第96話 変な男
期末試験突入。噂話も、一気に静まった。みんな、テストでそれどころじゃなくなったようだ。高校2年といったら、まだまだ進路なんて先の話のように見えて、けっこう真剣に勉強してテストに打ち込んでいる生徒もいる。他人のことに首を突っ込む暇もないようだ。
私も藤堂君に、頑張ろうと言われて、かなり自分としては一生懸命に試験勉強に取り組んだつもりだ。結果はどう出るか、わからないけれど。
そして期末試験が終わった日、麻衣と美枝ぽんと、お昼ご飯をどこかで食べようと約束をした。
「藤堂君は部活?」
帰りのホームルームが終わり、藤堂君に聞いた。試験中は出席番号順に並ぶので、席も離れてしまい、会話の少なくなった私たちはさらに、会話をすることがなくなっていた。だから、学校では久しぶりの会話かもしれない。
「うん。今日から部活だけど、結城さんは?」
「麻衣と美枝ぽんと、ご飯食べて帰るよ」
「美術部ないの?」
「あるけど、さぼる」
「そうなんだ」
「………」
一緒に帰れなくて寂しい。と喉まで出かかっている。でも、同じ家に帰るんだし、家でも会えるんだし。
とはいえ、家でも夕飯時は藤堂君、話さないし、夕飯が終われば、各自の部屋で勉強していたし、あんまり2人で話すこともなかったんだけど…。
今日は?少しは2人の時間を取れるの?って、聞きたいけど、聞けない。
「結城さん?」
藤堂君が心配そうに私を見た。
「試験、どうだった?」
「え?あ、わかんないけど、でも、ちょっと自信あるかも」
「ああ、そうなんだ。良かった」
藤堂君はほっとした顔をした。あれ?私が試験のことで暗くなっていると思ったのかな。
「あ、美枝ぽんと麻衣が廊下で待ってるから、私、もう帰るね」
「うん。またあとで」
「…うん」
藤堂君は、周りの人に聞こえないくらいの声で、そう言った。私も小声でうなづいて、教室を出た。
「お待たせ」
麻衣と美枝ぽんと、学校を出て、駅の近くのカフェに入った。
「は~~~、やっと終わったね」
「あとは、夏休みが来るだけだ~~~」
3人で伸びをした。それから、出てきたパスタを食べだした。
「夏も麻衣はバイトでしょ?」
私が聞くと、麻衣は目をキラキラさせて、うんと嬉しそうにうなづいた。
「あれ?なんだか、やけに嬉しそう」
美枝ぽんがそう言うと、麻衣は、
「へっへっへ。実は最近、かっこいい大学生が入ってきたんだよ」
とにやけながら、答えた。
「え?大学生?」
「そうなの。かっこいいんだよ」
「へ~~~」
「彼女もいないって言っていたし、ちょっと、私狙ってるんだ」
「ちょっとじゃなくって、思い切り狙ってるんでしょ?」
「あちゃ、わかった?」
美枝ぽんと麻衣は、笑いながらそんな会話をしていた。
「で、穂乃ぴょんはずっと、部活?」
「ううん。8月は長野のペンションに行くの」
「あ、そうか。ご両親のところか~~」
「うん」
「久しぶりに会うんだもんね。思い切り甘えてきたら?」
麻衣がそう言った。
「でも、忙しそうだから、手伝いに行くようなものなんだ」
「バイト?」
「ううん。多分、無料奉仕」
「え~~~。大変じゃない」
「でも、藤堂君も一緒だし」
「え?!」
あ、そうか。この話をするの、初めてか。
「じゃ、2人で旅行~~?」
「違うよ。向こうではうちの両親がいるんだし、別に2人ってわけじゃ…」
「あ、そうか。それじゃ、藤堂君もうかつに手を出せないよね」
「美枝ぽん。うかつも何も、藤堂君、手なんて出さないから」
ああ、思わず顔が反応して熱くなっていく。
「…でも、テスト前だから、手を出さないようにしてたんでしょ?って本人もそう言ってたんでしょ?」
「手…じゃなくって、キス…」
私は声を潜めて、もっと顔を赤くしてそう言った。
「一緒だよ。キスだけでとどまるわけないじゃん」
美枝ぽ~~ん。平然とそういうこと、言わないで~~。
「そうかなあ。話を聞いてると、司っちは、本当に穂乃香のことを大事にしてるって気がしてならないけどなあ」
