第129話 『錬成の魔女』
イデアの塔、十一階層――。
司令室のあるその階層は全体がガーディアナの伝統的なゴシック調の造りで統一され、今までの無機質な石造りの様相とは一線を画した。クリスティア達は周囲に注意しながらそれを進む。
「おそらくこの階にアルブレヒトが隠れているはずだ」
「なるほど、教会になっているのですね……」
目の前には、赤と白の絨毯に導かれるように教会風の区画が広がっている。パメラはそれらに向け、当たり前のようにお祈りをした。
「神よ。メーデンを、そして全ての人々を、苦しみからお救いください」
「聖女さま……」
メーデンもまた、パメラから手を離し同じように祈りを捧げる。
「神様。でしたら聖女さまの苦しみも、どうかお救い下さい」
「……ありがとう、メーデン」
互いに心を通じ合わせ、二人は笑いあった。
その様子を見たクリスティアは、本心ではガーディアナの神にそのような願いは届かないと断じながら、パメラの心に打たれローランドのやり方で祈って見せた。
「ローランドの英霊よ。どうか、我々をお導き下さいませ……」
「英霊か……我が祖先である白百合の騎士は、今や貴女の国の英霊なのだったな。その直系としてはどうにもこそばゆい」
「グリエルマ、そのような方とこうして共に戦えて私としても光栄です。ちなみに、ロザリーはその白百合の騎士の再来と言われています。あなたもやがてローランドの英雄となるお方。どうか胸を張って下さい」
「む、胸をか……」
グリエルマは少しだらしなく重力に従う自らの胸を見ては、深いため息をついた。
「はあ……君達の若さがうらやましいよ。我も若かりし頃は……」
「……まって、誰か来たようです」
そうこうしていると、奥の通路から足音が近づいてきた。遠くからでもずいぶんと目立つ、トサカ頭の派手な男である。
「ようこそオレの塔へ、魔女の諸君。おもてなしは気に入ってくれたかい?」
彼は大げさに手を広げ、歓迎の意思を示す。しかしその手には槍が握られており、タダで通すつもりはないとの意思も露わである。
「あなたが司徒アルブレヒトですね。我々は反ガーディアナを掲げる魔女の組織、ヘクセンナハト。ここで会ったのも何かの因果、ご覚悟願います」
クリスティアが鋭い眼光で見つめる。アルブレヒトはそれだけで身がすくんだ。まるで獲物を狙う鷹の目。イデアにいる大概のマレフィカとは佇まいが違う。すでに戦意すら吹き飛びそうになりながらも、彼はまるで意に介さないと言ったように精一杯道化を演じてみせる。
「魔女の組織、ねえ……。ウチのマレフィカ達を、仲間に加えようってハラかい?」
「違うな、アルブレヒト。貴様達の不当な扱いから彼女達を解放し、自由を与える。そこから先はそれぞれの意志に任せるつもりだ。まあ、ほぼ全員がお前達を憎んではいるだろうが」
そう脅しをかけるグリエルマの後ろに、怯えた様子の少女達の姿が見える。そう、ここでは魔女といえ、まるで無力な子羊である。何も恐れる事はない。
「ふうん……おや?」
そしてもう一人、そこには無力なまでの少女がいた。エリートの中のエリート、聖女セント・ガーディアナ、その人である。
「これはこれは、まさか聖女様までご一緒とは。今は家出中と聞いていましたが、どういった風の吹き回しです?」
「アルブレヒト、降参して」
パメラの命令に、アルブレヒトは苦笑いを浮かべた。それは、できるものならそうしたいといった意味合いが込められているのは明らかである。
「聖女よ、それは無理な相談だ。奴には後がないのだからな」
「そのとおり。俺は生まれてからガーディアナしか知らない子飼の犬。やるしかないんだよ。しかしグリエルマ、お前まで一緒か。親父のガーデンから逃げ出したって聞いたが」
「ああ……あそこにいた事は我が人生最大の汚点だよ。坊や、父君にはずいぶんとお世話になった。貴様の首でも送りつけてやりたいほどにな」
「ハハ、同情するぜ」
