第99話 安心するオーラ
翌日も、藤堂君とは登校中も手を繋がず、教室でもあまり会話をしなかった。試験が終わったクラスメイトはまた、私たちのことを見て、あれこれ言っているようだ。
「なんかあったんだよ、絶対」
「喧嘩?」
「別れるのかな」
みんな好き勝手に言ってるなあ。それも、教室で話していると、聞えてきちゃうんだけど。
ちょっと暗くなっていると、授業中に藤堂君がノートの切れ端を、そっと私に渡してきた。
『みんながなんて言っても、気にしないでいいよ、穂乃香』
ああ、ちゃんと穂乃香って、書いてある。
藤堂君をちらっと見ると、無表情だった。きっとわざと、表情を隠しているんだろうな。
『うん。ありがとう、司君』
私もそう書いて、そっと藤堂君に手渡した。
あ、今、ちょっと手が触れた。ドキってしちゃった。なんだか、そんなのもまた復活して、新鮮って言ったら新鮮かも。
休み時間になって、私は麻衣と美枝ぽんと中庭に行った。
「なんだか、また変な噂がたってるよね」
美枝ぽんがそう言うと、麻衣が、
「あんなの気にしないでいいよ、穂乃香」
と私を励ましてくれた。
「うん。藤堂君も気にしないでいいって言ってくれた」
「お。司っちもそう言ってくれたんだ」
「うん」
「そっか。良かったね」
美枝ぽんもにっこりと笑ってそう言ってくれた。
「そうだ。昨日ね…」
私は変な男につけられた話を2人にした。
「え~~、危ないじゃん。絶対に藤堂君と一緒に帰った方がいいよ」
「美枝ぽんの家の方は大丈夫なの?」
「うちのほうは、もっと通りが大きくて、車も行き交っているから」
「そっか~~」
「司っち、どうした?」
「うん。私が怖い思いをしたんじゃないかって、気遣ってくれた。それに…」
「うん」
「あ、えっと、すごく大事に思ってくれてるってわかって、安心できたんだ」
「ひゅ~~~」
麻衣と美枝ぽんにひやかされた。
「やっぱりね」
「藤堂君、穂乃ぴょんに惚れ込んでいるもんねえ」
美枝ぽんまでが、そんなことを言ってきた。
「じゃ、今日は一緒に帰るんでしょ?」
「うん。これからはずっと一緒に帰るよ」
「そうだよね。そうしたほうがいいよ」
「もうすぐ、夏休みだし。あ、でも、夏休みも一人で出歩かないほうがいいかもね」
美枝ぽんがそう言った。
「だよね。気をつけるよ」
お昼を食べ終わり、教室に戻ると、
「結城さん」
と香苗さんが話しかけてきた。
「ね、最近藤堂君とうまくいってないの?」
香苗さんの隣には、のぞみさんもいて、2人とも興味津々だ。
「ううん、そんなことないけど…」
「なんか、周りがあんまりはやしたてたから、気まずくなってるんじゃない?」
「ううん。そんなことはないんだけど…」
「でも、会話もなくなってるし、なんか2人とも変だよ?」
「…ちょっと、風紀の大山先生に言われちゃって」
「生活指導の?」
「何て言われたの?まさか、交際禁止なんて、そんなことは言わないよね」
「うん。そこまでは言われていないけど、でも、ちょっとあの先生うるさそうだから、あんまり目立たないほうがいいかなって思って」
「それで、わざと話もしなくなったの?」
「…う、うん」
「なんだ~~~。別れちゃうかと心配しちゃったよ」
「え?」
「結城さん、ちょっと元気ないみたいだったし。じゃあ、大丈夫なんだね」
「うん。ありがとう、心配してくれて」
「でも、別れていないって知って、がっかりする子も多かったりして」
「え?」
「藤堂君のこと、狙ってる子も多いみたいだし。結城さん、しっかりと藤堂君を繋ぎとめておかないとやばいかもよ?」
「……」
え?
今、何気に私の血の気がさ~~っと、引いたんだけど。
藤堂君を狙ってる?繋ぎとめておかないとやばい?
さ~~~。あ、また血の気が…。
放課後、藤堂君と美術室に行こうかと思って、藤堂君の後ろを歩いていると、藤堂君が1年の女の子につかまってしまった。
「先輩!部活でこれを使ってください」
タオル?
