第92話 しっかり勉強
家に帰る間も、私も藤堂君もどこか上の空だった。
「…ごめん、穂乃香」
「え?」
突然、藤堂君が謝ってきた。
「俺がキスなんてしたから」
「ううん」
私だって、2人きりになれるのを浮き足立っていたんだし…。藤堂君のことを責められないよ。
「なんか、穂乃香に言って来るやつがいたら、俺に言ってね」
「え?」
「穂乃香を傷つけるやつは、俺がやっつけるから」
「……」
キュン!今、思い切り胸がキュンってした。
「じゃ、私も」
「え?」
「司君のことを傷つける人がいたら、やっつける」
「ブッ」
あ、笑われた。
「穂乃香、昨日、料理頑張るって言った時もしてたけど、たまにするよね」
「え?何を?」
「ガッツポーズ」
「あ…」
そういえば、今もしたかも。
「くす。それ、可愛い」
「え?」
「穂乃香って、健気で可愛い」
ドキン。そんなことを言われたら、どう反応していいかわかんないよ~~。
私が真っ赤になっていると、藤堂君はもっとくすくすと笑った。
ま、いっか。さっきまでの変な雰囲気が、一気に楽しい感じになったから。
明日は明日だね。今日は今日で楽しもう。って、藤堂君に言われて、私たちは江の島の駅から家まで、手を繋いでるんるんで帰った。
るんるんって表現は変かな。でも、藤堂君まで、繋いだ手をおおげさに、ブンブンふってたしなあ。
夕飯が済み、すぐに私たちは藤堂君の部屋に行った。そして、数学のプリントを広げた。
「う~~~ん」
「一問目から、難題だった?」
「うん、私には…」
そう言うと、藤堂君はスラスラと答えをプリントに書いて、それから丁寧に説明を始めた。
ああ、私って、もしかしてものすごくいい環境にいるんじゃない?もう、藤堂君が家庭教師のようだよね。
「司君はどうしてそんなに頭がいいの?」
「俺?別に頭良くないよ」
「え~~~。うそだ」
「たまたま、数学が得意なだけだよ」
そうかなあ。
「古典とか嫌いだし」
「…社会は?」
「地理は世界がいろいろとわかって、けっこう楽しいかな。あと、歴史も最近になって、興味出てきた」
「え?」
「日本の文化とか、いろいろと知りたいなって思ったら、歴史も知りたくなってさ」
「すごいね」
「何が?」
「興味を持てるっていうことが」
「でも、そういうことでしょ?勉強って」
「え?」
「興味があれば、自分から学ぼうとする。それに、興味のあることだから、知っていけば面白い。だけど、興味のないことだったら、ただの苦痛だよ」
「苦痛?」
「授業だって、退屈なだけ。興味があると、教科書も先生の話も、面白いと思えるけどね」
「へ~~~~」
やっぱり、すごい。私、教科書が面白いなんて思ったこともないよ。
「司君ってやっぱり、人と違う」
「そうかな」
「うん、そうだよ」
「変かな」
「ううん!変じゃない。人と違って、素敵だなって思ってたところ」
「…あ、そうなんだ」
藤堂君は顔を赤くして、鼻の横を掻いた。それ、照れた時の癖だよね。
「穂乃香は、そういうところがいいね」
「え?どこ?」
そういうところって、どこ?
「素直にちゃんと言葉にしてくれるところ」
「私が?私、素直じゃないよ」
「あれ?なんだ。自分ではわかってないんだね。くす」
え~~~。素直じゃないよ。もっと素直になれたらって、いっつも思うのに。
「くすくす。自分のことって、自分じゃわかんないもんだよね」
藤堂君はまだ笑いながら、そう言った。
そうか。そういうものなのかもしれないなあ。
「さて、プリント、さっさと仕上げちゃおうか」
そう言って、藤堂君は次々に問題を解き、私に丁寧に教えてくれた。
「司君は、家庭教師ができると思うよ」
「あ~~、そうだな。そんなバイトもいいね。でも、相手次第かな」
「相手?」
「うん。穂乃香は素直だから、教えやすい」
「私が?」
「うん。すぐに吸収していくし。だから、もっと勉強に興味を持ったら、成績もぐんとアップすると思うよ?」
「でも、どうにも興味が持てなくって」
「まあ、人から言われても、簡単には興味持てないもんだよね。でも、なんかない?これなら、興味のあることって」
「…絵のことくらいかなあ」
「なるほどね」
「それじゃ、駄目だよね」
「なんで?十分だよ。穂乃香は絵の才能あるし、それをもっともっと、開いていったらいいと思うよ」
「開く?」
「うん、才能を」
「…」
そんな才能、私にあるのかな。
「さて、プリントも終わったし、どうする?」
「え?」
ドキン。どうするって、何が?