「え?」
「そんな簡単に手なんて出さないよ。そんな気がする」
麻衣の言葉に、美枝ぽんが黙り込んだ。
「私って、なんだか嫌な奴だよね」
「美枝ぽん?」
ど、どうしたんだ、いきなり。顔、沈んでいるし。
「どこかで、藤堂君が穂乃ぴょんを大事にしているのをひがんでいるの」
「え?」
「羨ましくってしょうがないんだ。本当は」
「え?どうして?」
私がびっくりしてそう聞くと、
「私だって、そんな大事にしてくれる彼氏がいて、羨ましいよ」
と麻衣が言った。
「いつか、私にもそんな彼氏、できるかなあ」
美枝ぽん。もしかして、沼田君と別れちゃったこと、尾を引いていたのかなあ。
「できるって。今から、見つけようよ」
麻衣がそう言った。美枝ぽんは、そうだねってうなづいた。でも、ほんのちょっと顔が沈んでいた。
駅で麻衣は藤沢方面に、私と美枝ぽんは江の島方面の電車に乗った。美枝ぽんはなんとなく、まだ暗かった。
「私、本当にひねくれた性格してるんだって、最近思う」
突然美枝ぽんが話し出した。
「え?ひねくれてる?」
「穂乃ぴょんって、すごく素直なんだもん。そりゃ、藤堂君がずっと好きでいるの、私もわかるよ」
「え?」
「沼田君が穂乃ぴょんにひかれるのも…。あ、今のごめん。聞かなかったことにして」
「え?う、うん」
そう言われても、もう前に2人の会話は聞いちゃったし。
「って、そんなこと言われたって、気になるよね」
「…」
私は何も答えられなかった。
「沼田君と別れた原因は、実は沼田君の心変わりのせいなんだ」
ズキッ。
なんで、私がそれで今、胸を痛めたんだ。でも、自分が責められたような気がした。
「穂乃ぴょんのことを応援しているうちに、惹かれちゃったみたい。穂乃ぴょんの健気さとか、素直さとか、可愛いところとか」
「私素直じゃないし、可愛くないよ」
思い切り私は首を横に振った。
「美枝ぽんのほうがよっぽど、明るくって前向きで可愛いって、私はずっと思っていたよ」
必死でそう言った。
「いいよ、慰めてくれなくても」
「違うよ。本気でそう思ってたってば」
「…そうだね。私も、本音言うと穂乃ぴょんって暗いし、いつもいじいじしてるし、もっとはっきりしたり、もっと明るく考えたらいいのにって思ってたよ」
グサ~~~。やっぱり、そう思ってたんだ。
「だけど、そうじゃないんだよね。全部、素直にありのままの穂乃ぴょんでいたんだよね」
「え?」
「私だって心の中じゃ、不安だったり、悩んだり、落ち込んだりしてたもん。でも、そういうのを見せないようにしていただけで、結局、今だって幸せそうな穂乃ぴょんのことを、羨ましいくせに本音も言えず、明るいふりしていたし」
「……」
「沼田君はどこか、私と似てたんだ。暗くてもわざと明るく見せて、いつも心の内をみんなに知られないようにする。だけど、本音じゃない。仮面をかぶっていただけ。沼田君だって最初は、穂乃ぴょんが暗くて、もっと明るく考えたらいいのにって思ってたと思うんだ」
「そうだよね。前に食堂で沼田君、私にそう言ってたもんね」
「でもさ、あの時、聖先輩言ってたでしょ?そのまんまでいいんじゃないのって。変える必要なんてないよって」
「うん」
「私、目から鱗だったんだけど、でも、やっぱり沼田君が暗くなってたりすると、もっと明るくしてとか、沼田君らしくないなんて言ったりして、そのまんまの沼田君を受け入れられなかったんだよね」
「……」
「それに自分の弱いところや、暗いところも見せられなかったし」
「…それは私だって。見せるの怖いよ。嫌われるのも怖いし」
「ほら、そういうことを自然と穂乃ぴょんは、口に出して言えるじゃない」
「え?」
「そんなことを言うのも私には、なかなかできないんだよね」
「…そうなんだ」
「穂乃ぴょん、藤堂君に大事にしてもらって、そのうえ沼田君にまで好かれてずるいって思ってたんだ」
え?ずるい?