(親父の奴、かなり恨みを買っていやがる。まさか、この年増にまで手を出したんじゃないだろうな。私怨のもつれからの八つ当たりかよ。貧乏くじも良いところだ)
あらゆる愚痴を脳内で吐き出すが、事態が好転するわけでもない。せめてしばらく時間稼ぎをしなければと、アルブレヒトは苦し紛れに上階を指さす。
「お前達の目的、アリアはこの上にいる。だが彼女はここにいる事を望んでるよ。それでも助けたいのかい?」
「そんなの、あなたが決める事じゃない!」
「オレが一番アリアの事を分かっている! 恵まれたアンタになど分かるかよ!」
「恵まれた……違う……」
無駄に挑発してしまったか、とアルブレヒトの背に冷や汗が流れる。アリアの事で少し熱くなってしまったらしく、その言葉はどうも聖女を刺激したようだ。
今はここで生き延びる事、そしてその後のガーディアナでの地位、その両方を気に掛けないといけない。本当に怖いのは、彼女を偏愛する教皇なのだ。
「そこをどいて」
アルブレヒトは怒りと共に一人こちらの方へと無防備に歩いてくる聖女を見るなり、これはチャンスではないのかという考えがよぎった。そう、無力な聖女など恐るるに足りない。ここイデアでは、自分でさえ強者の部類に入るのだから。
(このまま人質にするか……? 上手いこと教皇に送り返せば、司徒筆頭の地位も夢じゃないが……。いやまて、あれは……)
その時、魔女達の後ろから何かが接近してくるのが見えた。メアである。股関節から先が無いが、その切断部から火柱を吹き上げ勢いよくこちらへと飛んで来ている。
間に合った、とアルブレヒトは舌なめずりをした。
「目標、補足」
メアは全ての指先から光線を射出した。それはクリスティアやグリエルマ、そして救出したマレフィカ達へと同時に襲いかかる。
「メアぁ、ナイスタイミングだ! さすがは俺の妹!」
同時にアルブレヒトも、構えた槍の切っ先をパメラに向け突撃を開始した。このまま人質に取れば、全てはこちらのものである。
「えっ!? メア……?」
クリスティアは背後の気配に気付き、とっさに迫り来る光線をなぎ払った。と、次の瞬間、竜巻のような回転と共にメアが斬りかかる。そのまま二人は激しい攻防を繰り広げながら、奥の区画へと消えていった。
「くっ、間に合うか!? アルケミックリアクター!」
グリエルマは空気中の分子を再構築させ、マレフィカ達に向けられた光線を圧縮した蒸気を作り出す事で角度をずらし反らして見せた。
「よし、上空に近い事が功を奏したな。引き続き、彼女達の周囲に蒸気バリアを展開」
これが錬成の魔女、グリエルマの得意とする戦闘スタイルである。
周囲の物質を練成させながら戦う事を可能にするのは、彼女の魔導具、錬成片眼鏡によるものだ。あらゆる計算を瞬時に行うその片方の目で物質を操作し、もう片方の眼でカオスの力を操作する。
「後は聖女か……させるかぁ!」
続けてグリエルマは、アルブレヒトの槍をその目に捉える。鋼鉄で出来た槍の穂先は次第に粒子となり、サラサラとこぼれ落ち無力化した。しかし、アルブレヒトはかまわずパメラに襲いかかる。
「聖女よ、気を付けろ!」
それには、誰よりも早くメーデンが動いた。彼女はすかさずパメラの背中へとしがみつき叫ぶ。
「聖女さま! 悪い子にはお仕置きですっ」
「ありがとう、メーデン」
パメラは瞬時に光の刃を張り巡らせ、アルブレヒトに解き放った。
「うおおっ!」
それは次々とアルブレヒトの肉体を掠めていき、全身を切り刻まれたような感覚を与える。彼はたまらず崩れ落ちるも、体には何の異変もない。
「手加減してあげたの。まだやる?」
「へへ……、お手上げです」
アルブレヒトは圧倒的な力の差に戦慄した。まるで虫でもいたぶるような目だ。しかし、小娘にここまでコケにされても怒りすら沸かないその情けなさたるや。ただただ、彼は助かった事に感謝すらしていた。
(だが、なぜこの塔で力が使える? 聖女はやはり特別なのか……?)
