第97話 弱い藤堂君
私はやっぱり、どこかで藤堂君のことを信じていないのかな。いったい藤堂君はどうするかな、なんて思ったりしているし。
守ってくれるだろうとか、大事にしてくれるだろうとか、そういうことを100パーセント思えないでいるんだよね。
最近、藤堂君がよそよそしかったからかな。その理由もちゃんと話してくれたのに、まだ、信用していないんだろうか。
藤堂君がどれだけ私を思っていてくれるのかとか…。
私はしばらく一人になりたくなくて、そのままリビングでテレビを観ながら、メープルに抱きついていた。
今日も英語のクラスがあって、4時半にチャイムが鳴り、リビングにやってきたので私は2階に上がった。
英語のクラスを受けに来たのは、可愛い女の子たちだ。まだ、幼稚園か、低学年だろう。どうやら姉妹で受けているらしい。2人とも可愛らしく、髪をポニーテールにして大きなリボンで結んでいた。
お母さんが2人を玄関で預け、帰って行った。
こんな可愛い子二人だけで出歩いたら、またさっきみたいな変な奴に狙われちゃうかもしれないし、子供だけで歩かせちゃだめだよね。
って、他人事じゃないよね。私もしばらく、ここら辺を歩くのが怖いかも。
5時半を過ぎると、お母さんが2階にやってきて、
「穂乃香ちゃん、お風呂入っちゃわない?」
と聞いてきた。
「はい、入ります」
女の子たちは、ちょっと前に帰ったようだ。
「可愛い子たちでしたね」
「可愛いでしょ?うちは男二人だから、羨ましいわ。でも、気を付けないとね。あの子たちのお母さんにも一応言っておいたわ。この辺、危ないから絶対に子供だけで歩かせないほうがいいわよって」
「そうですよね」
そんな会話をしてから、私はお風呂に入った。
「は~~~」
今日は蒸し暑いけど、それでもお風呂は気持ちが良かった。家に帰ってきてからまだ、どこかで怖さを感じていたけど、やっと安心できたような気がする。
明日は、藤堂君と一緒に帰って来よう。ちゃんと部活も出て。きっと今まではずうっと、藤堂君と一緒だったから、こんな怖い思いもしないですんだんだろうなあ。
お風呂から出て、部屋で髪を乾かしていると、藤堂君が帰ってきた。私はドライヤーを持って一階に行き、藤堂君におかえりと声をかけた。
「穂乃香。変な男に襲われたってほんと?」
「え?」
襲われた?
藤堂君が真っ青な顔をして聞いてきた。
「司、違うって。追いかけられたんだって。うちの真ん前まで来てたのよ。穂乃香ちゃん、真っ青になって帰ってきて、玄関で泣いちゃって」
「…どんな男?」
「ずんぐりした体形の、おっさんよ。ううん。意外と若いかもしれないわ。この辺じゃ見かけない男だったわね」
「母さんも見たの?」
「門のところに行ったら、そそくさと逃げて行ったのが見えたのよ」
「……」
藤堂君の顔が、思い切り怖い表情になった。
「司、あんた絶対に穂乃香ちゃんと一緒に帰って来なさい」
「…わかった」
藤堂君は一言そう言うと、2階に上がって行った。
それだけ?
なんだか、ちょっと…。
「穂乃香ちゃん、司も一緒に帰ってくれるから、もう心配しないでね?でも、ほんと、一人ではこの辺、ぶらつかないほうがいいわ」
「はい」
私はドライヤーを洗面所に置いて、また2階に上がった。
ガチャ。私の足音を聞いたのか、偶然か、藤堂君が部屋から出てきた。
「…」
私の顔を見て、藤堂君はしばらく黙っている。
「お、お風呂、どうぞ」
私は一言そう言って、自分の部屋に入ろうとしたが、藤堂君に腕を掴まれた。
「?」
「穂乃香…。怖かった?」
「え?」
「怖かったよね」
「う、うん」
「ごめん」
「司君が謝ることないよ」
「でも…」
藤堂君?
