第93話 堂々と
美術室でも、私は部員からとっつかまった。
「藤堂君って、キスなんてしてくるんだ」
「もう、そんな仲だったんだね」
なんて返事をしていいのやら。困った。
「羨ましい。あんな彼氏で」
「本当だよ。もっと早くに私も目をつけておけばよかった」
は?でも、ついこの前まで、怖がってた…よね?
「見学に行った時って、付き合ってないよね?」
「うん」
「あの時、私もかっこいいって思ってたの。藤堂君のこと」
「駄目駄目。いくら思っても、藤堂君は1年の時から、結城さんに惚れてたんだから、勝ち目ないって」
「あ、そうか」
そんなことを言いながら、その子たちは自分の席に戻って行った。
やれやれ。
私は気持ちを落ち着けて、絵に向かった。でも、絵の中の藤堂君を見て、ドキドキしてなかなか絵を描けないでいた。
部屋で二人でいる時、なんで勉強に集中しているかと言うと、そうでもしていないと、ドキドキしちゃうからだ。
前は勉強も手に着かなかった。でもわかった。何かに集中していたら、とりあえず、ドキドキはおさまるみたいだ。
藤堂君もそうなのかな。それでちゃんと、勉強するようにしているのかな。
まあ、藤堂君となら勉強もはかどるっていうのも、あるんだけどね。
その辺が前と変わったところかな。
部活が終わって、美術室で藤堂君を待っていると、弓道部の人たちと藤堂君はやってきた。
「じゃあな、藤堂」
美術室の前で、藤堂君はみんなと別れて中に入ってきた。
「終わった?」
「うん」
藤堂君が遅かったから、他の部員はもう残っていなかった。
「美術部、いつまで?もうそろそろ期末だけど」
「明日まで」
「じゃ、一緒だ」
藤堂君は、美術室を出て、私と手を繋いで歩き出した。
「期末、頑張っちゃう?穂乃香」
「うん」
「あ、なんだ。ガッツポーズしないの?期待したのにな」
「し、しないよ~~~」
「なあんだ」
藤堂君は笑ってそう言うと、また前を向いて歩き出した。
あ、前方に人。って、あれ?なんで手を繋いだままなの?
いつもなら、さっと手を離すのに。
「あ、藤堂先輩だ」
その子たちがこそこそと言ってるのが聞こえた。でも、藤堂君は気にせず、その子たちの前を通り、昇降口に向かって行った。
ああ、なんだか、私は恥ずかしいんですけど。手、繋いでいるところを見られて。
校門を出ても、藤堂君はまた手を繋いできた。
ドキドキ。なんだか、藤堂君が、積極的?いや、違う。えっと、大胆?いや、言葉のニュアンスがちょっと違う。なんていうか、なんていうか。堂々としちゃってるっていうか…。
なんで?
駅でもホームでも、他にうちの生徒がいても平気で、手を繋いでいますけど、なんで?ほら、注目浴びてるってば。
「穂乃香」
どひぇ。穂乃香って言ってるし!すぐ横に、うちの高校の女子生徒がいるよ?いいの?
「また、みんなで試験勉強する?」
「え?」
「中西さんが数学わからないって、今日言ってきた」
いつの間に!
「沼田はさすがに、一緒に勉強参加できないだろうけど」
「そ、そうだよね」
「明後日あたりに、教室残ってしようか」
「藤堂君と、私と美枝ぽんと麻衣で?」
「うん」
「それ、女子3人と男子一人だけど、いいの?」
「何が?」
あ、別にそういうのは気にしないんだな。
「わかった。明後日ね」
なんて会話をしている横で、こそこそと私たちのことを言ってる女生徒たち。なんだか、気になる。藤堂君は気にするなって言ってたけど、気になるよ。
夜、夕飯が終わってからまた、藤堂君の部屋に行った。
「もう期末試験の勉強しちゃおうか」
「うん」
早速、私たちはノートや教科書をテーブルに広げた。
「ねえ、司君」
「ん?」
「今日の帰り、なんでみんながいても、穂乃香って呼んだの?」
「…そっちのほうが、みんなあきらめるかなって思って」
「え?」
「付き合ってるんだし、堂々と手を繋いでも、呼び捨てで呼んでもいいよねって思わない?」
「…そういうの、嫌がるかと思った」
「え?」
「司君、みんなの前で、そういうことするの…」
「うん、抵抗あったよ。付き合ったの何て初めてだし、どっか照れくさいっていうか」
「うん」
「でも、付き合ってるんだから、堂々としててもかまわないってことだよね?」
「…うん」
「穂乃香は嫌?」
「ううん。ちょっと照れるけど、嫌じゃない」
「そう、よかった」
藤堂君はそう言って、勉強を再開した。
1時間、ばっちり勉強をした。それから、私がちょっとあくびをしたら、
「もう今日はやめようか」
と藤堂君はノートを閉じた。
「うん、もう寝るね。おやすみなさい」
「穂乃香」
藤堂君が顔を近づけ、私にキスをした。
「……学校で、手は繋ぐけど、キスはもうできそうもないから」
「え?」
「誰が見てるかもわかんないしさ」
「う、うん」
「あれ?がっかりしてる?」
「してないよ」
私は真っ赤になって顔を横に振った。
「くす」
また笑ってるし。
「家でだったら、こうやってキスできるもんね」
「……」
か~~~。
って、黙ってうつむいていると、また藤堂君はキスをしてきた。それから、そっと私を抱きしめてくる。
うわ、うわ、うわわわ。硬直。
「キス以上は…」
え?