そんな彼の思案もよそに、流れてくる緊張感のない会話。
「メーデン、胸触ってる。もう少し下」
「あれ、聖女さま、胸、大きくなりました?」
「そ、そうかな? そういえば、服がきつくなってきたような」
「はい! お風呂で毎日触っていたから分かります! 前はすとーん、だったのに」
「あ、ひどい! もう一緒にお風呂入ってあげないんだから!」
「いひぃ……違うんです、ごめんなさいぃ!」
戦闘中にも関わらず、メーデンはすかさず土下座の姿勢を取った。
のんきなものだ。こちとら命がけでやっているというのに。アルブレヒトはその隙に何か解決の糸口を探す。このままではアリアが奪われてしまうのも時間の問題だろう。
「あ、離しちゃだめだよ。力が使えなくなるから」
「はい、聖女さまの為なら! んふー!」
(なるほど、聖女お付きのこの女か。イデアの力すら及ばないために一度は助かったと聞いたが、のこのこ戻ってきていたとはな。ちゃんと書類に目を通しておけば良かったぜ……)
アルブレヒトは不敵な笑みを隠し、その手に持っていた使い物にならなくなった槍を投げ捨てては、大げさに降参のポーズを取った。
「いやー、オレの負けだ! やっぱり聖女様には敵わねえ……。アンタ達の望み通り、アリアは連れて行け」
「アルブレヒト……」
「ただし、通すのは聖女様だけだぜ。アリアの部屋は司徒以上でなければ入れない仕組みになっている。セフィロティック・アドベントの加護をその身に受けているか、扉が認識するんだ」
口から出任せである。しかし人を疑う事を知らないパメラは、その言葉を真に受けた。
「メーデン、もう大丈夫。ここからは一人で行くから。あなたは、みんなを守ってあげて」
「聖女さまぁ……」
メーデンは惜しみながらその手をほどいた。パメラは笑顔で「行ってくるね」と告げ、奥にある階段を上っていく。
「ふう……聖女の方は何とかなったか。しかしアルブレヒトの奴、あそこまで軟弱者とは」
メアの光線による余波で傷ついた少女達の手当に当たっていたグリエルマは、あっさりと負けを認めたアルブレヒトに不信感を抱きつつも、こんな男どうにでも組み伏せられるとあまり気に留める事もなくパメラを見送った。
「聖女よ、アリアを頼んだぞ」
アリアの下へと聖女を送る。これまでは算段通り。今は一人、メアと応戦しているクリスティアが気にかかる。グリエルマはまるでアルブレヒトを無視するかのようにそちらへ視線を送った。
「姫、無事か!」
(チャンス……!)
アルブレヒトは、厄介なグリエルマの意識が交戦中のクリスティアに向いた一瞬の隙をついて、聖女を一人見送っていたメーデンを後ろから組み伏せた。
「ひゃあっ!」
「女、大人しくしろっ!」
「ひぃい……!」
「なっ……しまった!」
そこでグリエルマは自らの初歩的なミスに気づく。相手は腐っても狂人メンデルの息子。このような行動に出る事など予想できたはずであった。
「悪いな! 俺が生き残る道はこれしかねえんだよ!」
二人はしばらくもつれ合う。彼女が抵抗する度に、濃厚な女の臭いがアルブレヒトの鼻の奥に広がり、長年禁欲に置かれていた劣情を刺激した。
「くうー、や、やわらけえ!」
「ひゃああ……」
もがくメーデンの体をアルブレヒトが後ろから抱きしめる形となり、彼の手が豊満な胸を鷲づかみにすると、彼女はついに抵抗をやめた。
そのアリアに負けない程の大きさと柔らかさに、彼はまるでアリアそのものを揉みしだいているかに錯覚する。その結果、体の一部が痛いほどに反応を示した。
「はあっ、はあっ……よしっ! よしっ、少しばかりくせぇが、これで形勢逆転よ!」
「ひ、ひ……何か、当たって……」
メーデンはあまりの恐怖に声をあげる事もできない。男性恐怖症である彼女は、牢獄において乱暴されないため自衛の意味も込めて不潔にしていたのだ。しかしこの男は、まるでお構いなしと言ったように至近距離で大きく息を吸った。
