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第23章 求愛の魔女 156.魔女の楽園

 リトルローランドの空が、一面の赤に包まれた日より一週間。

 ヘクセンナハトを初めとする、世界に散らばるローランド難民達による自由都市リユニオンへの移民計画はつつがなく進んだ。


 同じく自由都市デュオロンで暮らしていたローランド系の移民達も合流し、ここにかつての(まつりごと)の国ローランドの面影を思わせる一大都市が誕生したのである。


 市長には多額の出資を行った豪商コレット゠ルビーを推す声もあったが、戦闘要員でもある彼女本人が辞退したため、以前ローランドの地方領主を任されていたルドルフ・フォン゠ロードリングに白羽の矢が立った。

 こうしてリユニオンの全てを取り仕切るローランド女王クリスティアと、晴れて反ガーディアナ同盟に加わったロンデニオン王ヴォルガードの共同声明により華々しい式典が催され、英雄でもあるロザリー達は今日もてんてこ舞いの毎日を過ごしていた。


 リユニオン一等地、大きな橋の架かったすぐ側の繁華街に、連日行列の出来る料理店がオープンした。その名もビストロロザリー。なんと魔女達の母である彼女の手料理が食べられるとあって、すでに他の都市からの訪問客も押し寄せるほどの人気を博している。


「ビストロロザリー、繁盛してるじゃない。うんうん、オーナーとして鼻が高いよ」

「アニエス、あなた本当に私のお店を作るなんて、冗談だと思っていたわ」

「うらぶれた難民の娘が今じゃ市長の令嬢だからねー。なんだって出来るのよ。……もちろん、あなたのためならね」

「もう……私、結婚するのよ? そんなに何もかも受け取れないの」


 アニエス゠ロードリング。以前ロザリーが二度救い出した、濡れ衣の魔女。一度目は魔女狩りから、二度目は教会による圧政から解放した。

 彼女の放つ言葉には、未だに諦めの匂いは感じられない。そう、彼女もロザリーへと想いを寄せる一人なのだ。だがこのお祭りの最終日には、ロザリーとパメラの結婚式が控えている。アニエスは小さく鼻をすすった。


「結婚……か。ロザリーはどんどん先に進んでいくね」

「いいえ、あなただって、ずいぶん変わったはず。今では各国を股にかける民間団体、魔女解放同盟の代表なんだもの」

「まあね。あ、最近ね、ガーディアナからの支持も増えたんだ。私達のシンボルとしてパメラが立ってくれる事になって、聖女派の人達が支援してくれているの。もしかしたら、政治で全部ひっくり返せるかもしれない所まで来ている気がするわ」

「だとしたら、素晴らしい事ね……」


 喜ばしいはずの報せを聞き、ロザリーの顔が少しだけ曇った。

 パメラをいまだ聖女として崇める勢力の存在は頼もしい。しかし、今回の婚礼について、彼らは同時に批判的でもあるのだ。ある意味偶像である彼女は、だれか一人のものとなるべきではない。かつての教皇の時は逆らえなかっただけで、皆の根底にあるものは独占欲からくる嫉みに他ならない。


 時の流れに逆らえず大人になってしまった二人。そんなギクシャクとした沈黙を裂くように、元気な声が厨房に響く。


「ロザリー、次の注文はやく! あ、アニエス、来てたんだ!」

「やっほー、パメラ。あなた、まだウェイトレスやってるんだ、そんな身分でもないでしょ。ねえ、あの話、決めてくれた? もっともっと沢山の人達が、あなたを求めてるの。あなたはそれに応えるべきよ!」

「私が、アイドル……やる話?」

「うん! 曲も場所も用意する。あとはあなた次第」


 パメラはちらりとロザリーの方を見た。結婚を控えた身でそんな事をやれるはずもなく、はっきりと返事する事も出来ずにいたのだ。もちろん歌うことが大好きなパメラにとって、それは天性の仕事である。

 ロザリーも自分のために夢を諦めろなどとは言えない状況を見越して、アニエスはさらにたたみかけた。


「結婚ってさ、正直言って古い考え方だよね。あなた達は同性婚っていう全く新しい契りを結ぶ。だから、今までの価値観に縛られている必要はないのよ。私はお互いが愛し合っているなら、そんな風習に乗っかる必要はないと思ってる」