「やっぱり、やめておくね」
コクン。私は思わず、思い切りうなづいた。だって、心臓が破裂しそうだ。
「おやすみ、穂乃香」
「おやすみなさい」
か~~。まだ、顔が熱い。まだきっと、私は真っ赤だ。
自分の部屋に戻った。そして、布団を藤堂君の部屋のすぐ横に敷き、私は寝っころがった。
ああ、この前は、すぐ横に藤堂君が寝ていたんだよね。
手を繋いで眠ったの、嬉しかったな。それに、藤堂君の寝顔が見れて、幸せだった。
キュン。思い出しただけでも、胸がきゅんってしちゃうよ。
もう、寝顔なんてそうそう見れないね。夜中に忍び込むなんてこと、絶対にできないだろうし。
なんてね。
なんてあほなこと考えてないで、寝ようよ。私。
藤堂君、おやすみなさい。せめて、夢の中で藤堂君の寝顔が見れますように。
そして、翌日。やっぱり藤堂君は、家から学校まで、堂々と私と手を繋いで歩いた。
それだけじゃない。教室でも私に「穂乃香」と言って話しかける。
「穂乃香って言ってる。きゃあ、呼び捨て?」
と、前の方から女子が私たちを見た。
藤堂君は、前よりもよく私に話しかけるようになった。
「藤堂君、今の授業、最後の問題がわからなかった」
私も、藤堂君に堂々と話しかけてみた。
「ああ、あれね」
藤堂君は私の席に椅子を近づけ、説明をし出した。そして、
「わかった?穂乃香」
と優しく言う。うわ。家での藤堂君と一緒だよ、これ。
「う、うん、わかった」
私はついつい、顔が赤くなってしまった。
「じゃ、まだ授業でやってないけど、この問題も解けるんじゃない?」
「え?どれ?」
「今の問題と、同じようなもんだから、やってみたら?」
「うん」
私はどうにかこうにか、その問題もやってみた。藤堂君はいっつも、すごいなあ。一つ先の問題まで、あっという間に解けているんだね。
「うん、正解」
「やった。司君、ありがとう」
「うん」
にこ。藤堂君が微笑んだ。
「うわ。あの笑顔、可愛い」
「今、司君って言ったよ」
「穂乃香、司君って呼び合ってるんだ」
「なんでいきなりあんなに、仲良くなってるの?」
「キスしたから?」
という会話が、思い切り聞こえてくる。こそこそと話しているようだけど、丸聞こえだよ。ああ、望さんと香苗さんだ。
「……」
藤堂君も聞こえていたようで、一瞬耳を赤らめ、またすぐにポーカーフェイスに戻った。
「いいなあ。あの笑顔」
「それにしても、あんなに優しく勉強教えてくれるんだ」
「結城さんが言ってたけど、本当は藤堂君って優しいのかも」
「いいな~~~」
と言っている女子たちの目が、ハートになってるよ。うわ、やぱい。
キスをしたのがばれたことで、どうやら、男子は私をあきらめたらしいけど、女子はさらに藤堂君のいろんな面を知って、藤堂君に熱い思いを寄せるようになってるみたいだ。
駄目。女子もさっさとあきらめてくれ。お願いだから。
なんだか、気が気じゃないな。藤堂君は女子に興味を示さないから、まだ安心していられるけど。でも、でも、もし可愛い子が言い寄ってきたりしたら、どうなんだろう。
う、いきなり不安が。
そんな日が来ないって、言い切れないじゃない。そんな日がやってくるかもしれないんだし。どうしよう。
なんて不安をよそに、藤堂君はさらに私に、笑顔を向けたり、話しかけて来たりする。
う、う~~~ん。今までみたいな、メモ帳でのやり取りもなくなってしまった。どうしちゃったんだ。
「穂乃香、美術室まで一緒に行こう」
「うん」
わざわざ、私の名前を連呼してるかも…とも思える。だって、今まで、そんな会話もなく一緒に教室を出て、並んで歩き出したし。なんで、わざと口に出して言うのかな。
そして、美術室の前でも、
「それじゃ、穂乃香、部活終わったら寄るね」
と言って、ほんわりと笑顔を向けてくれて、藤堂君は廊下を歩いて行った。
それを見た他の部員が大騒ぎ。
「穂乃香って、呼ばれるようになったの?」
「すごい、進展!」
う、違うの。前から呼ばれてるの、本当は。でも、まるでキスがきっかけで私たちが、一気に進展しちゃったみたいに、噂されちゃってるよ。
どうしたらいいんだ。
このまま、何事もなかったらいいんだけどなあ。
と願いつつ、藤堂君と家に帰った。もちろん、藤堂君は美術室から家までの間、ずうっと私と手を繋いで歩いていた。