「ふー、なるほど、これがこいつの力ね……確かに力が沸いてきやがる。カオスよ、オレのカオス! 聞いてるなら力を寄越せぇ!」
「まずいっ!」
グリエルマがそれに反応した時には、すでに遅かった。アルブレヒトは以前とは全く違う顔つきとなり、自信げに彼女へと相対する。
「くっ……! カオスが降りたか!」
グリエルマは己の失態を悔いる。
三十を過ぎ、一度も男と係わりが無かった事で生まれた無意識の忌避、嫌悪、さげすみ、そしてマレフィカの敵としての、種としての防衛本能。それがついに裏目に出てしまった。グリエルマは自らのわがままとして、アルブレヒト……いや、“男”をどこか避けていたのだ。それが若い男ともなると、もはや別次元の生命体である。
理知的な彼女は、エゴとも呼べる意識がこの状況を生んだ事を一瞬にして理解する。そして、辱めを受け苦しむメーデンに対し、心の底から同情した。
「ほほー、頭……いや、心の中で声がするな。これがカオスか。……なるほど、目の前の女……、お前はこいつに恨みがあると。ふんふん」
「貴様、何を……」
司徒と相対する上で、グリエルマにあった一つの懸念。それは自らの業とも呼べる、かの、非人道的な儀式との決着。
「女、お前ガーデンでどれだけの魔女を実験台にしたんだ? 俺に移植されたマレフィカ、確か名前はカサンドラだったか。今までウンともスンとも言わなかったこいつが、ガーデンの女所長様を見た途端に目覚めやがった。憎い、憎いって叫びながらよ」
「そ、それは……」
カサンドラ。確か体が弱く、メンデルによる苛酷な人体実験に耐えられない為に、配慮のつもりでセフィロティック・アドベントへと回した少女。魂となれば、せめて肉体の苦痛からは解き放たれると思っていた。しかし、その心の痛みは決して終わる事なく、今日まで続いていたのである。
「へえ、そんだけうろたえるって事は、良心はあったのか」
「そんな馬鹿な……我は……何という事を……」
「ふんふん、あの女にも同じ苦痛を、ね。了解了解、そら!」
アルブレヒトがその手を払うと、空気が切り裂かれ、真空の衝撃波が生まれた。それは遠く離れた石壁をも切り裂く。
「ハッハァー! きたぜ、キタキタァ! これがマギアか……ずるいよなぁ、こんな力がお前達だけのものだなんてよぉ!」
その顔は、今までこの男が感じてきた屈辱を全て孕んだかのような笑みであった。ふうう、と生暖かい吐息がメーデンにかかる。全能感が生む暴力的な衝動。それはメーデンに向けて爆発し、アルブレヒトは小刻みに震えながら、彼女の腰に何かを押しつけていた。
「……うっ!!」
「あ、え……?」
「はあ、はあ……これが終わったら本番だ。イモくせえお前を立派な女にしてやる、ありがたく思え」
「……っ!!」
それは、女性としての尊厳を大きく傷つける言葉であった。メーデンは再び発狂しそうなほどの恐怖を覚える。
「貴様……」
無抵抗な女性に対して気を大きくする気質は、父親譲りであろうか。それを見て、グリエルマは激情しながら何かを仕掛けてきた。すると突然大気中の水分が凍り始め、アルブレヒトの腕にまとわりつく。
「彼女に何をしたっ! この、外道がぁ!」
「うお、冷てえ!」
すると、凍り付いた片腕はピクリとも動かなくなった。メーデンを抱き寄せる方の腕も今は使えない。ならばと彼は代わりに脚を蹴り上げグリエルマへと真空波を浴びせる。すると、先程よりもさらに威力を増した真空が生まれた。グリエルマは周辺の石畳をせり上げ壁を作るが、巨大な真空はそれすらをも抉り取る威力を見せた。
「ぐっ!」
「なるほど、これは脚でやんのか」
アルブレヒトは続けざまに何度も何度も、執念深く蹴りを放つ。重なるように発生した真空波は、立て続けにグリエルマを石畳ごと切り裂いた。
「この攻撃性、嗜虐心……やはり……」
