第95話 よそよそしさ
教室でも藤堂君は、前のようにあまり話しかけてこなくなった。登下校も手を繋がないし、学校ではまた「結城さん」になってしまった。
「どうしちゃった?喧嘩?」
3日、そんな日が続くとさすがに麻衣も美枝ぽんも、心配になったらしい。
「ううん。違う」
私は首を横に振ったが、でも声が沈んでしまい、2人とももっと心配してしまった。
「喧嘩じゃないなら、まさかもう倦怠期」
「美枝ぽん、何言ってるの。そんなわけないでしょ」
麻衣が美枝ぽんを黙らせた。
「は~~~」
昼休みの中庭は、曇っていていまにも雨が降りそうで、出てきているのは私たちだけだった。
「実は、藤堂君のお母さんが風紀の先生に呼び出されたんだ」
「え?」
「キスのことで、注意を受けたらしい」
「キスごときで?」
麻衣も美枝ぽんも、驚いている。
「一緒に住んでることも、田島先生から聞いたみたい」
「そうか。あの先生うるさく注意してるって噂は聞いたけど、親まで呼び出していたんだね」
「うん」
3人でしばらく黙り込んだ。
「じゃあ、藤堂君は先生に注意されて、忠実に守ってるっていうこと?なんだか、真面目すぎるね」
美枝ぽんが、ちょっと呆れた声を出した。
「今度もし、2人に何かあったら、うちの親にも連絡するって言ってたらしいんだ」
「今回は司っちの親にだけ、注意をしたの?」
麻衣が聞いてきた。
「うん。藤堂君のお母さんが、自分からちゃんと連絡いれますって言ってくれたの」
「それで、電話とかしちゃった?」
麻衣が心配した。
「ううん。お母さん、黙っててくれてる」
「そっか。もし知ったら、穂乃香のお父さんってうるさいんでしょ?学校転校させられちゃうかもしれないよね」
「そうなんだ、穂乃ぴょんのお父さん、そんなに厳しいの」
「うん、だから藤堂君も、気を付けてるんだと思うんだけど…」
「なんだ。そういうことか。じゃ、藤堂君は穂乃ぴょんのために」
「…でもね」
私がもっと暗くなったから、2人とも私に耳を傾け黙り込んだ。
「家でもそうなの」
「え?」
「家でも、よそよそしい」
「司っち?」
「うん」
「それは、お母さんたちに知られないよう、家でも注意してるんじゃないの?」
「お母さんも、お父さんもそういうの、全然うるさくないの」
「そういうのって?」
「だから、2人が仲良くすること…」
「へ~~」
2人とも同時に、目を丸くした。
「なのに…。藤堂君、試験勉強も一人でしようって言い出したし、2人の時間なんて今、全然ないんだ」
「そ、それはさ。きっと試験前だからだよ。それだけだよ」
「うんうん」
2人が必死にそう言ってくれているのがわかった。
「そうかな」
「そうだよ」
私はちょっとだけ、笑顔を見せた。すると二人も、ホッとした顔をした。
「試験が終わったらまた、もとの2人に戻るよ。あ、学校では司っちも注意するかもしれないけど」
「うん」
私もそう思いたい。
でも、学校の帰り道も、なんとなくよそよそしい。家に帰っても、夕飯の時はもちろんのこと、2階に行っても、とっとと藤堂君は部屋に入ってしまう。
「つ、司君」
ドアを閉めようとしている藤堂君を呼びとめ、
「数学でわからないところがあるの…。それで」
と私は藤堂君に言ってみた。
「…じゃ、下で勉強する?」
「え?」
「ダイニング行こう」
ええ?
藤堂君は数学の教科書を持って、一階に下りた。私もとぼとぼと後ろをついて行った。
「どれ?」
藤堂君は席に着くとすぐに聞いてきた。
「あら、ここで勉強?」
キッチンの片づけを終えたお母さんが、私たちに聞いてきた。
「あ、いけない。私、洗い物」
「いいのよ。テスト前なんでしょ?それよりもここで勉強するより、部屋でしたらどう?」
「…いいんだよ。ちょっとの間だけだから、ここ使わせて」
「…だけど、リビングでは守がテレビを観ているし、うるさくない?」
「司。家ではそんなに、かまえなくてもいいんだぞ」
お父さんまでが、リビングにいたのに話に加わってきた。
「かまえるって?」
「お母さんから聞いたけど、先生に注意されたんだろ?でもそんなの、学校で守っていたらいいんだ。家では今までどおりにしたらいいじゃないか」
お父さんもやっぱり、お母さん同様うるさくないんだなあ。そういうことに。
「……父さんは口出ししてこないでくれないかな」
藤堂君は冷ややかにそう言うと、教科書を見て説明をし出した。
「司…」
「え?」
「穂乃香ちゃんのことも、ちゃんと考えてあげて」
お母さんが、眉をしかめてそう言うと、藤堂君も眉をしかめ、
「考えてるよ、ちゃんと」
と言い返した。
「だったらいいけど」
お母さんもお父さんも、それ以上は言わずに、寝室のほうに行ってしまった。
「この問題だけでいいの?」
藤堂君が聞いてきた。
「うん」
そして、藤堂君はその問題を説明すると、
「それじゃ、これで」
と言って、2階に上がって行ってしまった。
う。なんで?