「他の勉強でもする?」
あ、そう言う意味か。
「えっと…。じゃあ、英語…」
そして、英語の予習をしてから、私は藤堂君の部屋を出た。
ああ、私たちって、真面目かも。こうやって、ほとんど毎日のように2人で何をしているかっていうと、勉強なんだもん。
あ、待てよ。っていうか、藤堂君はもしかして、今までも毎日こうやって勉強するのが日課だったのかな。それを私が部屋に行って、邪魔しているのかもしれない。
そうだよなあ。数学のプリントだって、簡単にできちゃうのに、私がいたら2倍時間がかかってるってことだしなあ。
藤堂君が頭がいいのは、こういう影の努力があるからかもしれないよね。毎日、予習をして、ちゃんと勉強して…。
なんて思って、次の日の朝、学校に行くまでの道で聞いてみた。
「私、いっつも司君の勉強の邪魔してないかなあ」
「いつ?」
「夜、毎日のように部屋に押しかけて、勉強教えてもらってる…」
「別に。邪魔どころか、一緒に勉強できてるけど」
「…でも、私がいなかったら、もっとはかどってるでしょ?」
「いや、穂乃香が勉強をしに来なかったら、俺、勉強なんかしないけど」
「え?いつも、夜、勉強してるんじゃないの?」
「しないよ、テスト前にしか」
「…そ、そうなんだ。でも、予習とか」
「したことないけど」
え~~~~。そうなの?
「すごいよね。穂乃香は、ちゃんとしてるんだもんね。俺、偉いなあって思ってたんだ」
「してないよ。家じゃ、まったくしていなかったし。宿題ですら忘れることもあって、朝、麻衣や美枝ぽんに見せてもらったのを写してたことだってあるし」
「そうなの?」
え~~。藤堂君はしっかりと、勉強してると思ったのにな。
「でも、穂乃香がいると、勉強も楽しいから、これからも続ける?」
「…ほんと?本当に楽しい?」
「穂乃香は、嫌だった?嫌ならやめる」
「ううん。嫌じゃない」
「じゃ、続けてみない?俺の家に来たら成績落ちましたっていうんじゃ、穂乃香のご両親にも悪いし」
「あ、そうか。司君に勉強見てもらったら、成績アップしちゃいましたって、うちの両親が知ったら、喜んじゃうよね。うん、頑張る」
「あ、出た」
「え?」
「ガッツポーズ」
うわ。またやってたか、私。
「あはは、可愛い」
ああ、また笑われた。
そんな会話をしていて、すっかり私たちは忘れていた。そう、昨日のキスのことを。
駅から高校までの道、今まで挨拶をしてきた子たちが、遠巻きにしてこそこそしているので、ようやく思い出した。
「そうだった。忘れてた」
私がぼそってそう言うと、
「まあ、ああやってこそこそ言ってるのは、ほっておこう」
と藤堂君は静かにそう言った。
うん、そうだよね。
ところが、教室に入るとすぐに、私は女子たちにとっつかまり、
「結城さん、キスしてたって本当?」
と直で質問攻めにあった。うわあ。藤堂君、助けて…と、藤堂君のほうを見たら、藤堂君も男子たちにとっつかまっていた。
「付き合ってるんだもん。キスくらいはするよね」
私を取り巻く女子の間に、割り込んできた美枝ぽんがそう言って助けてくれた。
「そうそう。ほら、散った散った」
麻衣までがやってきて、女子をけちらしてくれた。
良かった。私は胸をなでおろし、自分の席に着いた。が、
「放課後、2人きりの教室でキスなんて、司っち、やるね~~」
「本当だよ。で、それ以上はなかったの?」
麻衣と美枝ぽんが、一番ノリノリで聞いてきてるじゃないか。ただ、単にみんなをけちらしたのは、自分らが聞きたかったからじゃないの?
