第138話 『カオスコネクト』
屋上にて全てを洗い流した一同は、アリアの部屋へと戻った。そこはディーヴァの空けた風穴により、閉塞した印象も、漂う淫靡な香りも、その全てが取り払われていた。
「まったく、ずいぶんと私の部屋で暴れてくれたわね」
「ああ、すまない。ここで君によく似た何かに襲われてな」
「ん……風が冷たいね」
ずっと布一枚であったアリアもパメラも、自分の服へと着替える事にした。
アリアは、深い紫のローブを羽織り、まるで拘束具のような意匠のベルトを体中に巻き付ける。
「それ、窮屈じゃない?」
「こうする事で、意識的に私の中の悪魔を封じる事ができるの。あくまで、気休めだけれど」
「そうなんだ。気分って大事なのかも」
パメラも再び町娘の格好へと戻ろうか迷ったが、しっかりとメーデンのニオイがついていたため、替えの衣装へと袖を通す。それは、常に持ち歩いていた聖女の聖衣。濡れて汚れた下着も着けずに着用すると、ピッタリと美しいラインを形作った。
「うん、持ってきておいてよかった」
ロザリーと出会った時以来の聖衣姿。それは再び聖女として、この戦いに望むという決意の表われである。
「ちょっと成長して、ちょうどいいサイズになったみたい。えへへ、どうかな」
「パメラ、とても綺麗よ」
「聖女さま、それは、その衣装は……」
ふいにメーデンが涙する。その姿は、メーデンが最後に見た別れの日の聖女そのものだった。
「ふぎぃ、私はこの日を夢見て、今まで生きてきたのです……!」
「大げさだなぁ、よしよし」
そんなメーデンにも同サイズのアリアの衣装がすっぽりと入ったため着替えて貰ったが、仕事着は絶対に手放さなかった。
「それ、捨てないの? 臭いけど……」
「いいえ! これは、私にとっての戦闘服ですから!」
アリアはあえて言わなかったが、その衣装からは確実に男のにおいもする。これはおそらくアルブレヒトのものだろう。メーデンへと向かった情欲、それは彼なりの自制だったのかもしれない。アリアは自分の代わりにその標的となったメーデンを、そしてその想いに答えてあげられなかったアルブレヒトを憐れんだ。
(マレフィカにとって、男というものは一種の覚悟がいるのよ。ごめんなさいね……)
そんなアリアも、衣装と大事な物いくつかを荷へと詰め込む。七年間も過ごしたこの部屋ともようやくお別れだ。正直、忘れたい事だらけだが、彼女はあえて忘れないように目に焼き付ける。
「ありあー、これ、持って行かないの?」
ムジカは本を抱えていた。それはどれも、アリアの描いた絵本。アリアは全て置いていくつもりだったが、全部読むんだ! とムジカに否定される。
「これだけの量、本当に持って行ける?」
「大丈夫、ムジカ、へっちゃら!」
「じゃあ……まだ描きかけのものがあるから、それだけ預かっておくわね」
アリアは、その中から「イデアの鏡」だけを抜き取ると、自分の懐へとしまった。結末を変え、ここで起きた全てを描き上げるために。
十一階の教会区。荘厳だったこの空間も、すでに荒れに荒れ果てていた。
アリアはアルブレヒトの死体を探すも、どこにも見当たらない。そんなアリアを見て、グリエルマは懐から一つ小瓶を取り出した。
「この粒子は彼の遺伝子情報を構成していたものだ。乱暴の際メーデンへと付着したセーメンを採取し、先ほど噴霧乾燥させておいた。我の研究に使わせてもらおうと思ってな」
「そう……彼はここにいるのね」
すでに生命の宿らない物質となったアルブレヒト。ここまでするつもりがなかったグリエルマとしては、心を痛める行為に対するせめてもの温情であった。
「もしかしたら、ここから彼を復元できるかもしれない。そして、行為を経ずに子を宿すカギも……」
「多分、その必要はないわ。それ、貰えるかしら」
「あ、ああ。確かに、無粋であったかもしれぬ」
アリアはそれを受け取ると、窓の方へと歩み出した。
そして小瓶の中身を手のひらに移し、塔の上空へとそれらをばらまく。すると、アルブレヒトはキラキラと風に乗ってどこまでも飛んでいった。
「さようなら。またいつか、地獄で会いましょう……」
それは、彼の愛に答えてあげられなかったせめてもの行為であった。思った以上に人の心を理解する魔女、アリアに対し興味の尽きないグリエルマは、一つ試してみたい事があると告げる。それは、自身のまだ見ぬ力との対話。
「我の力、それはカオスとの交渉。つまり、失われた聖女のカオスに対し、我ならば呼びかける事ができるかもしれない。しかし、これにはかなりの魔力を要する。そこでだ、君の力を貸してくれるだろうか?」
「ええ、この子のためなら、もちろん」
「アリア……」
アリアはパメラを抱きながら、そっとうなずいた。
「では、始めよう。聖女よ、その祭壇の上へ」
「う、うん」
パメラは神に供物を捧げるための主祭壇の上へと仰向けにさせられ、まるで手術を控えた患者のように緊張した様子でその儀式を待った。