「だから、私が言う言葉って、どっかで穂乃ぴょんを傷つけてなかった?」
「う、ううん」
「そう?麻衣と違って、私は穂乃ぴょんが藤堂君とのことで悩んでいても、100パーセント心配したり、穂乃ぴょんを元気づけようなんて思えなかったよ。酷いよね。ちょっと穂乃ぴょんも苦しめばいいのに、なんて、そんな思いもあったんだから」
「…そうだったの?」
う。さすがにそれは、悲しいな。聞いていて。
「麻衣はすごいなって思ってた。いつだって、本気で穂乃ぴょんのことを心配したり、喜んだり、力づけたり」
「…そうだね。うん」
「これだから私、女子にも嫌われるんだよね」
「え?嫌われてなんていないよ?」
「ううん。今まで、たとえばアニメが好きで、そんな話で盛り上がる子はいたけど、いろんな悩みを打ち明けたり、相談できる友達何ていなかったし。そういう感じになっても、私、いっつも上から目線でものを言ったり、傷つけたりして、その子と駄目になって、離れて行っちゃうんだよね」
「そ、そうなの?全然そんなふうに見えないけど」
「……穂乃ぴょんと麻衣は、どっか他の子と違うもんね」
「え?」
「こんな私のこと、受け入れてくれてるんだもん」
「……」
なんだか、びっくりだ。美枝ぽんがそんなことを思っているなんて。私の方こそ、こんな暗い性格の私を、よく友達としてみてくれてるよなって、思っていたほどで…。
「こんなでも、いいのかな」
「え?こんなって?」
「これからも、穂乃ぴょんは仲良くしてくれる?」
「うん、もちろん」
「……よかった」
え?気にしてたの?
「一緒に話していると、麻衣は本当に穂乃ぴょんのことを励ます言葉を言ってるから、私って駄目だなあって、落ち込んでたんだ」
「知らなかった。そうだったんだ」
「……もっと、変われたらいいなって思うんだけど」
「でも、そんな美枝ぽんでも、いいってことじゃないの?」
「え?」
「麻衣の良さと、美枝ぽんの良さは違うもん。私は美枝ぽんにも救われたり、美枝ぽんってすごいなって思ったりもしていたよ?」
「…救われてた?」
「うん」
「ほんと?」
「うん」
「…そうか。よかった」
美枝ぽんはそう言うと、はにかむように笑った。
片瀬江の島に着いた。
「私、たまに駅で二人のことを見かけていたの」
「そうなの?なんで声かけてくれなかったの?」
「だって、邪魔しちゃ悪いかなって思って」
「そんな、邪魔だなんて」
「本音は邪魔でしょ?」
う…。そ、そんなことはないと思うけど。
「ああ、穂乃ぴょんはそう思わなくっても、藤堂君はそう思うよ」
「そうかな。最近はそんなことないと思うけど」
あ。私ったら、藤堂君のことでまだ、すねてるところがあるんだな。
「また見かけても、声はかけないよ。2人で仲良く登校して」
「え?」
「どんどん、仲良くしてもいいと思うよ。寂しかったら素直に、藤堂君に言ってもいいと思うし」
「…うん。ありがと」
「大丈夫。穂乃ぴょんは素直だもん。それに藤堂君は穂乃ぴょんに、本気でまいっているから、嫌われたりしないって」
「え?」
か~~~~~~~~~。顔が一気にほてっていくぞ。
「じゃあね。穂乃ぴょん。また明日ね」
「うん。バイバイ」
途中の道で別れた。美枝ぽんはそこから、10分くらい歩くらしい。駅からはかなり、遠いところに住んでいるようだ。
私は小道に入り、藤堂君の家までとぼとぼと歩いた。今にも降って来そうな曇り空。なんとなく暗い道は、一人で歩くのも怖いなって感じてしまう。
夜だったら、もっと怖いかもなあ。
あれ?なんだか、後ろから足音がずっとしていない?
同じ方向に帰る人がいるのかな。
なんとなく、その人の歩く速度が速まってるような気がするのも、気のせいだよね?!