「なんにもないよ、それ以上なんて」
私は顔を引きつらせ、否定した。
「家では?二人でいる時何をしてるの?」
すご~~く、声を潜めて麻衣が聞いた。
「勉強してる」
「またまた~~~」
美枝ぽんが、私の腕をつっついた。
「本当だよ。昨日も英語の予習してた。だから、私、成績あがるかも」
「…まじで?」
「あ、数学のプリントもばっちり」
「…まじで?」
2人とも、目を点にしてしばらく私を眺め、
「この二人なら、あり得るよね」
「かもね」
と言いながら、自分たちの席に戻って行った。
ガタン。その時、隣の席に藤堂君が座った。
「まいった」
藤堂君のほうが、男子から思い切り質問攻めにあっていたようだった。
「…何を聞かれてたの?」
「いろいろと」
「何て答えてたの?」
「ほとんど、無視」
「……」
そうなんだ。
「穂…、じゃなくって、結城さんって、モテすぎ」
「へ?」
私が、モテすぎって、今言った?
「クラスのほとんどの男子が、がっかりしていた」
「がっかりって?」
「…俺と結城さんって、付き合ってるのかどうかも分からない感じだったから、別れるかもって期待してたみたいで」
何それ!
「でも、キスまでした仲だって知って、かなりショックを受けてるらしい」
「そ、それはないんじゃないかな。みんな、ただの興味本位で」
「穂乃ぴょん」
そこに、沼田君がやってきた。
「あ、おはよう」
挨拶をしても、沼田君は何も答えない。あれ?暗い?
「お前らって、ほんとに、付き合ってるんだね」
「へ?」
私も藤堂君も、きょとんとした。何を言ってるの、沼田君。
「キスなんかするような、そんな仲なんだね」
は?
「だよね。付き合ってるんだもんね…」
沼田君はそう言うと、くら~~くなりながら、自分の席に戻って行った。
「ああ、沼田も、ショック受けてる」
「え?」
「………。そうか。ある意味よかったかな」
「何が?」
「みんな、これであきらめてくれるかも」
「何が?」
「いや、独り言」
そう言うと、藤堂君は私をちらっと見て、ちょっと口元をゆるませた。
え?何が?どういうこと?
昼は教室にいたらまた質問攻めにあいそうだし、さっさと私は美枝ぽんと麻衣を引きつれ、中庭に移動した。
「噂の的だね。穂乃香」
「…でも、藤堂君はなんか、噂広まって良かったみたいなことを言ってた」
「え?どうして?朝、男子にとっつかまって、大変そうだったよ?」
「うん。でも、なんか、これでみんなあきらめるとかなんとか、そんなことを言ってたけど。なんのことかな」
「ああ、他の男子が、穂乃ぴょんのことを、あきらめるだろうってこと?」
「そうだね。キスまでするような、そんな仲だってわかったら、あきらめるかな」
麻衣がそう言った。え?そういうこと?
「穂乃ぴょんと藤堂君って、会話も少ないし、もしかしてあまり、うまくいってないのかも、ってそんな噂もあったみたいだし」
「一部の男子でね。それも、穂乃香を好きなやつらじゃない?ちょっとだけでも、まだ期待を捨てきれないでいたんだよ」
「期待って?」
「だから、穂乃香が司っちと別れて、自分が付き合えるかもしれないという、期待」
「え~~~?何それ」
「ま、こうなりゃどうどうと、学校でいちゃついていたら?」
「ま、まさか!」
「なんで~~?平気でいちゃついてるカップルって、けっこういるじゃない」
「む、無理」
「どうして?」
「藤堂君が嫌がる。誰かいると、繋いだ手もすぐに離すし」
「ってことは、2人なら手も繋いでいるってこと?」
美枝ぽんがにやりとして、私に聞いてきた。
「やっぱり、本当は家でも、いちゃついてるんじゃないの~~~?」
「白状しろ」
うわあ。2人が私をくすぐってきたよ。
「やめてってば、くすぐったいよ」
「いいから、白状しなさい」
「だから、何もないってば。本当に勉強してるだけだよ」
「うそだ~~」
「本当だもん!」
「………」
2人が同時に、くすぐるのをやめた。
「やっぱり、まだまだ、微笑ましいカップルなのね」
いきなり美枝ぽんがそう言った。
「司っちって、穂乃香を大事にしてるんだもんね。ほんと、2人して可愛いと言うか、健気と言うか」
そう言った麻衣はため息をついた。
「あ~~。私も、彼氏が欲しくなってきた」
「…私も」
麻衣の言葉に、美枝ぽんもぽつりとそう言った。
「………」
そうか。私ってば、藤堂君に大事に思われてるのか。
なんて心の中でつぶやいて、一人でにやけるのを押さえていた。




