第10話 守護者(1)
「・・・・・・眠い」
耳元の目覚まし時計を止めながら、影人は大きくあくびをついた。
時刻は7時45分。影人は名残惜しそうに自分の布団から出ると、リビングに向かった。
影人の家は普通のマンションの一室だ。間取りは3LDKで、都内なので家賃はけっこうなお値段だ。ただ、影人が住んでいる地域は東京の郊外なので、地方より少し高いくらいである。
リビングでパンを食べて支度をすると、時刻は8時15分を過ぎたくらいである。影人の家は風洛高校から近いため、この時間でも余裕で間に合う。
母親に行ってきますの挨拶をして玄関に向かう。リビングにいなかったらから分かっていたが、妹はもう学校に行っているらしい。元気なことだ。
「ふぁ~っ・・・・・・ん?」
あくびを噛み殺しながら通学路を歩いていると、前方の女子達が何やらヒソヒソキャーキャーしていた。一体なにごとなのか。
気になったので辺りを見回してみると、どうも女子の数が異様に多い。疑問に思った影人が首を傾げていると、答えはすぐにわかった。
「いやー、今日も格好いいわ。香乃宮君」
「だよねだよね! 朝のこの時間が至福なのよねー!」
自分の前を歩いている女子たちの会話を、それとなく聞いていた影人は、ああ、なるほどと得心がいった。
(香乃宮が前にいるのか)
そうとわかった影人は前方の女子たちを早足で抜き去ると、さっさと学校へと向かった。
(香乃宮の後ろなんか歩いてると、女子どもに埋もれちまう)
並み居る女子たちを抜き去ると、少し前を1人の男子生徒が歩いているのが見える。斜め後ろから見てもイケメンとわかるその少年こそが、誰であろう香乃宮光司その人である。
香乃宮光司。風洛高校2年1組の生徒であり、イケメンである。しかもたちが悪く(影人の目から見て)男子でも、こいつはイケメンだと納得してしまうほどのイケメンだ。さらに、品行方正、才色兼備という完璧ぶりで、いわゆる勉強もスポーツもできるイケメンときている。
さらにさらに、香乃宮グループという複合型大企業の御曹司でもある。イケメンで有能で金持ち。女子から人気が出ない方がおかしく、男子からギルティと思われても仕方がない存在である。
ただこの男、生徒会長でもしていそうなものだが、生徒会長ではなく副会長をしている。まあ、こんな情報はすこぶるどうでもいい。
(イケメンは敵だ。ここはクールにこいつを抜き去るぜ)
クールに抜き去るとは何なのか。ぶっちゃけ意味がわからないが、当の本人はそういう考えである。
長すぎる前髪を揺らしながら、影人は徐々にスピードを上げる。光司に近づいていくにつれ、イケメン特有の爽やかな空気が漂っている気がして、浄化されそうだ。
だが、ここで持っているのか、持っていないのか分からない男、帰城影人はやってしまう。影人はちょうど光司の横を通り抜けようとするときに、(なぜ落ちている)バナナの皮を踏んでしまって、キレイにこけた。その様はまるで一流サッカー選手がオーバーヘッドキックをするかのようだ。
「っ!?」
幸い背中から落ちたため、頭は強打しなかったが、そのせいでむち打ちのようになってしまった。正直かなり痛い。
そして、当然のことながら注目はぶっこけた影人に集まる。それはそれはきれいにこけた影人に、えっ、高校生にもなってそんなきれいにこける? 的な視線が集中する。
「だ、大丈夫かい?」
いきなり自分の斜め前でこけた見た目絶賛陰キャに、イケメンが手を差し伸べる。正直良い奴である。
一方、ぶっこけたバカ野郎はその長すぎる前髪の間から空を見上げていた。今日は青空が広がり良い天気である。
(こんな風に空を見上げるのは随分と久しぶりだ・・・・・)
今よりも小さかった頃は、よくこんな風に寝そべって空を見上げたものだ。今度、河原で空を見上げよう。
痛む体で影人はこんなことを考えていた。果たしてこの男は大物かバカなのか。きっと、絶対に後者である。
「・・・・・・手出しは無用だ」
そんな思考をさっさと切上げた影人は、光司の手を振り払った。別に恥ずかしかったから手を振り払ったのではない。断じてない。
「そ、そうかい・・・・」
不審人物に手を払われたイケメンは、少し驚いた顔をしながらも「じゃあ、気をつけて」と爽やかな笑顔でその場を去って行った。
「・・・・・まさかバナナの皮とはな」
今のご時世にもなってそんなバナナ、と心の中で呟いた影人は立ち上がると、鞄を持ち直して学校へと向かった。
一部始終を見ていた生徒たちの間には、こう何とも言えない雰囲気が漂っていた。




