第94話 呼び出し
翌日も、藤堂君は堂々と恋人同士のように歩いた。あ、違った。恋人なんだよね。まだその言葉に違和感はあるけど。でも、こんなにも手を繋いだり、教室でも2人で話していると、ああ、私たちって、付き合ってるんだねっていうことを、実感できる。
すっかり私たちは、仲のいいカップルで、誰も、文句を言うこともなければ、質問をしに来ることもなくなった。
本当に自他ともに認める、カップルになっているのかも、私たちって!
ほわわん。嬉しいかも。これが、「付き合ってる」っていうことなのかしら。
なんで今まで、堂々と「穂乃香」「司君」って言い合わなかったんだろう。
ああ、足がもしかすると私、浮いてるかも。地に足が着いていないかも。
顔がにやけっぱなしで、歩いていると、麻衣と美枝ぽんに注意された。
「にやけてるよ」
「まあ、嬉しいのはわかるけどさ」
「やっと、カップルらしくなって来たもんね。お二人さん」
麻衣の言葉に、私はもっと浮かれてしまった。
そして放課後、みんなで勉強をした。藤堂君は、ポーカーフェイスで麻衣と美枝ぽんに勉強を教えていたが、私に教えだすと顔つきが変わり、どうもポーカーフェイスでいられなくなるようだった。
「わかった?穂乃香」
「うん」
そんな会話をしていると、
「わあ。穂乃香には、話し方が優しいんだね」
「顔つきも違う」
と美枝ぽんと麻衣に言われてしまった。
「う、うっさいよ。さ、次。英語やるよ」
藤堂君はそう言って、さっさと英語の本を開き、
「ここの和訳は」
とぺらぺらと話し出した。
「あ、待って、待って。もう一回言って~~」
美枝ぽんが泣きついた。仕方なく藤堂君はもう一回、ゆっくりと和訳を美枝ぽんに教えてあげている。だけど、顔は無表情。
この無表情。私の前では見せないから、なんだか、新鮮かも。今までは学校でずっとこうだったんだよねえ。
「さて、他の教科は、各自でできるよね?」
藤堂君はそう言って、ノートをしまい出した。
「うん、ありがとう、藤堂先生」
麻衣がそう言った。美枝ぽんもありがとうと言って、片づけだした。
「まさか、帰ってからもテスト勉強を2人でするの?」
「するよ」
藤堂君が麻衣の質問に、無表情で答えると、
「いいなあ。家庭教師がいるようなもんじゃん」
と麻衣は私を羨ましがった。
「うん、えへ」
私が照れながらうなづくと、横で藤堂君は私を見て、くすっと笑った。あ、いつもの笑顔だ。
それから、藤堂君は顔を後ろに向けた。
「さて、美枝ぽん、私らは先に、帰るとしますか」
「そうだね。これ以上邪魔しちゃ悪いしね」
そう言って、2人はさっさと教室を出て行った。
「邪魔じゃないのにね?」
と私は藤堂君に言ったが、藤堂君はなぜか顔を赤らめ、
「穂乃香、可愛い」
とわけのわかんないことを言った。
「え?なんで?」
いったい、どこを見てそんなことを言いだしたの?
「さっき、嬉しそうにうなづいてたのが、可愛かった。俺、やばかった。可愛いって言いそうになった」
「……」
さっき?いつ?いったいいつ?
「穂乃香…」
藤堂君は顔を近づけたが、
「あっと、学校ではやばいね」
と言って、キスをしないで顔を遠ざけた。そして、
「帰ろうか」
と私の手を取って歩き出した。
「うん」
ドキン。学校じゃなかったら、キスしてた?
ドキドキ。ああ、まだ私はキスだけでも、心臓が高鳴っちゃう。いつ、大丈夫になるんだろうな。
学校を出て、手を繋いで歩いていると、後ろからカツカツカツという、ものすごいヒールの音が聞こえてきた。そしていきなり、
「司!」
と言って、藤堂君の背中を叩いてきた人がいた。
「いって~~な、誰?」
二人で同時に振り返ると、なんと藤堂君のお母さんだった。
「あれ?」
藤堂君はびっくりして、慌てて私の手を離した。
「なんでこんなところに、いるんだよ」
「呼び出されたのよ!」
「え?」
「学校に、あんたと穂乃香ちゃんのことで」
「え~~~?」
なんで、なんで?どうして?!
