第76話:本当の正義を成す――。(リュディガー視点)
――そしてあれから15年。
「……マーヤ」
この日はマーヤの15回目の命日だった。
毎年私は命日にはマーヤの遺体が遺棄されていたこの路地裏のゴミ捨て場に、カレーパンを供えている。
マーヤが寝ていた場所にカレーパンを置くと、無言で手を合わせた――。
――あれから私は、徹底的に自分を鍛え抜いた。
大切な人を守れなかった、弱い自分を払拭するため。
――そして、いつか必ずオストヴァルトに復讐するため。
いつしか私は【虹の剣聖】などという御大層な二つ名で呼ばれるようになり、王立騎士団の副団長にまでなっていた。
……だが、依然として私は弱者のままだった。
王立騎士団の副団長では、到底筆頭侯爵の権力には敵わない。
結局平民である私では、どこまでいっても貴族には勝てないのが、この世界のルールなのだ……。
「ククク、はじめましてリュディガーくん。今日は実にいい天気だね」
「――!」
その時だった。
聞き覚えのない男の声がしたので振り返ると、そこには顔中皺だらけの、白衣を着た老人が佇んでいた。
こ、こいつは――!
「……【好奇神】、何故貴様がここに」
それは現在指名手配中の大罪人、【好奇神】ことヨハン・フランケンシュタインだった――。
王立騎士団が血眼になって探しているにもかかわらず、杳として消息が掴めていなかった指名手配犯が、何故王立騎士団副団長である私の前に……?
それに、私とこいつはまったく面識はないはずだが、どうして私の名前を知っているんだ……。
私は腰の剣をそっと握りながら、【好奇神】を見据える。
「それはね――君をスカウトするためさ」
「……は?」
スカウト?
「君のことは調べさせてもらったよリュディガーくん。大切な幼馴染をオストヴァルトに殺され、さぞ辛かったことだろう」
「――!!」
コイツ、そんなことまで調べたのか――!!
「君も感じているんだろう? 我々平民は、どこまでいっても貴族には勝てないと。その無念さに、眠れない夜もあるんじゃないかい? 私もそうだから、よぉく気持ちはわかるよ」
「……くっ!」
耳を貸すな――!
コイツはこうやって、私を引き込もうとしてるんだ――。
王立騎士団の副団長として、犯罪者に手を貸すわけには絶対にいかない。
――私はマーヤから、立派な騎士になってねと言われたのだから。
「言いたいことはそれだけか? 私は貴様を逮捕する。大人しくすれば、命までは取らんぞ」
私は腰の剣を抜き、その切っ先を【好奇神】に向ける。
「ククク、まあそう熱くならずに。何も私は、君に私が逃亡するための手伝いをしてくれと言ってるわけじゃないんだ。――私が死んだ後、これを私に飲ませてほしいだけなんだよ」
「……?」
【好奇神】はおもむろに、血のように赤黒い液体が入った小瓶を足元に置いた。
何だ、あれは……。
「これは私が長い年月を懸けて開発した薬でね。まだ試作段階だが、その名も【魔神の涙】という。これを飲んだ人間は、それこそ魔人の如き身体能力と回復能力を手にできる、夢のような薬なのさ。これを君が死んだ直後の私に飲ませてくれれば、きっと私は強者として蘇ることができる」
「――なっ!?」
バカな――!?
本当にそんなことが可能なのか……!?
――いや、数々の不可能を可能にしてきたコイツのことだ。
きっと可能なのだろう。
だが――。
「フザけるなよ。それでは所詮、逃亡の手助けをするのと同じではないか。私は王立騎士団の副団長だ。騎士として、そんな正義に背くような真似はできん!」
「ククク、正義ねぇ。――オストヴァルトのような巨悪を野放しにしている王立騎士団は、本当に正義と言えるのかね?」
「……!」
そ、それは……。
「君も薄々感づいてるだろうが、オストヴァルトが君の幼馴染を殺した当時の騎士団長は、オストヴァルトとズブズブの関係でね。オストヴァルトの悪事を知っていながら、その証拠を揉み消していたのだよ」
「――!」
やはり、そうだったのか……。
どうりで何度私が独自にオストヴァルトを捜査しようとしても、上から止められたわけだ。
団長が今のヴォルフガング団長に代わってからは、大分王立騎士団も風通しが良くなってきたものの、まだまだ昔からのしがらみが残っているのが実状。
確かに王立騎士団は、本当の正義ではないのかもしれない……。
「私だったら君と共に、本当の正義を成すことができると約束するよ。――どうか私と二人で、弱者のための楽園を築こうじゃないか」
「……」
――弱者のための、楽園。
マーヤが笑って暮らせるような、世界――。
「どうか考えておいてくれたまえ」
「――! ま、待て!」
【好奇神】は路地裏から去って行った。
慌てて後を追うも――。
「……なっ!?」
そこにはもう、【好奇神】の姿はなかった。
よもや今のは、私が見た幻覚だったのではないかとさえ思った。
――だが、足元にある【魔神の涙】が、そうではないことを証明していた。
「……マーヤ」
私は【魔神の涙】を手に取り、その赤黒い液体を、いつまでもぼんやりと眺めていた――。
――その数日後。
今までが噓のようにあっさりと【好奇神】の潜伏している場所が判明し、ヴォルフガング団長をはじめとした王立騎士団の精鋭が、【好奇神】の秘密基地に乗り込んだ。
【好奇神】の強さは尋常ではなく、危うく全滅しかけたが、ヴォルフガング団長の【次元ヲ穿ツ槍】が【好奇神】の心臓を貫き、【好奇神】は確かに死んだ――。
――だが、その時だった。
『――ジバクソウチガサドウシマシタ。タダチニタイヒシテクダサイ』
「なっ……!?」
けたたましいサイレンと共に、そんな自動アナウンスが――。
「チッ! このクソジジイ、自分が死んだらこの基地ごと爆破するようにしてやがったのか……! 最後の最後まで、汚ねぇジジイだぜ……!」
「ヴォルフガング団長ッ! 今すぐここから脱出しましょう!」
「……いや、悪いけどそりゃ無理だ、リュディガー」
「――!?」
「今ので俺はもう……魔力が完全に切れちまった……。せめてお前だけでも、逃げろ……。これは命令……だ……」
「団長ッッ!!!」
ヴォルフガング団長はその場に倒れ、ピクリとも動かなくなってしまった。
団長……。
一刻も早く、ここから脱出しなければ――!