「オラオラオラ! 男がカオスを持ったらどうなるのかねぇ、勝てるわけがないよなぁ!?」
グリエルマは床に穴が空くほどに石壁を再生させるも、その消耗が追いつかない程に彼の攻撃は熾烈を極める。
「ぐ、ぐうっ……」
「女の願いを叶えてやるのが男ってもんよ。この子も救えなかったお前に、何ができんだよ!」
その言葉にふとよぎる、常に押さえ込んでいた男性に対する恐怖心。それは、彼女を縛り続ける価値観。女性というのは、この逞しさに守られるものであるという常識的規範である。
「違う……我は、私は……!」
彼女は石壁で応戦するも、もはやどうにもならない。真空とは万物ではなく、何も無い状態。神が創造しえない、神の全能性と矛盾する存在。つまりその恩恵の下、発展してきた錬金術の否定。グリエルマの得意とする、物質の元素を組み替えるという業の埒外なのだ。
その相性は見るからに最悪であった。衝撃の余波を浴び、ついにグリエルマはたちまちに体を切り裂かれる。
「ぐああっ!」
しかし、出血が酷くこのままでは命に関るという状況にも、彼女はその後ろの少女達のため避ける事はしなかった。そんな中、光と共に表われる妖精。娘の危機に現れた母、アップルが懸命に叫ぶ。
「グリエルマっ! このままじゃあなた……!」
「かまわんっ! こんな我が身など、あの子達のためならば……」
だが彼女の犠牲も空しく、真空はさらに勢いを増し、後ろにいる少女達へも届かんとしていた。
(そうであった……我は、せめてでも彼女達を守る。いや、教師である我が守らねば誰が守るというのだ!)
グリエルマは気力を振り絞り、後ろにいるマレフィカ達にだけは届かぬように念入りに後方へ壁を作ると、そこで力尽きたように特大の真空波の餌食となった。服ははだけ、左腕は骨だけでぶら下がり、腹からは大きくピンク色の肉が覗く。彼女はすでに気力のみで気絶に耐えている状態だった。しかし生きた右腕で、こぼれた胸を隠す。女としての尊厳を守り通すように。
「ふ、ここ……まで……か……」
「グリちゃん、死んじゃったらママ、許さないからっ」
「そうは言うがな。この状況は男女のそれと同じように、平等ではない……。流石の我とて、絶望を感じているよ」
「ばかー! ママなんてね、パパをいつも尻に敷いてたんだから! あなたが男性恐怖症になったのは、ずっと研究ばかりで人から遠ざかっていた私のせいよ。でもね、男だって、そんなに悪いものじゃないの……。だって、パパがいたから、あなたは生まれたのよ!」
それは当たり前の事ではあるが、グリエルマがずっと意識から遠ざけていた事。確かに我が半身は、父からのDNAでできている。つまりは男の生み出す生命の水。それこそが、我が命の源でもあるのだと。
「そうか、我は……いつしか己すらも否定していたのだな……」
彼女は錬金術を駆使し、男を必要とせず、代わりにそれに酷似する液体を作り上げる研究をしていた。しかし長年の研究においても、それはついぞ叶わなかった。
代わりなど、無いのかもしれない。男と女どちらが、などというこだわりに囚われ、ずっと何かを見失っていた。それはきっと、命に対する敬意。
錬金術の基本である、存在の大いなる連鎖。“下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし”。グリエルマは、まさにこの真理を今改めて理解する。
「太陽はその父、月はその母、風はそれを胎内に運び入れ、地はその乳母である……」
「賢者エルメスの碑文の一節ね」
母の言葉にグリエルマはうなずく。
「ふ、我は少しばかり、意地になりすぎていたのかもしれんな……」
「ふふ、合格。でもね、子にとって父よりもっと偉大なのは、母である事も覚えておきなさい」
「何を……」
アップルは自らの体を分解し、粒子にしてグリエルマに与えた。ピクシーダスト。これを飲んだ者は不老長寿にもなれるという霊薬である。実際は回復能力を高め、病気を治すくらいの効果だが、それで十分だった。徐々にだが、受けた傷がふさがってゆく。