「ここで話すことでもないから、家で話すわ。先に帰ってるからね。ああ、腹の立つ!これだから、頭の固い先生は嫌い。もっと、この学校は話が分かる高校かと思ったのに」
そう言って、藤堂君のお母さんはぷんぷん怒りながら、またカツカツカツとヒールを鳴らし、駅に向かってどんどん歩いて行ってしまった。
「頭の固い?」
藤堂君はそう言うと、黙り込んだ。
「まさか、俺と穂乃香の交際をどうとかって、言われたのかな」
「え?」
「それとも、一緒に住んでることを注意されたか?」
え~~~~?
まさか、まさか。一緒に住んではいけませんとか?まさかでしょう?
藤堂君と、ちょっと暗くなりながら家に帰った。お母さんがあんなに怒るって、いったい、どうして呼び出されたりしたんだろう。
家に着くと、お母さんは待ってましたとばかりに私たちをリビングに呼んだ。
「何て言われたと思う?」
「さあ?でも誰に呼ばれたの?担任?」
「違うわよ。担任の田島先生は、話の分かるいい先生じゃない。こんなことでわざわざお呼び出しして、申し訳ないですって謝っていたわよ」
「じゃ、誰に?」
「風紀の、なんとかって、すんごい嫌味なばばあよ!」
ばばあって…。
「ああ、大山先生ね」
「大山だっけ?そういえば、やたら背の高い山みたいなばばあ」
「…母さん、口悪すぎ…」
「だって、司。なんて言って来たと思う?あの頭の固い大山が」
「…俺と結城さんのこと?」
「そうよ。あんたたち、教室で放課後、キスしていたんだって?」
あちゃ~~。やっぱり、そのこと。
「それ、すごい噂になってるらしいじゃない。学校でもいちゃいちゃしているし、交際するのは反対しないけど、高校生なんだからもっと節度を持って、接するように注意してくださいだって!」
「節度?」
藤堂君は一瞬、眉をひそめた。
「それにね。うちに穂乃香ちゃんが住んでいるのまで、担任に聞きだして、家では大丈夫なんですか?万が一のことがあったら大変ですから、家での監視は十分にお願いしますよって、言われたの!」
「監視?」
藤堂君は、眉をもっとしかめた。
「信じられない。たかが学校でキスしたくらいで!アメリカじゃ、どこでもみんな、キスしまくってるわよ」
「いや、ここ、アメリカじゃないし」
藤堂君はなぜか、そうお母さんに突っ込んだ。
「だけどねえ。あの学校、何年か前に妊娠した生徒を、卒業させてあげたんでしょ?籍も入れてちゃんと結婚もしたっていうの、聞いたことあるわよ」
「うん」
「それだけ、話の分かる学校だって思っていたのに」
「あの風紀の先生が、転任してきたのは去年だよ。それで、妊娠や結婚のことを知って、さらにまたそんな生徒が出ないよう、うるさく監視してるみたいだって、そんな噂は聞いたことがある」
「そうなの?」
藤堂君のお母さんはそう言ってから、はあってため息をついた。
「でも、あまり生徒には直接言わないみたいだね。きっと、親を呼び出して言ってるんだろうな」
「そのやり方もせこいし、ああ、とにかく、頭に来たわ」
「母さんがなんで、そんなに怒ってるんだよ」
「古臭すぎるからよ!」
「……」
藤堂君が、お母さんのあまりの剣幕に、黙ってしまった。
私は話に参加できなかった。何をどう言っていいかもわからない。
「は~~あ、まったくナンセンスもいいところよねえ」
「…」
藤堂君はまだ、黙っている。
「ま、しょうがないわよね。これからもまだ、こんなことがあるようなら、一緒に住んでいるのも、もう一回考えさせてもらいますなんて、あの大山が言ってたし、しばらくは学校では大人しくしててくれる?司」
「それ、一緒に住むことを、やめさせるってこと?そんなこと高校の先生ができるの?」
「穂乃香ちゃんのご両親に、連絡するんじゃない?今回は私から連絡しますって言っておいたから、学校からは連絡しないと思うけど」
「え?」
私が思い切り引きつったからか、お母さんが優しく私を見て、
「しないわよ。安心して。もし、穂乃香ちゃんのお父さんに知られたら、転校させられちゃうもの。連絡したりしないわ」
と言ってくれた。
「わかったよ。節度を持った交際ね。まあ、今までに戻るだけだから、大丈夫だよ」
藤堂君は下を向いて、静かにそう言った。
「今まで?」
お母さんが藤堂君に聞いた。
「…学校ではあまり、話したりしていなかったんだ。最近になって、よく話すようになったけど」
「なんで?」
「…うるさくひやかされるのが、嫌で…」
「そう。ごめんね、穂乃香ちゃん、せっかく付き合ってるのに、いちゃいちゃできないなんて、寂しいと思うけど、その分家では、いちゃついてかまわないから」
ええ?!
