を駆け下りながら、少し心の痛む影人であった。
「あらあら、一体どうしたのかしら?」
突然、自分から逃げ出した影人の後ろ姿を見てシェルディアは首を傾げた。
「どうしたの? シェルディアちゃん」
「ん? 誰かが思いきっり廊下を走ってるわね」
近くの生徒にエイトなる人物を知らないか訪ねていた陽華と明夜が、首を傾げているシェルディアに話しかける。明夜が見た廊下を走っている人物――影人はちょうど角を曲がったところだ。
「ちょうど影人を見つけたところだったのだけれど、なぜか逃げられてしまったわ」
困ったという風にシェルディアが手に持っていたお弁当を見つめる。影人の予想したとおり、シェルディアは影人の母親からお弁当を届けてくれないかと頼まれていた。
「え、それはちょっとひどくない?」
「人としてどうなのかしらね」
シェルディアの言葉を聞いた2人はまだ会ったことのない、エイトなる人物に憤りの言葉をぶつけた。こんなに可愛い子がお弁当を届けに来てくれたというのに、いきなり逃げ出すとは太てぇ野郎だ。
「あー・・・・・・・こほん。友人が粗相をしてしまったようでごめん。僕は早川暁理、影人からお弁当を受け取るように言われたんだけど・・・・・・」
隙を見計らったわけではないが、苦笑したような顔で暁理はシェルディアにコンタクトした。
いきなり逃走した友人に弁当を受け取っておいてくれと言われただけで、暁理はこの少女のことを何も知らない。というか、事情も説明せずに逃げたあの前髪野郎は絶対に許さない。放課後に尋問と何かおごらせることは確定だ。
(まあ、僕は優しいからちゃんと対応してあげるけどさ)
ちゃんと感謝してほしいものだ。暁理は内心そんなことを思った。
「そう、影人の友人・・・・・・・」
シェルディアはそう呟くとジッと暁理を見た。そして再びお弁当を見つめ直す。
「・・・・・・・ありがたいけど、なぜいきなり逃げ出したのかも聞きたいし、遠慮しておくわ。これは私が直接渡すから」
「え? でも影人は――」
「そこは大丈夫。影人の気配はもう憶えてるから」
シェルディアがそう言うと、
突如その影が細い線のように伸びた。
シェルディアの影から伸びたその黒い線は何かを追うかの如くどこかへと伸びていく。その影が影人の逃げた道をなぞっていることを知っているのは、シェルディアただ1人だ。
「え・・・・・・・・?」
その声は誰が発したのか分からない。しかし、シェルディアを見ていた全ての人々がありえないものを見るかのように、その影とシェルディアを見つめた。
それは暁理や陽華と明夜といった少女たちも例外ではなかった。
「シェル、ディアちゃん・・・・・・・・?」
「ごめんなさい、少しだけ忘れてもらうわね」
自らに注目が集まる静寂の中、シェルディアの双眸に怪しい光が瞬いた。
その光を見た全ての生徒たちは、その瞳の輝きを虚ろなものに変える。まるで全員が人形のようにピタリと全ての行動を停止したのだ。
「――範囲はこのフロア全体。記憶の削除内容は伸びた影。こんなものかしらね」
その奇妙な光景の中、シェルディアはただ1人いままでと様子の変わらない口調で、言葉を紡ぐ。
その言葉はゆっくりとじっくりと虚ろな瞳の生徒たちに響いた。
「ありがとう、陽華、明夜。こんなお別れだけれどまた会いましょう」
周囲の生徒たちと同じく虚ろな瞳をしている2人にそう言い残すと、シェルディアは自分の影に沈んだ。