「アニエス……、それは、言い過ぎだと思うわ。自分の仕事にパメラが必要だからってそんな……」

「魔女の解放は私の仕事じゃない! 使命なの! ロザリーは私がお金儲けのために魔女を使っているっていうの!?」

「違うわ……。でも、一番にはパメラの意思が尊重されるべきだと思うの。ねえ、パメラ、あなたはどうしたいの?」


 またも気まずい空気が流れる。パメラは困った顔で二人を見やったが、結局涙を浮かべながら新しい料理を客席へと運んでいった。


「ねえアニエス、あの子に時間をあげて。私が結婚を突きつけたのも、あなたが組織のアイコンにしようというのも、あの子にとっては急すぎる選択。ああ見えてまだ子供だって事、私達は忘れがちになっているわ」

「う、うん。ごめん……。ガーディアナでは今少女歌劇団が人気だって聞いて、気がはやっちゃった。でも、これはみんなのためなの。ロザリーには、分かって欲しいな」

「……ええ。色々とありがとう、アニエス。今日はもうお店閉めようと思うわ。あの子もゆっくりと考える時間が必要だろうから」

「気にしないで。いつも言ってるように、売り上げは好きにしていいから。じゃあ、クリスティア様の集会に行ってくるわ。またね」


 アニエスは当たり前のようにロザリーの頬に口づけをして去って行った。もし結婚を控えていなければ、平気で口にするような娘である。その嫉妬心に気づき、余計な波風を立てないようにパメラは逃げ出したのだろう。


「ふう、問題は山積みね……。たまった食器もだけど」


 オーダーをストップし最後の客が帰ると、ビストロロザリーの前にクローズドの看板が立てられる。もちろんこれだけの仕事をパメラと二人でなんてこなせない。お手伝いにはサクラコやメーデンを始め、日替わりで仲間達も加わってくれる。


「パメラ、サクラコ、メーデン、お疲れ様。今日は午前でおしまいにするわね」

「旦那様ー、後のお片付けはお任せ下さい!」

「ありがとうメーデン。後はこちらでやっておくから、二人はもう好きに遊んできていいわよ」


 パメラとサクラコ。エプロン姿のウェイトレス二人はへたりと腰を下ろす。繁盛の理由は、彼女達が看板娘だからでもある。


「ふー、お客さん全然減らないね。サクラコちゃんの分身の術がなかったらとても回せないよ」

「えへへ、これもすっかり名物になってしまって……。でも、色んな食事処を巡った経験からしても、びすとろろざりーは一流の味です。もっと伸びますよ!」

「それはそれで困るわ。これはお祭りの出し物なんだから。まあ、その後は料理人の人達が続けてくれるみたいだけれど」


 いつか大繁盛の料理店を持つという、ささやかなロザリーの夢。戦争の中でそれを叶えてくれたアニエスには、感謝しても足りないほどだ。


 次はパメラの夢。そして、二人の夢。全部叶えてしまえたらどんなにいいだろう。そんな事を考えていると、パメラがエプロンを外しながらロザリーへと話しかけた。


「ロザリー、私ね、アニエスと、アイドルやってみたいと思ってる」

「え、す、素晴らしい事だわ。……応援するわね!」


 突然の申し出に、ロザリーは表向きの返事をした。相変わらず動揺を隠す事すら出来ないロザリーに、パメラはくすりと笑う。


「でもね、ロザリーとも結婚する! ちょっと考えたんだけど、お嫁さんになるのはパメラ。そして、歌うのはディアナ。だからみんなから愛されても、これで大丈夫。ずるいかな?」

「ずるい……。ずるいけど、それは私が言えた事ではないもの」

「ふふ、ロザリーはマレフィカみんなに愛されたいんだもんね。だから、これは仕返し」

「パメラ……」


 いたずらに笑うパメラは、ロザリーに遠慮なしの口づけをした。その一瞬で、ロザリーの心は溶けてしまう。交したのは、純粋な愛情。恥ずかしくなるほどの。


「冗談だよ。何があっても、私が好きなのはロザリーだから。素敵な結婚式にしようね!」


 そう言い残し、パメラは弾けるような笑顔で走り去っていった。早速この事をアニエスに伝えるつもりだろう。おそらくこれは、彼女が考えているもう一つの夢、ガーディアナを変えるチャンスでもある。ならば止める事なんて出来はしない。