「安心したまえ。セフィロティックアドベントのように、開腹手術はしない」
「よかった……あの時、本当はすごく怖かったから」
「そうだな。我も常軌を逸した行いだと思う。改めてすまない、聖女よ」
グリエルマは自らの異能、カオティックアイによって消失したパメラのカオスを探る。すると、小さな黒と白の光が、早速パメラの下腹部に見つかった。
「皆よ安心しろ、まだ聖女のカオスは生きている!」
「やっぱり……!」
皆、その言葉を自分の事のように喜んだ。だが、問題はこの後。それをどうやって復元するかという事。
「聞こえているか、カオス、オリオンよ! 我の声が聞こえているならば、少しでいい、その輝きを我が前に示せ!」
しかし輝きは小さいままである。
グリエルマはあらゆる言葉を投げかけた。しかし、その声に依然として反応は無く、どう交渉しようにも耳を傾けてはくれない。彼女は次第に消耗していくも、アリアの魔力でどうにか儀式を続ける事ができた。
「くっ、やはり、我の力が足りないという事か……」
グリエルマは思考を続ける。何にでも相性はある。自分の錬金術とアルブレヒトの神空波を使うカオスはその性質から相容れないものであった。逆にメーデンのように、誰にでもその力をもたらすカオスもいる。自身のカオス、アケルナールと聖女のカオス、オリオン。流石に存在するステージが違うのか、もしかするとこの力そのものが通用しないのかも知れない。まだまだカオスには謎が多いのだ。
「頑張って下さい、皆、応援していますから!」
汗を流しながら儀式を続けるグリエルマ。クリスティアがそっとその汗をぬぐい、声を掛ける。すると、パメラの中の光が一瞬だけ明滅した。
「何っ、まさか……」
「きゃっ」
グリエルマはクリスティアの手を掴む。
そしてクリスティアのカオス、フォーマルハウトへと交渉を持ちかけた。このカオスも相当に巨大なものである。塔の天井をも突き抜けた大きな凱旋門の雄姿が浮かび上がる。
「頼む、今だけでもその力をお借りできないか! フォーマルハウトよ!」
「あっ、あの……」
巨大な門の横に飾られた瞳のような部分が、次第に閉じていく。許可しようとの意味であった。
「なるほど、そういう事ですね! 私のフォーマルハウトの力、勅令によって、カオスにすら強制的な命令を……」
「聡明な姫よ、その通りだ。……では命じる! カオス、オリオンよ、このままではあなたの神魂はいたずらに虚無へと喰われるのみ。我々はあなたの力を必要としている! どうか目を醒まし、再び聖女の力となってほしい!」
「オリオン……! お願いしますっ!」
その声に、パメラの心臓は大きくドクンと鼓動した。カオスの光は明滅を繰り返し、少しずつ、その力を放っていく。
「あ、戻ってきた……、戻ってきたよ! まだ小さな声だけど、聞こえた!」
オリオンの声が聞こえた事をパメラが伝える。本当はずっと一緒だったカオスが消えてしまった事に不安でいっぱいであったパメラは、涙を流しカオスの眠る下腹部に触れた。
「おかえり、オリオン……あなたも、怖かったんだね……」
「や、やったか」
グリエルマはその瞬間相当な魔力を消費した。そして疲労感の中で確信する。マレフィカの力は組み合わせの相性によってとてつもない力を発揮すると。
「感謝する……フォーマルハウト」
巨大な門は、グリエルマの中にいる水の妖精のようなカオス、アケルナールに微笑んだように見えた。クリスティアはただ、自身の力がグリエルマの力と繋がったような不思議な感覚をその時に覚える。
「やはり、これは……そういう事なのですね」
「ああ、我の力で姫のカオスをお借りした。すると、カオスと対話する能力、そして命令する能力。これらが組み合わさり、思いもよらぬ力となったのだ」
グリエルマと同様カオスがうっすらと見えるコレットは、その信じられないような光景に目を見張った。
「なるほど、カオスも私達と同様、協力する事もあるのね……。孤独に生きてきたわたくしには、考えもできなかった事ですわ」
「コレットちゃん。私達が前にやった、ノーラの蘇生。あれも、そうだったのかな」
「はっ、確かに……。あの時も、グリエルマさんがいましたわね」
「ふむ、二人の子が生まれた時の事だな」
「ち、違いますっ!」
二人はおまけにキスをした事まで思い出し、赤くなりつつも互いに目をそらした。
「おそらくこれもカオスの本来持つ秘められた力。今はアリアの力と、我がカオス、そして姫の力がきっかけを作ったにすぎない。つまりまた一つ、カオスの持つ可能性が広がったという事だ。……よし、これをカオスコネクトと名付けよう。となれば早速論文にまとめなければ!」
一人興奮し、グリエルマはあれやこれやと考えをまとめだす。パメラはそれを邪魔しないように、クリスティアとアリアを抱き寄せて喜びを示した。
「ありがとう、みんな!」