うわ!ドキン。
藤堂君に、いきなり抱き寄せられた。
「絶対、これからは一緒に帰るよ」
「うん」
「俺が守るから」
「う、うん」
バクバク!心臓がいきなり高鳴った。でも、藤堂君の胸があったかくって、ものすごく安心しているし、喜んでいる私がいる。
「穂乃香、怖くて泣いた?」
コクン。黙って藤堂君の胸に顔をうずめてうなづいた。
「…」
ギュウ。藤堂君はもっと抱きしめる手に力を入れた。
「司…君?」
「…」
藤堂君は黙っていた。黙ってしばらく、私を抱きしめている。
ああ、胸が高鳴るのに、私は心がどんどん満たされていって、すごく幸せを感じている。
藤堂君の腕の中は、なんてあったかくって、安心できるんだろう。
「ごめん」
藤堂君は私から離れて謝った。
「怖い思いしたのに、ごめん」
「え?」
なんで謝るのかな。
「俺に抱きしめられるのも、その…、怖いよね?」
「ううん」
私は首を横に振った。
「怖くない。今、すごく安心した」
「え?」
藤堂君は目を丸くした。
「司君の胸はあったかいし、すごく安心する…よ?」
言ってて自分で恥ずかしくなった。ああ、なんてことを言っちゃってるんだ。ほら、藤堂君だってきっと、赤くなって…。って、赤くないなあ。
「ほんと?」
目を丸くして驚いてるなあ。
「うん」
コクンとうなづいた。すると藤堂君はまた、抱きしめてきた。
「俺だったら、安心する?」
「うん」
ドキン。
胸はいまだに高鳴るけど。
「怖くない?」
「うん」
「ほんとに?」
「うん。全然、怖くない」
「…」
ギュウ。
また、藤堂君の抱きしめる腕に力が入った。
「じゃあ、もしかして、俺がこうやって抱きしめている方が、安心できる?」
「うん」
力強くうなづくと、藤堂君は小声で、なんだ…とつぶやいた。
「?」
なんだ…?って?
「俺、怖がらせるかと思って、抱きしめるのとかもやめていたんだけど…」
「そうだったの?」
「安心できるなら、俺、いくらでも。いつだって、俺の胸、貸すよ」
キュ~~~ン!
藤堂君、優しい。今、ものすごい藤堂君の優しいオーラに包まれている!
「司君」
「え?」
ああ、私、とんでもないことを口に出しそうだ。でも、言いたい。
「司君」
「うん」
「だ、だ」
「だ?」
「大好き…」
ああ、言っちゃった。言って顔から火、出たかも。熱い!
だけど、藤堂君は返事をしてくれなかった。
あれ?なんで?照れてる?それとも、なんで?
そんなことを思いながら藤堂君の腕の中でじっとしていたら、藤堂君はもっと抱きしめる腕に力を入れた。
「…穂乃香」
「え?」
「ありがと…」
あれ?お礼を言われた。
本音を言うと、「俺もだよ」とか、そんな言葉を期待していたんだけどな。
「司~~。さっさとお風呂入っちゃって!守が帰ってくる前に」
一階からお母さんの叫び声が聞こえた。
「……タイミング悪すぎ…」
藤堂君はそうつぶやくと私から腕を離し、
「わかった!今入る」
と下に向かって、大声で答えた。
そして私に向かって、はにかむように笑い、
「風呂入ってくるね」
とぼそっと言ってから、鼻の横を掻き、
「夕飯終ったら、部屋に来る?」
と聞いてきた。
「え?うん」
か~~~。顔が一気に熱くなった。
「じゃ」
藤堂君はそう一言言って、また自分の部屋に入った。着替えを取りに戻ったのかな。
私も自分の部屋に入った。
ドキドキドキドキ。なんだよ~~。抱きしめられていた時より今のほうが、心臓がドキドキしちゃってるよ。
でも、でもでも、嬉しかった!ものすごく嬉しかった!
藤堂君は本当に、本当に、私を大事に思ってくれてるんだ。
ああ、それを何度も言ってくれているのに、なんで信じられないでいるんだろう。
あ~~~~。大好きって思わず口にしちゃったけど、本当に本当に本当に大好きだよ!