「アップル!」
「呼び捨てじゃないでしょ、母上でしょ!」
グリエルマは笑った。まったく、最後まで騒がしい母上だと。
「はあ、はあ……、急に疲れが来やがった、これは一発抜いたどころじゃねえな……情けねえ」
アルブレヒトは突然の覚醒から大量の魔力を消費し、肩で息をするほどに消耗していた。そして再び蘇ったグリエルマを見ては狼狽え始める。
「くそっ、しぶとい女だ! 乳の垂れたババアには用はねえんだよっ」
「ふーっ、こちらも貴様の様なクズは願い下げだ!」
再び活力を得たグリエルマは、アップルの持っていたケース、導具全集から短剣を取り出す。賢者の剣と呼ばれるそれは、錬金術で生み出せる高度な存在、反物質を生成し、爆発的なエネルギーを秘めた対消滅を起こす為に用いる。もちろんメーデンが近くにいるため対消滅を使う事はできないが、同時に錬金生成能力を増幅する効果もあった。
「母上、力を借りるぞ!」
『おっけーよ……全部持っていって』
アップルの最後の粒子はグリエルマに取り込まれた。するとそこに爆発的な力が生まれ、術式が部屋全体に広がる。すると大気中の水分が蒸気となり、彼女の命令に従うかのようにアルブレヒトの下へ向かった。
「うおお、真空が出ねえ!」
「原子の振動よ、その動きを完全に停止せよ、アブソリュート・ゼロ!」
蒸気の渦はやがて水の玉となり、さらに凍結し始めた。そしてついにはアゾットを向けた先、アルブレヒトの脚から全身を氷となって覆い始める。
「カサンドラ……我が過ちにより魂となった少女よ……。我の罪は永遠に消える事はない。だからこそ誓う。我は全ての死せる魔女の魂を背負い、全ての生きる魔女の為にこの命を尽くそう。だからせめて、今は安らかな眠りを……」
「くそっ、いいから力を寄越せカサンドラ! 全てが憎いんだろっ! 俺がお前の代わりに、何もかもをぶっ潰してやる!」
彼の怒号と共に、アルブレヒトの中の少女が浮かび上がる。彼女は切り刻まれたグリエルマの姿に、いつかの人体実験の記憶を重ねていた。実際にそれを行ったのは彼女ではなく、あの狂気を体現した男、サンジェルマン。彼女はグリエルマの命がけの言葉に、真の敵は誰なのかをその時初めて理解する事ができたのだ。
「おい、カサンドラ……?」
少女の顔からは憎しみは払われ、ただ涙を浮かべていた。哀れな自分と、この哀れな宿主に対しての涙である。あの男によって全てを狂わされた人生。ならばせめて、ここで共に終わる事を望んでいた。
「終わりだ! アルブレヒトォ!!」
「うがああ! 身体がうごかねえ!! おお、お……」
アルブレヒトは自由のきかない中、様々な事を思い返す。
思えば、親父に付き合わされただけのろくでもない人生だったように思う。
自分で見つけたもの、自分が手に入れたかったものはただ一つ。アリアだけだった。
(――アルブレヒト……)
アリアが自分の名前を呼んでくれたのは、たった数回だった気がする。だが、それでいい。きっと彼女の記憶には、その名は刻み込めたはずだ。
マレフィカ。こいつらがアリアを悪いようにしないだろうと言う事は、クズな自分にも想像できる。だったらもう思い残す事は、自らと共に消える事を望んだカサンドラだけである。
「……そうか、もういいのか。だったら、しゃあねえな」
もしかしたら、これで良かったのかも知れない、と最後に彼は満足げに笑った。
「アリア、元気でな……」
静止した世界で、男の熱と引き換えに周辺の温度が取り戻されていく。
「眠った、か……」
アルブレヒトが完全に凍結すると同時に、グリエルマも全ての力を使い果たし倒れた。
「……はうう」
アルブレヒトは最後に、その身に抱えていたメーデンを突き放していた。解放されたメーデンは倒れたグリエルマに駆け寄るも、自分一人ではどうする事もできない。傷は想定外に深く、完全には回復できなかったようだ。