気のせいだよね。気のせいだよね。気のせいだよね~~~!
ドキドキ。私も早足になった。するとそれに合わせるかのように、後ろの人も早足になっているようだ。
ちょ、ちょっと~~。なんで?
怖いけど、勇気を持って後ろを振り向いてみた。たとえば、おばさんだったりとか。子どもだったりとか。そうだったとしたら、怖がっているのもバカらしいし。ほら、守君だった、なんてこともあるし。
うわあ。うわ~~~。男の人だ。若いんだか、若くないんだかもわからないような、ずんぐりむっくりの体型の、上から下まで茶色の服を着た、なんだか気持ちの悪い人。
げ~~~~。振り返らなかったら良かった。私が立ち止まって振り向いたら、その人も立ち止まったよ。
こ、これは、やばいかも。どどど、どうしよう。
私は早足から、駆け足に変わった。そうしたら、後ろの人の足音も、駆け足の音に変わった。
ドッドッドッ…。心臓が早くなる。
怖いっ。
あとちょっとで、追いつかれるっていうところで、藤堂家に着いた。でも、誰もいなかったらどうしよう。
門をくぐり、一目散で玄関に行き、チャイムを鳴らした。
早く、誰か出てきて。藤堂君のお母さん~~~!早く~~!
ドキドキしながら、ちょっとだけ後ろを向いた。うそ!門の影にまだいる!
どどどどど、どうしよう。
「は~~い。おかえりなさい、穂乃香ちゃん」
藤堂君のお母さんがドアを開けた。
「た、た、ただい…」
ただいまと言いたかったけど、言えなかった。へなへなと腰がくだけ、玄関の中に入ってから私は座り込み、泣き出してしまった。
「穂乃香ちゃん?」
「へ、変な人に、追いかけられて…」
「え?」
藤堂君のお母さんは、玄関から出て門まで行った。ああ、危ないです。と言いたかったけど、声が出ない。
「…」
お母さんはしばらく門のところで立っていたが、また戻ってきて玄関のドアを閉め、鍵を2重にかけた。
「茶色の服の、ずんぐりした男?」
コクコクとうなづいた。
「うん。確かに怪しかったわ。私が顔を出したらそそくさと逃げたけど」
「…やっぱり」
「この辺りは人通りが少ないし、本当に気を付けたほうがいいわ。隣りの大学生の子も、夜、変な男にずっとつけられたって言ってたし」
「そ、それで?」
「しばらく駅までお父さんや、お兄さんが迎えに行ってたの」
「そうなんだ」
ドキドキドキ。まだ、動悸がおさまらないよ。
「司といつも一緒に帰ってきた方がいいわね」
「はい」
「それが無理なら、駅で電話して。迎えに行くから」
「でも、その時、英語のクラスだったら」
お母さんは夕方、家で近所の子供に英語を教えているんだよね。その時間帯に重ならないかな。
「…そうねえ。う~~ん。そうしたら、守がいたら守に行かせるし、いなかったら、英語のクラスが終わるまで駅のマックで待っていてもらおうかしら」
「はい」
「うん。でも、やっぱり、司と帰ってくるのが一番よ」
「そうですよね」
「大丈夫?立てる?腰抜かした?」
「はい」
藤堂君のお母さんは私のことを支えてくれて、一緒にリビングに行った。
「紅茶入れてくるわね。あったかい方が落ち着く?でも、今日暑いし、冷たい方がいいかな」
「すみません。水でいいです」
「わかった。冷たい水持って来るわ」
は~~~~~~。ソファに座り、長いため息を吐くと、メープルがやってきて顔を舐めた。
「メープル、あんたしばらく天気のいい日は外にいなさいな」
お母さんが私に水を渡してから、メープルにそう言った。
「番犬になってよ、メープル。怪しい奴から、ちゃんと穂乃香ちゃんを守ってあげて」
「ワン!」
「今もメープルが外にいたら、絶対に吠えて、あいつを威嚇してくれたのにねえ」
「…」
メープル、本当だよ。頼りにしてるから。
私はそうつぶやきながら、メープルに抱きついた。
藤堂君はどうるすかな。私を守ってくれるかな。なんて、そんなことも思いながら。