 ロザリーは湿った唇を舐めてみた。今日はデミグラスのハンバーグ。どうやらあの子はまたつまみ食いをしたらしい。


「まったく……ふふ、結婚したら毎日でも作ってあげる。パメラ……」


 ぎゅっと胸に手を握り、ロザリーはその後ろ姿をずっと眺めていた。


「いいなあ……」

「え?」


 ふとつぶやいたサクラコの声に、ロザリーは我に返る。その意味を問いただそうとすると、サクラコは真っ赤になってドロンと消えてしまった。

 思いの外、結婚というものが他者へと与える影響は大きいのかもしれない。夢見る乙女達は、そんな幸せな二人を見て自分も続こうと奮起するものなのだ。


「そっか、マレフィカでも幸せになれる。私達の結婚は、それを知らしめる意味もあるのかもしれないわね。うん、これが、私の作りたかった魔女の楽園。いつまでも、こんな幸せが続くといいのだけど……」


 激闘の合間に見る儚い夢。それでもいい。今、この時だけは、私達は自由なのだから。




 ここリユニオンは、もともとコレットの所有する森の中に作られた、自然豊かな景観を残す牧歌的な都市である。一度入ると出ては来られないという嘆きの森の異名まであった自然の要塞を盾に、ロンデニオンに隣接する形で作られた。


 そんな嘆きの森を探索する二つの影があった。リュカとムジカである。

 ずっと自然の中で暮らしていた彼女達はその適正を買われ、警らの仕事を与えられたのだ。ずっと放置されていたこの森には魔物も住み着いているため、それらの退治も仕事には含まれている。


「リュカ、もう帰ろ。ムジカ、お腹すいたー!」

「あ、ああ、もうそんな時間か。今日は人食い熊も退治したし、帰るか」

「んー……」

「どうした、ムジカ?」


 いつも陽気な彼女だが、心なしか覇気を感じない。リュカは先程の戦いで、しきりに獣言葉(バイリンガウ)で人食い熊に話しかけていたムジカを思い返す。


「アイツ、こっちの話ぜんぜん聞かないんだもん。ムジカ、仲良くなりたかったのに」

「結局魔物だしな。色々と、住む世界が違うんだろ」

「そっかー、ニンゲンの世界だもんね。ココ」

「弱肉強食は世の中の常。ちゃんと食うってなら心も痛まないだろ」

「うん。あいつらはもともと、優しいやつらなんだ。悪い事するっていうなら、獣王のムジカが助けてやらなきゃなんだ」


 どうにも気が滅入る話題だ。今はなんとなく子供の笑顔が見たい。早速リュカはムジカが喜びそうな話題を探した。


「それより、あいつ強かったなー。フェルミニアの山から下りてきたんだぜ、きっと。雪山にはヒグマとかいるからな」

「おー! でも変身したムジカの方がでっかかったナー!」

「あはは、あんまんライスだっけ。いつ見てもすげー技だよ」

「アニマライズー!」


 どこか上の空のリュカに、ムジカはぷっくりと膨れた。


「ごめんごめん、食い物といえば、この高級品の熊の手。帰ったら食べような。じっくり煮込むとプルプルで美味いぞ」

「それ、食べられるの?」

「うん、ロザリーの店で料理してもらえば……」

「リュカ?」


 その名前を出した途端、リュカはうつむいてしまった。

 こちらへと移住してからというもの、リュカはどこか元気が無い。それもそのはず、ロザリーとパメラの結婚宣言によって、自分の思いを伝える事すらままならなくなってしまったのだ。

 共に告白をと誓い合ったクリスティアも、今は余計な事を考えたくはないと仕事に没頭し、リュカもまたロザリーと距離を置くためにこの仕事を引き受けた。そして魔物に出くわした時などは、鬼気迫るほどの勢いで殲滅に当たる。愛によって抑えていた妖仙としての力が戻りつつあるのではないかと言うほどに。


 他の片思い組の動向としては、本来アンデッドであるために諦めの境地にあるコレットはともかくとして、きちんと決着をつけたヴァレリアなども未練を感じる事はない。

 余り物同士、クリスティアと……などという考えは彼女も見透かしていたらしく、軽くあしらわれてしまった。思えば一国の女王である。その婚礼は政治的な意味を大きく持つために、むしろ巻き込まないようにという配慮だったのだろう。