私はその言葉に、顔が一気に熱くなった。
「母さん、家でもそんなにいちゃつかないから」
「あら、遠慮はいらないわよ。家族の前でも、堂々といちゃついてもいいし、穂乃香って呼んでもかまわないのよ?司」
し、知ってるの?そう呼び合ってること。お母さん、怖いよ。どこまで知ってるの?
藤堂君も思い切り、顔を引きつらせた。
「うちは、お父さんだって反対はしないし、大丈夫。だいたい今どき、高校生で清いお付き合いをだなんて、そんなこと言ってるほうがおかしいわよね」
「いや、そんなこともないって…」
藤堂君は静かにお母さんに、そう言い返した。
「あら、だって、私だって初体験は高校2年の夏よ。隣りのクラスの子と。付き合ってまだ、2か月とか3か月の時だったわよ」
「…母さんの経験はいいよ、別に」
藤堂君が思い切り戸惑っている。そうだよね。親の初体験の話はさすがに引くよね。私だって、親の話は聞きたくないかも。
「まだまだ、初々しかったわ。ドキドキしっぱなしで、相手も初体験だったから2人して、大変だったわね」
何が大変?!
「そうそう。学校でだったし、彼が用意もしてなくってね。後でひやひやしたわよ。一週間くらい、生理も遅れたし。だからね、司、くれぐれもそれだけは…」
「母さん!穂乃香が困ってるだろ。そういう話は穂乃香の前でするなよ!」
わ。いきなり、藤堂君が怒った。それに今、穂乃香って言っちゃたし。
「…ごめんね。穂乃香ちゃん。そっか。こういう話、駄目よね?」
「は、はい」
私はカチコチに固まって、うなづいた。
「ごめんね?」
藤堂君のお母さんはまた、優しく謝ってくれた。
「俺、部屋に行くから」
藤堂君はそう言うと、さっさと2階に上がって行った。
「わ、私も」
私は慌てて、藤堂君を追いかけた。
藤堂君は自分の部屋に入る直前、私を見て、
「穂乃香。俺…」
と話しかけてきた。
「え?」
「俺、もう家でも手は出さないから」
「え?」
「もちろん、学校でも」
「…」
家でもって?
「キスもやめるね」
学校でってこと?
藤堂君は自分の部屋に入り、バタンとドアを閉めた。
私も自分の部屋に入った。そして、鞄を置いてペタンと座り、考え込んだ。
えっと、手は出さないもなにも、もちろん、前から手は出してないよ。出したら叩いていいって言ってたし、誓いも立ててた。
それに、えっと、キスもしないっていうのは、もちろん、学校でだよね?
あれ?
家でもってこと?
なんだか、ドアを閉める藤堂君の顔が冷たく見えたのは、なぜ?
そしてその日から、本当に藤堂君は手を出さないどころか、キスも、手を繋ぐのも、いっさいしてくれなくなってしまった。