「…………」
だが私の視線は、【好奇神】の死体に釘付けになっていた。
密かに懐に隠し持っていた、【魔神の涙】を取り出す。
――これを【好奇神】に飲ませれば、奴は生き返る。
そして私は【好奇神】と共に、弱者のための楽園を築く――。
「ハァ……! ハァ……! ハァ……!」
私は誘蛾灯に誘われる蛾のように、【好奇神】に近付いていった。
――その時。
「……逃げ、ろ……リュディガー……」
「――!!」
気を失っているはずのヴォルフガング団長が、うわ言でそう呟いた。
ヴォルフガング団長――!!
あ、危ない、私は何をしようとしていたんだ……。
こんな巨悪に手を貸すことが、本当の正義であるはずがない。
私は震える手で、【魔神の涙】を床に叩きつけようとした――。
――が。
「……!」
私の鼻腔を、カレーの匂いがくすぐった。
こ、これは――!?
その匂いは、【好奇神】の死体から漂っていた。
まさかと思い【好奇神】の死体を覗き込むと、【次元ヲ穿ツ槍】で貫かれた胸元から、カレーパンが顔を出していた。
コイツ、胸にカレーパンを隠し持っていたのか――!
こういう場面になった時に、私の背中を押すために――。
「う、うぅ……!! マーヤ……!!」
私の頭に、ゴミ捨て場に捨てられていたマーヤの無残な姿がフラッシュバックする。
『だから将来は、リュディガーが私のことを守ってね』
ゴメン……!!
ゴメンよマーヤ……!!
約束したのに、君を守れなくて……!!
『あなたは絶対、立派な騎士になってねリュディガー。私はずっと、応援してるからね』
……ああ、わかったよマーヤ。
私は立派な騎士になるよ。
――立派な騎士になって、この世の強者を駆逐するよ。
気付けば私は、【好奇神】の口に【魔神の涙】を注ぎ込んでいた――。
すると――。
「――う、ぐ、グアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「――!」
【好奇神】の胸の穴が、見る見るうちに塞がっていく。
それだけではなく全身の肌が瑞々しくなり、12歳前後のいたいけな少女の姿になったのだった。
こ、これは――!?
「ふぅ、いやあ、助かったよリュディガーくん」
「……」
むくりと起き上がった【好奇神】は、声も完全に少女のそれになっていた。
「……何故そんな姿になったんだ?」
「ククク、このほうが潜伏するのに適しているだろう? まさかこんな可愛い女の子が、あの【好奇神】だとは誰も思うまいて」
自分で可愛いとか言うのか……。
いや、実際可愛いは可愛いが……。
「できればじっくりと今後のことについて話し合いたいものだが、生憎あと数分でこの基地は木端微塵になる。私は一旦ここから脱出するから、またほとぼりが冷めた頃に連絡するよ。君も早く逃げたまえ」
「……ああ」
【好奇神】が足元の床を手のひらでタンッタタンッタンとリズミカルに叩くと、床が正方形に開いて、地下への隠し通路が現れた。
こんなものまで用意していたとは、本当に悪魔のような頭脳を持った男だな……。
まあ、今は少女だが。
「ではまたね、リュディガーくん」
「……」
【好奇神】は子どもの頃のマーヤを彷彿とさせる、太陽のような笑みを浮かべながら地下へと消えて行った。
するとその瞬間穴は塞がり、元通りのただの床になったのだった。
……フン、「またね」、か。
――何にせよこうなった以上、もう後には引けない。
私は必ず、本当の正義を成す――。
「……帰りましょう、ヴォルフガング団長」
私はヴォルフガング団長の巨体を背負い、重い足を一歩踏み出した。