「ムジカー、結婚って何だろうな。なんでみんな結婚するんだろ」

「んとー、子供をつくって、父ちゃんと母ちゃんになるため。だからムジカは生まれてきたんだゾ」

「そっか。でもあたいはさ、すぐに働きに出されたから両親の事ほとんど知らない。大岩が割れて生まれてきたって言われても信じちゃうくらいだ。子供って言われても、ピンと来ないよ」

「アリア、子供できた。でも、結婚はしないナ。あれ? ムジカもわかんなくなっちゃった」

「結局意味なんてないのかもしれないな。結婚しなくても子供は作れる訳だし」


 逆に世の中には子供がいても別れる夫婦も多い。まだ子供である二人は、結婚の持つ意味について考えれば考えるほど、頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになる。


「でも父ちゃん、他にも子供作ってた。王の血を絶やさないための、しきたり。ムジカ、一番お姉ちゃん」

「一夫多妻って言うんだっけ。いいなー、あたいもそれでいいからロザリーの赤ちゃん、欲しいな……」

「オスとメスが裸で戦うと、赤ちゃんができるって聞いたぞ。オスが勝ったら男、メスが勝ったら女が生まれるんだ。メス同士だと普通子供は生まれないけど、すごく気持ちいいってグリエルマ言ってた」

「何てこと教えてるんだあの変態先生は……。でも、やっぱ気持ちいい……のか」


 リュカの顔がみるみる赤みを帯びる。度重なる戦闘で上気立つ体は汗ばみ、制御装置として彼女の首に着けられたアーティファクト、緊箍児(きんこじ)をも飲み込む程に煩悩は膨れあがる。


「ああ、ロザリー、ロザリー……」

「ねーちゃん……?」

「あたい、やっぱもうだめだ……こんなの、苦しいよ」


 明らかにリュカの様子が変わった。ついにその場に崩れ落ち、早くなる鼓動を抑えるために胸を掴んでは、呼吸を荒くしている。


「アナタ、愛が欲しいんだね。だったらこっちにおいで。甘い蜜の味、教えてあげる」


 突然、森の奥から若い女の声が聞こえた。気がつくと、辺りの景色は白ばむほどに深い霧がかかっている。


「ダレ!? ……っ、このニオイ、ヒトじゃない!」


 熊の獣臭にごまかされていたが、色んな血の混ざったような、濃厚なフェロモンの香りが辺りを包む。もしかすると、リュカはこれに当てられたのかもしれない。並みの獣であれば、近寄る事すらできない位の警戒臭。ムジカの本能が死の危険を知らせる。


「酷いなー、アニマだってヒトじゃないでしょー。エリザも、ヒトじゃないから誰からも愛されないんだよー。人間って非道いと思わない?」


 霧の中から現れたのは、いたずらな笑顔を浮かべる、金髪二つ結びの少女。その肌は透き通るように白く、その目は血のように赤い。都会的な若者のファッションに身を包み、大きく開いた背中からはコウモリの様な羽が覗いていた。


「ニンゲンはムジカに優しくしてくれたよ! じゃあ、何でオマエからはヒトの血のニオイがするの? たくさんいじめたからじゃないの!?」

「ちょっと愛しただけなのになー。そっかあ、やっぱりエリザが悪いのかー。じゃあ、アニマちゃん、あなたがエリザと遊んでくれる? あなたは、愛しても壊れないでね」


 そう言うと、少女は突如として飛びかかって来た。あまりの速さに反応出来ず、ムジカの腹は爪に裂かれ、鮮血がしたたり落ちる。


「ペロリ……。カトリーヌじゃないけど、やっぱりちっちゃな子の血おいしー! ペロペロペロ」


 恐ろしく鋭利な伸縮自在の爪。彼女の武器は基本それのみのようだ。


「もう怒ったゾ! 半獣化(ハーフライズ)!」


 ならばとスピードタイプの変化にて対応するムジカ。負けず劣らず鋭い爪で、謎の少女へと立ち向かっていく。


「にゃっほー、ネコちゃんだー! そーれ、ゴロゴロゴロ」

「うにゃああ」


 それでもムジカは軽々と蹂躙された。獣人である自分すらも凌駕する身体能力を持つ敵というとサイボーグのメアが思い当たるが、これはまるで次元が違う。善戦すら出来ず、ついには体中を切り裂かれ変身は解除されてしまった。