しばらく私はダイニングの椅子に座ったまま、呆然としていた。
「ワフ」
メープルがそんな私のもとに来て、立ち上がって顔を舐めてきた。ああ、気持ちが沈んでいるのがわかったのかなあ。
「あのさあ」
守君までダイニングに来た。う。何よ。なんか、また傷つくような事でも言ってくるの?
私は思わず身構えた。
「兄ちゃんって、ああ見えて、ナイーブなんだ」
「へ?」
「傷ついたり、悩んでるのも表情に出さないけど、無表情になればなるほど、何か抱えてるってことなんだ」
び、びっくり。そんなことを守君は見抜いていたの?
「だから、今もそうかも」
「…傷ついてるの?」
「悩んでんじゃないの?だって、いろいろと学校の先生に言われたんだろ?」
「え?うん」
守君はかなり声を潜め、私に顔を近づけ話を続けた。
「うちの両親、特に母親、まったくとんちんかんだし、能天気だから、兄ちゃんが悩んでいることもわかってないよ、きっと」
「え?」
「父さんはあの通りだし」
「あの通りって?」
「悩んでも、兄ちゃんが一人で解決できると思っているし、ちょっと放任なところがあるからさ」
そうなの?
「兄ちゃん、親に悩みを打ち明けたことなんか、一回もないし」
「守君は?」
「俺は兄ちゃんに聞いてもらえるから」
そうなんだ。優しいお兄さんなんだ。
「じゃあ、藤堂君はいつも、一人で抱えて答えを出してるの?」
「…そうだよ。感情を出していると、父さんにいつも平常心でいろって、怒られてたし」
…。そっか。それでなんだよね、あのポーカーフェイス。
「なんとなくだけど…。穂乃香の前では兄ちゃん、表情豊かな感じがあったから、これで兄ちゃんも、変われるかなって思ったんだよね」
「え?」
そんなこと思ってたの?
「兄ちゃん、俺の前では笑うし怒るよ。でも、親の前ではあんまり見せない。学校ではどう?」
「部の仲のいい友達なら、見せていると思う」
「そっか…」
「守君は、お兄さんのこと、ちゃんと見てるし、好きなんだね」
「……」
守君は真っ赤になった。
「い、いいから、俺のことは。それより穂乃香、ちゃんと兄ちゃんのこと、頼んだからね」
「え?」
「俺、穂乃香で良かったって、まじで思ってるんだからさ」
「何が?」
「兄ちゃんの彼女だよ」
「…そっか。あ、ありがと」
「キャロルだったら、思い切り反対してたけど」
あ、前に藤堂君もそんなこと言ってたっけ。
「穂乃香なら、大丈夫かなって思ったからさ」
「大丈夫って?」
「ちゃんと兄ちゃんのこと、わかってあげられそうだから」
「……」
「頼んだよ」
「…うん」
守君は耳まで真っ赤にしてそう言うと、メープルを引きつれ、またリビングに戻って行った。
なんだよ~~~。守君。可愛い奴じゃないか。なんだか、愛しくなって抱きしめたくなったよ。
そうか、お兄ちゃん思いの、優しい子なんだな。本当は。生意気ばっかり言っても、優しいんだ。
それをきっと藤堂君も知ってて、可愛がってるんだ。
私は2階に上がった。藤堂君の部屋の前で、ノックをするかどうか悩んだけど、そのまま部屋に戻った。
何を悩んでいるんだろう。聞いてみたい。だけど、聞かせてと言って、藤堂君は話してくれるんだろうか。
私に何ができるのかなあ。
藤堂君が怪我をした時には、絵を描いた。それしかできなかった。
今は?
藤堂君。何を悩んでいるの?