私はしばらく、藤堂君に抱きしめられた感触を味わい、部屋で幸せをかみしめていた。
夕飯の時にも、私が変な男につけられたという話が持ち上がった。
「穂乃香ちゃん、しばらく一人でこの辺を出歩かないほうがいいね」
藤堂君のお父さんが心配そうにそう言った。
「兄ちゃんがいない時は、俺が一緒にいてやるよ」
「守が~?お前、頼りになるのか?」
「な、なるよ。そんなやつ、俺がやっつけてやるし」
お父さんの言葉に、守君は顔を赤くさせ言い返した。
守君、可愛いなあ。藤堂君が守君のことを可愛いって言ってたの、うなづけるよ。
「司、ちゃんと行も帰りも、穂乃香ちゃんのことガードするのよ」
「うん」
藤堂君はただ、うなづいただけだった。
「隣の大学生の女の子も、つけられたことがあったっけなあ。最近、この辺は物騒だな」
「本当よね。女の子の一人歩きは、本当に気を付けないと」
そんな会話をお父さんとお母さんが続けていると、藤堂君は夕飯を食べ終わり、静かに、
「ごちそうさま」
と言って、食器をキッチンに運びだした。
「司!」
「え?」
「あんた、さっきからあまり、興味のないような顔してるけど、本当に大丈夫なの?」
藤堂君のお母さんが、藤堂君に怖い顔をして聞いた。
「…穂乃香のこと?」
「そうよ」
あれ?穂乃香って、お母さんの前でも言うようになったのか。
「ちゃんと、一緒に帰ってくるようにするよ」
「そうよ。ちゃんと守ってあげるのよ。噂とか、学校の先生の言うこととか、気にしてる場合じゃないんだから」
「…江の島のこの辺じゃ、学校の先生もさすがに見てないだろ」
藤堂君は静かにそう言い返した。
「そうよ。だから、べったりとくっついて、しっかりと守ってあげてね」
「……」
藤堂君は眉をしかめて、
「わかってるよ」
と静かに返事をした。
藤堂君は、先に2階に上がった。私は食器の洗い物を手伝ってから、自分の部屋に戻った。
すると、コンコンと壁を藤堂君がノックしてきた。
「穂乃香…。部屋に来る?」
「うん」
嬉しい。すごく久しぶりかも。それに、穂乃香って呼んでくれるんだ。
家でも結城さんだったから、すごく悲しかったよ。
私はドキドキ半分と、ウキウキ半分で、藤堂君の部屋をノックした。
「どうぞ」
藤堂君の声が中から聞こえ、私はそっとドアを開けた。
ああ、藤堂君の部屋、藤堂君の匂いがする。
「お、お邪魔します」
そう言って、ドキドキしながら中に入った。
「どうぞ」
藤堂君はなぜか、無表情でそう言うと、クッションを床に置いた。
無表情だ。わざとかな。本心はどうなんだろう。嬉しい?照れてる?それとも、何?
藤堂君の表情を気にしながら、私はクッションの上に座った。
「テスト、終わったね」
「うん」
「夏休みに長野に行く計画、ちゃんと立てないとね」
「う、うん」
「…電車とか。時刻表で調べないとね。切符ってどうしたらいいのかな。先に買っておいた方がいいかな。どうしようか、穂乃香」
「……」
「穂乃香?」
「ごめん。なんだか、ちょっと」
「え?」
「う、嬉しくって、今、胸がいっぱいになっちゃって」
「……」
藤堂君は私を見ていたが、ぱっと視線を外し、咳ばらいをした。
「司君、最近家でも、結城さんって呼んでいたから。穂乃香って呼ばれて、舞い上がっちゃった」
そう続けると、藤堂君は耳を赤くして、
「ごめん。2人でいる時まで、結城さんって呼ばなくってもよかったよね」
とつぶやいた。
「なんで、結城さんになっていたの?」
「なんでって…。えっと」
藤堂君は頭を掻いて、困っている。
「俺、ちょっと混乱したっていうか、どうしたらいいか、迷ってたっていうか」
「何を?」
「母さんが呼び出されたのは、特に問題ないなって思ってたんだ。あの通りの性格だし、母さん、俺らに注意するより、先生に腹を立てるってそう予想もついていたし」
「うん」
「ただ、穂乃香のご両親に連絡が行くっていうことまでは、俺、考えてもみなかったんだよね」
「…」
そうか。それを気にしていたのか。