「同じアニマのルールーに比べると、キミ全然弱っちいね。ニンゲンに甘やかされて育った差かな? 駄目だよ、奴らの言いなりになると家畜にされちゃう」

「ねーちゃん達は……そんな事、しない……!」

「へえ、ホントに可愛がられてるんだ。妬ましい。じゃあ、今からそのニンゲン達をエリザ達が全部殺してあげる。あ、でも、エリザに愛を誓うなら、助けてあげてもいいよ?」

「んんー……!」


 長い舌を出してムジカの唇を舐め上げる少女に対し、ぎゅっと口を閉じて答えを示す。高潔な獣王は決して命乞いなんてしない。もしここで自分が倒れても、故郷の妹達が立派な獣王となってくれるはずだと。


「……あっそう。じゃ、殺す前に一つ教えてあげるけど、司徒レディナの軍がこの近くまで来てるの。あなた達ヘクセンナハトを倒すためにね。どうせ、みんな死ぬよ。キャハハ!」


 少女はけたたましく笑った。胸を食い破り心臓から直接飲む血の味は格別だ。ましてや獣人のものとなれば、不純物は無きに等しい。目の前の愛しいアニマは吸血鬼である自身と一体化し、永遠の時を共に生きるのだ。


「私は吸血鬼の末裔、エリザ゠バルタール。ダレも愛してくれないのなら、みんな、みんな、ワタシが愛してあげる……」


 エリザは鋭利な手刀を作り、ムジカの心臓へと一気に突き入れた。


「ああっ……」


 これは熱い血潮が掌を包む感覚。いや、違う。熱い、熱いけど、痛い。逆に、自分の手が何者かに掴まれているのだ。


「痛い、いたいいたい、いたーいっ!」


 自慢の爪が折れる程の握力に、ギシギシと骨がきしむ。間一髪、リュカがエリザの凶刃を遮ったのである。


「ムジカ……大丈夫か」


 リュカはムジカへと優しく微笑んだ。しかし、どこかいつもと雰囲気が違う。全身に何かが宿り、獣のような鋭さを放っている。その長い三つ編みも解かれ、うっすらと光を放っては逆立つように浮かんでいた。


「うん……リュカねーちゃん、もう平気なの?」

「ああ、今はいい気分だ。お前はこの事をみんなに知らせろ。こいつは、あたいがここで食い止める」


 今までリュカを蝕んでいた傷心の痛みは嘘のように消え失せ、新たな力が沸き上がる。首にあるはずの緊箍児はすでに砕けていた。つまりは、もう必要ないという事だろう。


「どーでもいいけど離してよ! 化け物!」


 エリザの放つその言葉に、リュカは自由な方の手を見る。それは歪に膨れあがった異形の手。自身の握る紫色に変色したエリザの手を見て、制御できない程の力が加えられていた事に気がつく。


「はは……、そうか、お前にもそう見えるか。だったら化け物同士、仲良くしようじゃねーか!」

「くっ、なんて力っ!」


 吸血姫エリザ゠バルタール。超越者として生まれ落ちて18年、こんな事は初めてである。気を付けるべきニンゲンは父ですら敗れたという教皇だけだと思っていたが、その考えはここにきて根底から覆されてしまった。


「ムジカ、行けぇ!」

「う、うわーん!」


 豹変したリュカの放つ迫力に押され、ムジカは泣きながらリユニオンへと帰っていった。


「こんな姿、ロザリーには見せられないな。妖仙に、飲み込まれちまった姿なんて……」


 己の邪気は消えたわけではなかった。今まで、ロザリーの大いなる愛によって鎮まっていただけなのだ。結局、愛というものが分からなくなった途端、いや、愛を知ったからこそ絶望も深くなったのだろう。

 これは、彼女に対する裏切りでもある。だから……。


「よーせんって言うんだ。ふふ、エリザも本気でやってみたくなってきちゃった。さあ、いっぱい愛し合おうね、リュカ」

「ああ、死んでも行かせねえ……」




 無事リユニオンに辿り着いたムジカは、ふと後ろを振り返った。

 嘆きの森から聞こえてくるのは、愛を求める二つの孤独な叫び。

 人々が幸せそうに行き交う街の雑踏に紛れ、ムジカは小さく()いた。


―次回予告―

 世界に産声を上げた新たな法。

 平和を願う少女の想いは、

 十二の誓いと共に紡がれる。


 第157話「セントディアナ」

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