「え?なんで?」
藤堂君が不思議そうな顔をした。
「なんでって、その…」
「タオルなら自分のがあるから、いらないよ」
藤堂君はそう言って、また廊下を颯爽と歩き出した。
うわ。今の子、かなりショックを受けてるけど、いいのかな。
「と、藤堂君」
「え?」
「今のはきっと、プレゼントじゃないかなあ」
「タオルを?」
「うん」
「…ふうん」
藤堂君はそう言って、ちょっと歩幅を小さくして、私と並んで歩き出した。
「ああいうのは、一切受け取らないようにしようかと思って…」
「え?」
「冷たいかな?でも、もらったら、穂…じゃなくって、結城さんが嫌な思いをするよね?」
「……」
私はちょっとだけ、うなづいた。本当は思い切り嬉しくって、嬉しいって言いたいところだけど。
「あのね、さっき、教室で香苗さんが、藤堂君を狙っている子が多いから、気を付けたほうがいいみたいなことを言われちゃった」
「え?俺を?」
「うん。それって、今の1年生みたいな女の子のことかな」
「ふうん」
あれ?またなんだか、他人事みたいな返事をするんだな、藤堂君。
「どうでもいいけど、俺は…」
「え?」
「あんまり、女子、得意じゃないし。話しかけられても、ちょっと困るだけかな」
「……」
そうなんだ。
「…だから、心配する必要も、気を付ける必要もないよ」
「うん」
あ、そっか。藤堂君、私を安心させようと、そんなふうに言ってくれてるんだ。
「じゃあ、あとでね」
美術室の前で、藤堂君と別れた。
私はしばらく藤堂君の後姿を目で追った。ああ、後ろ姿もやっぱり、凛々しいなあ。
「ね!結城さん」
いきなり後ろから背中を叩かれ、驚いて振り向くと、同じ部の子が3人美術室の中から出て来ていた。
「藤堂君と、別れてないよね?」
「うん」
び、びっくり。なんだ、その質問。
「やっぱりね。噂は嘘だったね」
「噂?」
「別れたっていう噂、あるんだよ?」
もう?もうそんな噂が流れちゃってるの?
「あ~~あ。藤堂君にアタックできると思ったのになあ」
「え?」
「あ、冗談、冗談。あはは」
見学に行った子だ。本当に冗談かな。今の本音だったんじゃないのかな。
う。やっぱり、藤堂君はああ言ってくれたけど、私、不安になっているかも。
「繋ぎとめておかなきゃ」
香苗さんの言葉が、頭の中で木霊する。
繋ぎとめるって、どうやって?
ううん。もう、心配するのはやめよう。もっと、藤堂君を信頼しなくっちゃ!
気を取り直して絵を描いて、そうしてあっという間に時間は過ぎ、5時を過ぎると部員の子たちは帰って行った。
藤堂君はなかなか、美術室に現れなかった。私は片づけも終え、ぼ~~っと美術室で待っていた。
30分以上過ぎて、ようやく藤堂君が現れた。
「ごめん、遅くなった」
藤堂君、息切らしてる。もしかして急いで来てくれたのかな。そういえば、まだ一人も弓道部の人が廊下を通って行ってないから、誰よりも早くにすっとんできてくれたのかもしれない。
「部活、のびちゃったの?」
「うん。昨日もだけど、期末も終わって、夏休みもすぐだし、練習時間が前よりも伸びちゃったんだよね」
「…走って来てくれた?もしかして」
「ああ、うん。待たせちゃってたから…。ごめんね?遅くなるって言っておけばよかった」
「ううん。大丈夫。急いで来てくれてありがとう」
私がそう言うと、藤堂君はにこりと微笑んで、
「じゃ、帰ろうか」
と優しく言ってくれた。
やっぱり、他の誰かがいると、藤堂君は無表情になるけど、2人きりだと優しく笑ってくれる。嬉しいな。
「今日は、俺がいるから大丈夫だからね」
片瀬江ノ島に着いて歩き出すと、藤堂君はそう言って、手を繋いできた。
わ。知りあいもいるかもしれないのに。でも、手を繋いでくれて嬉しいかも。
藤堂君の手、あったかくって大きくって、安心できる。
「…穂乃香」
ドキン。穂乃香って呼んでくれちゃうの?外でも…。
「もし、昨日の男がいたら、俺にそっと教えて」
「…うん」
そうだった。浮かれてる場合じゃなかった。あの男が今日も、近くにいるかもしれないんだった。
だけど、小道に入ってからは、誰にも会うこともなく、私たちは家に到着した。
「ただいま」
ドアを開けると、お母さんがすっ飛んできて、
「あの男、いなかった?」
と聞いてきた。
「うん。誰もいなかったね、今日は」
「そう。時間帯が違うからかしらね」
お母さんはそう言うと、またキッチンに向かって行ってしまった。
「穂乃香、先にお風呂入っていいよ」
「うん」
私は着替えを取りに行き、そしてお風呂に入った。
お風呂に入りながら、私は「は~~~」とため息を漏らした。安心と嬉しいため息だ。
藤堂君が元に戻ってくれて良かった。藤堂君の隣、すごくほっと安心できた。優しいオーラを感じられた。
「のぼせそう…」
今日もかなり蒸し暑くって、お風呂場も暑かった。バスタブに入っていると、さらに暑さが増す。
ちょっとだけ、窓を開けた。すると、窓の外に誰かの影が見えた。
え?