「小心者だよね。俺…」
「ううん。そんなことない。だって、もし連絡がいったら、本当にうちの父親、私をすぐに転校させちゃうかもしれないし…」
「…だよね」
藤堂君は気弱な声になった。それに、顔が思い切り沈んでいるのがわかる。
「昨日も言ったけど、穂乃香が長野に行くかもしれないって思ったら、ちょっと怖くなって」
「え?」
「いや、怖いっていうより、悲しいっていうか…」
「うん」
「一緒にいるのが、当たり前くらいに感じていたんだ。それに、穂乃香と学校でもどこでも仲良くしていたら、他の奴に穂乃香を取られないようになるし、ちょっと好都合かもって思っちゃって…」
「……え?」
「ごめん!また、俺のエゴだよ。他の奴に取られたくないからって、そんなことしてた」
藤堂君は申し訳ないっていう顔をして、頭を下げ、そのまま下を向いてしまった。
うん。なんとな~~く、私もわかっていた。でも、嬉しかったんだけどなあ。学校で「穂乃香」って呼ぶ藤堂君も、隣の席でいっぱい話しかけてくれて、微笑む藤堂君も。
「いい気になっていたんだ。どこでも、こうなったら、仲いいところを見せてやれ…みたいに。そうしたら、母さんが呼び出されるようなことになって…。ああ、俺、いい気になっていたなって、思い知って、かなりめげて…」
え?めげちゃってたの?
そうか、守君言ってたもんね。兄ちゃん、ナイーブなんだって。
藤堂君はまだ、うなだれている。
「あ、あの…」
「…うん」
下を向いたまま、藤堂君が返事をした。
「私も、いい気になっていたから、おんなじ」
「え?」
藤堂君が顔をあげた。
「私も、みんなに仲のいいカップルだよねって言われたり、司君の笑顔、私にだけ向けられていて、そういうのかなり、嬉しかったんだ」
「……」
「だから、司君だけじゃないの。いい気になっていたのは、私もなの」
「うん」
藤堂君はうなづいて、また下を向いた。
「だから、えっと…。だからね、司君だけそんなに、めげちゃうことないよ」
「…」
藤堂君は目線だけ私に向けた。うわ。上目づかいで見るその目、かなり可愛いんですけど。
「そっか。こういうこと、ちゃんと言えばよかったんだよな」
藤堂君はそう言ってから、静かに顔をあげた。
「うん」
私がうなづくと、藤堂君は私を見て、ちょっとはにかんだように笑った。
「俺、弱い自分を見せると、どうも穂乃香に嫌われちゃうんじゃないかって、そんなことを思っちゃってさ」
「え?」
「カッコつけてるんだ。それで知らない間に、穂乃香の前でもポーカーフェイスになってた。ごめん。穂乃香、いろいろと気にしてた?」
「ううん。気にしてたっていうより」
「うん」
「なんだか、寂しかった…な」
「…」
うわ!藤堂君がまた抱きしめてきた~~~。きゃあ。
バクバクバク。いきなりで、心臓が!
心臓が…。高鳴って高鳴って。でも、嬉しいかも。
だって、ずっとこうやって、藤堂君のぬくもり、感じられなかったし、だいいち、2人きりで話す時間すら持てなかったんだもん。
「ごめんね。寂しい思いをさせて」
「うん」
キュン!
その言葉は、胸をキュンってさせる。藤堂君の「ごめんね」は、なんでこうも、私の胸を締め付けるんだろう。
「キス…してもいいかな」
ドキン。
心臓が口から飛び出しそうになった。でも、私はコクンとうなづいた。
藤堂君は、ゆっくりと顔を傾け、私にキスをしてきた。
そして、唇を離すと、そっと耳元でささやいた。
「俺も…。穂乃香のこと大好きだから」
ドキ~~ン!
きゃあ~~~。う、嬉しすぎる~~~~。
心臓がバクバクバクバクしている。でも、嬉しいときめきだ!
ギュウ…。
藤堂君がまた、私を抱きしめた。私も、藤堂君の背中に腕を回してみた。
ドキン。ドキン。
ああ、藤堂君を抱きしめるのって、ドキドキするけど、嬉しいんだ。抱きしめられるのも、抱きしめるのも、嬉しいんだ。
喜びとときめきで、私の胸はいっぱいで、しばらく私たちは時間も忘れて、抱きしめあっていた。