「どうしよう」
こうしている間にも血溜りは広がっていく。パメラもいない今、ここは共に捕らわれていたマレフィカ達に全てを託すしかなかった。
「ああ、うう……だれか……」
メーデンはマレフィカ達、つまり女性達の集団に目をやった。すると同時に、彼女に言いようのない恐怖が襲いかかる。自分の不手際が原因とはいえ、男性達には暴力、女性達には忌避された記憶が甦り、またも、集団でいじめられるのではないかとの思いがよぎった。彼女達にもずっと避けられていた事もあり、助けてあげてほしいのその一言が言えずにいたのである。
「えっと……」
「どうしよう……」
マレフィカ達は顔を合わせその思いに答えようとしたのだが、皆一様に首を振る。運悪く、役に立ちそうな治癒能力を持つマレフィカはそこにいなかった。
メーデンは声にならない声をあげた。そして自分を助けてくれた人から流れる血を、その手で塞ぐ。いつかは自傷によって自ら流した血。しかしその尊さに、今こうして失われ行く命を前に、その熱をもって初めて愚かな行為であると理解できた。
「あうっ、えううっ……!」
そんなみっともなく泣きわめく彼女に、何かが触れた。血よりも暖かい何かが。
「……もう大丈夫、怖かったですね」
それは、白の外套を翻し、白金の鎧を纏った少女、ヴァレリア。宝飾剣と共に光る手を、彼女へと差し伸べていたのだ。
「しかし、この状況は……何があったか、分かりますか?」
「あ、あ……私は、この人を、助けたい……! あなたがマレフィカなら、私のこと、触って! たぶん、力が使える……!」
メーデンは彼女が仲間である可能性に賭け、必死に状況を説明する。ヴァレリアはたどたどしくも一生懸命に伝えようとするその姿に理解を示しほほえみ返すと、メーデンの肩に触れ治癒魔法を唱えた。
「なるほど、あなたに触れていると魔法が使えるのですね。私の治癒魔法は簡単なものです。ですが、血を止める事くらいならできるはず」
暖かな光に包まれ、グリエルマの致命的な傷は癒えた。ピクシーダストの力によるものが大きかったが、出血を止めただけでも生存確率はぐっと上がる。
「あり、ありあり……」
「不思議な力ですね。私も見たことがないほどに。ですが、これで護法剣のストックも補充できます。ありがとう」
「あり……!」
メーデンは褒められた事に対し笑顔で応えた。少しだけ、引きつってはいたが。
「さて」
ヴァレリアは、目の前の凍り付いたアルブレヒトを、それすらも凍てつくような瞳で見据える。
「司徒、哀れな神の傀儡。マレフィカの未来のため、ここに粛正しようと思っていましたが……どうも遅かったようですね」
続けてそうどこまでも冷たく言い放つと、彼女は緑色に光るルーン文字を刻んだ。
「旋風のアルカンシェル、魔法剣スマラグドス!」
突如、空間から突風が現れると、それはアルブレヒトを氷塊ごと塔の外へと押しやった。この高さから落ちたとあれば、もはやひとたまりもないはずである。
「ですがこれで一人。目障りなものは、全て私の前から消えて貰います」
「いひっ!」
メーデンはためらいもなくそんな行動を取ったヴァレリアから、逃げるように後ずさった。
「ふふ……逃げなくとも大丈夫、マレフィカは必ず救います。この私が」
その言葉の、マレフィカは、という部分に違和感を覚えたメーデンだったが、もう頼れるのは彼女のみ。続けて、未だ戦いの続くクリスティアの方を指差し、助けを願った。
「あの、お姫、様、を……助けて……!」
ヴァレリアはそちらを一瞥してうなずくと、颯爽と死闘の先へと飛び込んでいくのだった。
―次回予告―
亡国の女王として、彼女に定められた使命。
それは、誰にも踏みにじられぬ強さを持つという事。
血に濡れた十字槍に、弱き心をひた隠して。
第130話「救済」