男!それも、ずんぐりむっくりの茶色の服着た…。
「いや~~~~!!!」
思い切り大声で叫び、私は慌ててバスタブを出た。それからお風呂場からも飛び出し、洗面所でも、大声を出した。
「穂乃香?!」
藤堂君の声がした。
「つ、司君!」
「開けるよ!」
藤堂君は洗面所のドアを開けた。あ、やばい。私、また全裸。
慌てて、タオルで前を隠したけど、でも、それよりも、恐怖でいっぱいで、思わず藤堂君にそのまま、飛びついてしまった。
「穂…穂乃香?ど…どうした?」
藤堂君もかなり、慌てているようだ。
「窓の外にいたの…」
「誰が?」
「昨日の男…」
「風呂、覗いていたのか?」
「…開けた時、こっち見てた。見られたかも」
「…」
藤堂君が無言で、怒りのオーラを発したのがわかった。
「穂乃香ちゃん、どうしたの?」
お母さんも洗面所にやってきた。
「母さん、穂乃香についててやって。俺、ちょっと外見てくる」
「つ、司君、危ない奴かもしれないから、気をつけて」
「わかってる」
藤堂君はそう言うと、走って家を出て行った。
「どうしたの?穂乃香ちゃん」
「昨日の男が、お風呂場の外にいたんです」
「え?」
「窓を開けたら、こっちを見てて…」
「覗き見しにきたの?」
「…そ、そうかも」
私の体が一気に震えだした。
「穂乃香ちゃん、体拭いて服を着て。何か落ち着く飲み物用意しておくから」
そう言ってお母さんは、洗面所を出て行った。
体がまだ、震えている。藤堂君、あの男をきっと追いかけて行ったんだ。ああ、心配だ。
早く帰ってきて。心配なのと、藤堂君がいてくれないと、ものすごく不安で、体が震えて止まらない。
着替えを済ませ、洗面所から出たところで、藤堂君が戻ってきた。
バタン。ガチャガチャ。
ドアを勢いよく閉め、鍵を2重にかけたようだ。
「穂乃香。大丈夫?」
「うん。司君も無事だった?」
「ああ、その辺探したんだけど、見つけられなかった」
藤堂君は息を切らしながら、そう言った。
「あいつ、うちの敷地内まで入ってきたんだな」
「…」
また、体が震えた。
「つ、司君」
思わず藤堂君に近寄って、藤堂君の腕を掴んだ。
「震えてる?穂乃香」
「う、うん」
「怖かった?」
「うん」
「そうだよね…」
藤堂君は私を抱きしめてくれた。
「安心するまで、こうやっているよ」
洗面所の前で、藤堂君は私を抱きしめてくれていた。それをダイニングのドアを開けてお母さんが見たけど、何も言わず、そっとまたダイニングに戻って行った。
藤堂君に抱きしめられ、どんどん心が落ち着いて行く。震えも止まった。
「司君」
「ん?」
「もうちょっと、こうしていてもらっていい?」
「もちろん、いいよ」
ああ、やっぱり。藤堂君にこうやって、抱きしめてもらうと、ものすごく安心するよ。
あ、そういえば、さっき、また私、藤堂君に裸見られちゃったんだ。
でも、もうそんなのもどうでもよくなるくらい、今、安心している私がいる。