「ふふ、いいのですよ。私としても、力になれて嬉しかったわ」
少しばかり傷心していたクリスティアは、パメラの役に立てた事を喜んだ。しかし、すぐにその表情は一転する。
「ですが……、一つあなたに伝えなければならない事があります」
「どうしたの?」
伏せたその目は無惨に転がる、機械仕掛けの少女の亡骸に移る。動力を失ったメアは、いまだ光の無い目で宙を見つめていた。皆と違い、パメラだけはそれを知らずにいたのである。
「そんな……」
「戦場において、全てが上手く行きすぎたくらいだ。気を落とすな」
「でも、ロザリーが何て思うか……」
ディーヴァによる慰めももっともだが、パメラにはロザリーとの約束があった。きっとロザリーがいたら、こんな結末ではなかったかもしれないと。
「これは、他の誰でもなく私の責任。私の力が足りなかったのです」
クリスティアは本来の悲劇の要因であるヴァレリアの介入を伏せる事にした。もし自分が組み伏せる事ができていたなら結果は違っていたかもしれないと。
それには、リュカやコレットも自分達も同じだと付け加える。
「あたいらがあそこでしくじらなければ、結末は違ったかもしれない。多分ロザリーの優しさが伝染ったんだ。きっとあいつも分かってくれるさ……みんな殺されかけたってのに、それでも助けようとしたんだから」
「それがあの人の力ですわ……。ですがまだ全てが決まったわけではありません。先ほど出た結論としては、彼女の魂は別の所にあり、まだ回復の可能性があるという事で意見が一致しました。おそらく、それを見つけ出す事ができれば」
「じゃあ、あの時みたいに、私とコレットちゃんの力なら……」
パメラはメアに再生の力を使おうとするも、まだ思うように使えない。カオスの状態から、いつも通りになるにはしばらく時間がかかりそうだった。それを見たアリアも魔力を注いでみるが、何も反応はない。
「この子に魔法の類いは効かないだろう。この技術は、それを真っ向から否定するものだ。そこでだが、我にメアをしばらく預からせて貰えないだろうか。もちろん、この子達もだが……」
そう提案したグリエルマは、その後ろにて集まる救出したマレフィカ達を見つめる。アルブレヒトとの戦闘以来、もうすっかり懐かれているようだ。
「私はこの子達を一度拠点に預け静養させてもらったのち、学園の準備を進めておきたいと思っている。おそらく元凶であるサンジェルマン……奴とはいつかケリをつけなければならないが、我としても事を構えて無事に済むとは思っていないからな」
メンデル゠サンジェルマン。グリエルマの因縁の相手である。だがアルブレヒトを倒した今、少しだけ彼に同情的な気分はぬぐえない。しかしその感情すら、彼は狂気の為に消費するであろう。
コレットはその両手で自らの身体を抱きしめた。その名を聞くと、未だに体温のないはずの体を震えが襲うのだ。
「あの、マレフィカを切り刻む事を喜びとする天才医師ですわね。彼には、わたくしも借りがあります。いえ、最初の実験体となったわたくしが、彼をそう導いてしまったのかもしれません」
「いや、それはこちらの責任だ。遅かれ早かれ、奴はマレフィカに目を付けていただろう。我の持つ知識が奴に渡った時点で、奴の暴走は始まったのだ。だからこそ、我は……」
片眼鏡の奥から覗く彼女の目は、後悔と恐怖、そして覚悟が入り交じったものであった。
「グリエルマさん、何を……考えているのです?」
「ああ。メアはすでに機械の体に改造されている。我一人では蘇生も難しいだろう。そこで、サンジェルマンの施設を占拠する。そして、我がホムンクルスの技術も組み合わせ、出来る限りこの子を人間に戻してあげようと思っている」
「そんな事が……」
「我に不可能はない。と言えば嘘になるが、この命を賭け、やりとげてみせよう」
メアが助かる道があるのなら、今はそれにすがるしかない。彼女の決意を受け、一同も頷く。ただ一人、ディーヴァを除いて。
「一人では行かせない。その時はガーデン制圧に向かう者を我々からも何人か都合しよう。いいだろうか、グリエルマ殿」
「もちろん。正直言うと心細い。君達が来てくれるのなら助かるよ。特に……あなたであれば」
少し熱のこもった色目は、ディーヴァへとは届かなかった。彼女は姫と次に行うべき作戦をあれこれと話し始めたのだ。さすが、真の軍人だとグリエルマのため息がこぼれる。
「まったく、羨ましいものだな。若さというやつは」
グリエルマはそこにいる全てのマレフィカを眺めた。
その傍らには、寄り添うように様々なカオスが眠っている。失われたカオスすらも復活させた、新時代を担うであろう新たな力、神魂連結。そんな無限の可能性を持つ若き魔女達に、これ以上ない頼もしさを覚えるのだった。
―次回予告―
光と影、善と悪、生と死。
何事も、表があれば裏もある。
これは、もう一つの魔女達の物語。
第139話「真の魔女」