壁の向こうにいる藤堂君のことを思って、その日は勉強も手に着かなくなってしまった。
翌日、朝からやっぱり藤堂君は、私にまで無表情だった。
「司君」
家から駅までの道で、話しかけてみた。
「え?」
「試験勉強、はかどってる?」
「うん」
「…そう」
「穂…。結城さんは?」
ああ、穂乃香って呼んでくれないんだな。なんだか、家の中でも結城さんになってるし、悲しいな。
「私は、なんだか全然」
「…また、わからないところ、あった?」
「…っていうか、あんまりやる気がしなくって」
「でも、ご両親に頑張って褒めてもらうんじゃないの?」
「え?」
「この前、張り切ってたよね?」
「…」
それは、藤堂君が一緒に勉強してくれるって言ったから。
しん…。黙ったら、藤堂君まで黙ってしまった。
「つ、司君」
「え?」
「もう、一緒に勉強したら駄目なの?」
「……」
あ、あれ?無言?
「…わかんないことがあったら、いつでも聞いてくれていいよ。だけど…」
「あ、そっか。あんまり私がいると、勉強はかどらなくなるもんね?」
「……」
う…。また、無言。
「頑張ろうよ」
「え?」
「勉強。見返してやるくらいに」
「だ、誰に?」
「誰って、誰にかな。でも…」
「うん」
「成績下がって、親に心配かけるより、安心させてあげたくない?」
ドキン。
「そ、そうだよね」
藤堂君はそんなことを考えていたの?
「ごめん、俺さ」
「え?」
「結城さんには、長野に行ってほしくない」
「……行かないよ?なんで?」
「きっとご両親は心配してるよ。特にお父さんは」
「え?」
「俺のことも、信頼してるって真剣な目で言ってた。本当はさ、こっちに残しておきたくなかったと思うんだ」
私を?ってこと?
「だけど、大丈夫って安心させたくない?それで、堂々と夏に長野に行きたくない?」
「……うん」
「そんで、こっちに残ってうちにいても、穂乃香は大丈夫って思ってくれたら、穂乃香はずっとうちにいられるよね」
「……うん」
「なんてさ、長野に行ってほしくないから、そんな勝手なことを俺、思ってるだけかもしれないけど」
「……ほんと?」
「え?」
「私が長野に行くのが嫌だから、だからなの?」
「え?」
「だから、なんとなくよそよそしかったの?」
「俺?」
「うん」
「………」
藤堂君は目を細め、ちょっと切なそうな顔をした。
「ごめん」
「え?」
「あ~~、俺、またやっちまってる?」
「何を?」
「穂乃香に、悲しい思いさせてる?」
「……」
コクン。つい、うなづいてしまった。ああ、昨日守君に言われたばかりなのにな。これじゃ、藤堂君を責めてるみたいだ。
「ごめん。言葉が足りなかったね」
「……司君。これからは、何でも言ってほしいな」
「…うん、ごめん」
「ううん。私も、気づけなかったりするの。そういう司君の思い」
「自分勝手な思いでしょ?いつも」
「ううん!長野に行ってほしくないって、そう言ってくれて嬉しいよ?」
「……」
藤堂君は私をじっと見た。そしてその場にしばらく佇み、また前を向いて歩き出した。
「部屋に2人でいると…」
「え?」
藤堂君は前を向いたまま、静かな声で話し出した。
「駄目なんだ。穂乃香に俺、キスしたくなりそうで」
いいのに。って喉まで出かかった。でも止めた。
「ずうっと、キスもしないってわけにはいかないと思うけど」
「え?」
「さすがに俺、そこまで止められそうもないけど。でも、せめて試験までは、そういうのもやめて勉強に打ち込もうかなって思ってさ」
「…うん」
「だから、穂乃香も…。あ、結城さんも」
「…やっぱり、この辺でも藤堂君って呼んだ方がいいの?」
「そうだな。う~~ん、どうかな」
藤堂君は頭をぼりって掻いて、
「悲しい思いをさせて、ごめん」
とまた、ぽつりと謝った。
藤堂君の行動は、時々わからないことがある。無表情にもなるし、言葉が足りないこともある。だけど、やっぱりいつだって、その奥にある想いはすごく、優しいんだ。
きっと、守君はそんな優しさをちゃんと、知っているんだね。
もしかして、どうしたら藤堂君のためになるのかとか、藤堂君が心を開いてくれるのかって悩んだりしたけど、私がこうやって素直に心を見せることなのかもしれないなあ。
なんて、藤堂君の横を歩きながら、そんなことを私は思っていた。