それは生徒がいようが、先生がいようが、用務員さんがいようが、かまわずに…だ。
でも、家ではむすっとしている。食卓ではいまだに、
「結城さん、醤油取ってくれる?」
なんて、いけしゃあしゃあと、表情も変えず言って来るし。
「はい、藤堂君」
私もちゃんと、藤堂君って呼んでみた。
「穂乃香ちゃん、もうすぐ期末でしょ?それが終わったら、夏休みね」
「はい」
お母さんの言葉に、私はうなづいた。
「いつごろ、長野に行く?」
「そうですね。この前母からメールで、8月のお盆辺りは混みそうだから、前半か後半にしてくれって言ってきたんですけど」
「俺の部、5日から10日まで休みなんだ」
「じゃあ、その期間で」
「あら。そうしたら、5日間だけよ?もっとあっちに行っていたいんじゃないの?久しぶりにご両親にも会うんだから」
「…はあ」
でも、藤堂君と帰りも一緒に帰って来たい。
「じゃあさ、部をもうちょっと休むように、部長に言ってみるよ。10日過ぎもお盆で来れないやつもいるかもしれないし、もしかすると、部も休みになるかもしれない、それか、その辺りは自主トレにするかもしれないし」
「…でもお盆辺り、混むって」
「混むなら、2人でしっかりと手伝いをしてきたらどうだい?それまでに仕事を覚えて、混んでる時期にはちゃんと働けるようになっていたら、向こうだって助かるだろう」
藤堂君のお父さんが、そう提案してくれた。
「そうね。人手はいるだろうし」
お母さんもにっこりとしながら、そう言った。
「はい、じゃあ、もう一回母にメールで確認してみます」
わあ。藤堂君と一緒に、長野に行けるんだ。帰りも一緒に帰れるね。
「あ、でも、藤堂君、手伝ってもらってもいいの?」
「いいよ。力仕事とか、どんどん俺、やるよ」
力仕事、あるのかな。
「掃除や洗濯、料理が主な仕事だろうから、力仕事ってあるのかしらね」
お母さんは、お茶をすすりながら首をかしげた。
「あるさ。お客さんの荷物を運んだり…」
お父さんがそう言うと、
「あ、そうね。そういうのがあるわね。でも、司、ちゃんとお客さんには愛想よくするのよ。できるの?」
とお母さんは藤堂君に聞いた。
「……」
藤堂君が黙り込んだ。そして、
「なんとか…」
とそれだけ言って、また黙り込んでしまった。
そうかな。いつも私の前で見せてくれる笑顔でいたら、全然大丈夫なんじゃないかな。学校でも、みんながいても笑ったり、どんどん話をしたりしているんだし。
ただ、そんな藤堂君を知って、もっとファンが多くなったような気もするんだけどさ。
夕飯が終わり、私は食器の洗い物をお母さんと済ませ、それから藤堂君の部屋に行った。
今まではお母さんにしなくてもいいと言われていたんだけど、しっかりと母にメールで「いろいろとお手伝いしてるんでしょうね。千春ちゃんがしなくてもいいって言っても、ちゃんとしなさいよ」と言われてしまい、洗い物を手伝うようにしている。
「悪いわね。テスト前なのに」
「いいんです。それにこれも、長野に行った時の練習になるし」
「そう?前向きね。穂乃香ちゃんは」
え?前向き?
いえいえ、違うんです。私は後ろ向きな人間でして。と言いたかったけど、鼻歌を歌ってご機嫌なお母さんに、そんなことを言えるわけもなく。
藤堂君のお母さんは、私をかいかぶってないかどうか、心配だな。
その日の夜も、テスト勉強に励んだ。そしてなぜか、部屋に戻る前に、
「よく頑張りました」
と言って、藤堂君がキスをしてきた。
えっと、これってまさか、ご褒美のキス?
「おやすみ、穂乃香」
そう言ってにっこりと微笑む、藤堂君が可愛い。その笑顔も私にはご褒美だなあ。なんて、幸せを満喫しながら部屋に戻った。
うん、その日までは。キスも藤堂君の笑顔も、優しさも、すごく嬉しいものだった。
ちょっと、物足りなさも感じていたけど、そういう時、なぜか絶妙なタイミングで、抱きしめてくれたりもしていたし。そして、私はドキドキで硬直して、藤堂君にくすって笑われたりして。
そんなこんなで、藤堂君は余裕で私に接してくれてたんだ。
なのに…。
ドキドキしていた日は、どこに行ちゃったんだ。学校でのアツアツなカップルになるはずが、なんで?
だけど、まだまだ私は、これからの展開を読むこともできず、幸せな気分に浸りながら、その日は眠りについた。




